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エピローグ

 ゴールデンウィークも過ぎれば、季節はすっかり夏模様だった。まだまだ肌寒い日もあるけれど、長袖では汗ばんでしまうような日も珍しくはない。

 暦の上では五月五日の「端午の節句」――もとい「子供の日」から立夏、すなわち夏の訪れ。季節としてはすっかり夏ということだ。


「悪いね、陽奈ちゃん。わざわざ来てもらったのに、たいしてやることがなくて」

「良いんですよ、おじさま。陽奈もパパとママに顔を見せがてらでしたし」


 運転席の父親と、その後ろの席ではしゃぐ陽奈を横目に、舞衣は助手席の窓から空を見上げた。積乱雲ができるにははまだ遠い。だけど、空はすっかり近くなった。

 今日、舞衣はお昼の新幹線で東京へと発つ。駅まで送ってくれるのは父親だったが、朝チャイムが鳴って出ると、家の前に陽奈が待っていた。


「迎えに来たよ」


 ニコニコと人懐っこい笑顔でそういった陽奈は、文字通り着の身着のままの服装だった。


「東京まで三時間も一人だと退屈かもしれませんから。それに舞衣ちゃんの旅立ちの日に、隣に陽奈がいないなんてありえない」

「いることがあり得ない。そもそも、あっちの駅で合流する予定だったでしょうが」

「待ちきれなくて来ちゃった」


 てへぺろ。もはや死語レベルのポーズではしゃぐ陽奈。なんだかんだで、ちゃんと可愛いのが腹立たしい。

 比較的会話に面白みのない娘を持った父親にとって彼女の存在は華やかなようで、めったに見せない機嫌の良さだった。例え演技だとしても、知らぬは仏とはこのことだ。


「そう言えば、部屋を探してくれたそうで。ありがとう。私はこの通り田舎生まれ田舎育ちなものだから、都会の住宅事情は分からなくてね。助かったよ」

「駅近オートロックの2LDK。会社のそういう部署に、同棲するには完璧な立地を探してもらいました。小さいけどスーパーも一〇分圏内ですし、舞衣ちゃんの手料理調達にも抜かりはありませんよ」

「誤解される言い方しないでよ。お父さん、男じゃないから。陽奈とルームシェアってのに偽りはないから」


 今回、初めて東京に出るにあたって、なんだかんだで頼る事になってしまったのが言うまでもない陽奈だった。東京歴五年以上の知り合いなんて他にいるわけはない。

 もちろんはじめは一人暮らし物件を探していたが、なかなか予算に合う部屋が見つからず。困っていたところに提案された、陽奈からのルームシェアのお誘いだった。

 当然、舞衣は渋る――というか素直に嫌がったが、家賃もろもろ折半なのはあまりに魅力なのでm最終的には折れるしかなかった。フォレストで働いていた分の貯金があるとはいえ、しばらくの間、生活は不安定だ。抑えられる費用は、抑えるに越したことはない。


「その条件だと、いい値段がするんじゃないのかい?」


 尋ねる父親に、陽奈はどんと胸を叩く。


「大丈夫。いざという時は陽奈が養いますから」

「それだけはぜっっっっっっったいに嫌」


 舞衣は陽奈を睨みつけ、声を荒げる。


「あっち行ったら何よりも先にバイト先を見つけるし、事務所のオーディションだって片っ端から受けるんだから」

「え、舞衣ちゃんまだ事務所決まってなかったの?」

「レジシステムの入れ替えと、GWの繁忙期でそれどころじゃなかったよ。近年の少年探偵は、映画館職員のストレスをピンポイントで追及してくるね」


 舞衣は、退職直前のえげつない混雑具合を思い出し、顔をしかめる。東京行きを決めて正社員登用を断った舞衣は、それでもレジシステム入れ替え業務だけ引き受けることになった。そもそも他の社員たちに余裕はなかったし、舞衣も目に見える重要業務を放り出して会社を去るわけにもいかなかった。

 レジの入れ替えが終わったのが四月の暮れ。となれば季節はGW。忙しいのは目に見えているので、退職時期がずるずると伸びて、この時期になってしまった。


「うーん、なんなら社長さんに話通してあげようか? 一度受かってる事務所なら、事情を話せば受け入れてくれるかも。あの人、泣き落としに弱いし」


 さりげにえげつない事を言っている気がするが、舞衣はそれをスルーして首を振る。


「馬鹿言わないでよ。一回自分で蹴った事務所に顔出せるわけないでしょ」


 そこまで言い切って、舞衣はそれこそ名探偵みたいに顎に手を当てながらニヤリと笑う。


「代わりに筒井監督に連絡を取った」


 陽奈の顔が、みるみる青ざめて行く。


「えっ……だ、大丈夫なのそれ? っていうかいつの間に連絡先?」

「冬山の時に渡された名刺を取っといてたの。大丈夫かどうかは陽奈の言葉を信じてる」

「さすが舞衣ちゃん……ルールさえ守れば、なんてしたたかなことでしょう」


 舞衣もそこまで筒井を信用しているわけではない。けどこの際使えるものは何でも使うべきだ。そういう意味ではヒット作メーカーとのコネほど美味しいものはない。


「舞衣。とりあえず犯罪は起こさない、近づかない、巻き込まれない。これだけは守ってくれ」


 父親が真面目なトーンで語るので、舞衣もハッキリと頷いた。


「分かってる。節度ある立派な大人に育てた自分を信じて」


 そう言うと、間を置いて父親は不意に鼻をすすった。彼が意外と涙もろい性格をしているのを、陽奈はこの二〇年ついぞ知らなかった。

 しばらくのドライブの後、車は見慣れた敷地に入り込んでいく。広い駐車場に停車をして、父親はシートベルトを外した。


「ついたぞ」

「ありがとう。すぐ終わるから」


 舞衣は二人を残して車を降りる。そして、数日ぶりにシネマ・フォレストの扉をくぐった。


 休日の劇場はなかなかの混雑具合だった。チケットカウンターはちょうどブースが埋まる程度の人だかり。こっちに気づいた横尾が笑顔で手を振った。

 舞衣は邪魔にならないタイミングでバックヤードへ入り、事務室へと向かう。横尾が表に居るので部屋の中は無人だった。抱えた紙袋からクリーニング済みの制服を取り出し、支配人のデスクに置く。流石にそれだけだと味気ないので、傍にあったメモ用紙を拝借して、軽くお別れの添え書きを残しておいた。


「お世話になりました」


 無人の空間に頭を下げる。高卒後すぐに始まった舞衣のフォレストでの生活は、今ここに終わりを告げた。

 それから忘れ物はないものかと更衣室に立ち寄る。通りがかった映写室は、それぞれのシアターの上映の音が重なって独特の空間を奏でている。

 舞衣は何かを探すように、映写窓から劇場内を見下ろした。スクリーン1、2、3、4、ひとつずつ見下ろして五番目のシアターで、その赤い着物を見つける。幽霊ならではの勘か、彼女がふと舞衣のことを見上げる。二人の視線が重なって、口に運んでいたポップコーンが収まりきらすに転がった。


「まだ成仏できないんだ」


 独り言のようにつぶやくのと同時に、アマネが壁を抜けて現れる。


「どうかしら。まだ閻魔様の許しは得ていないわね」

「どれだけ深い業を積んだのよ。親の顔が見てみたいわ」


 舞衣の皮肉をアマネは何時もの笑みで流す。そうされることは分かっていたので、舞衣は一歩距離を詰める。


「あたし、今日、発つよ」

「おめでとう。スクリーンで会えるのを楽しみにしているわ」

「見送ってくれないの?」

「ちゃんと見送りに来たじゃない」


 いつもの調子のアマネに、舞衣は映写窓の外を見て押し黙った。スクリーンの照り返しが、映写室の暗がりにまぶしい。

 不意に舞衣が鼻歌を刻む。縦ノリの弾む曲調に、身体も自然にリズムを刻む。はじめは不思議がっていたアマネも、すぐに何の曲か分かって目を細めた。


「くす、『ゴーストバスターズ』?」


 答えを言い当てられても舞衣は鼻歌をやめない。アマネは時折「ゴーストバスターズ」のコールを入れながら、身体をふわふわゆすってみせる。

 何度目かのコールの時、舞衣はポケットから小さな容器を抜き放った。アマネ用撃退スプレー。曲に合わせるように、その照準をアマネに合わせる。


「あらあら……私、いよいよ退治されちゃうのかしら?」

「バスターズは捕まえるだけだよ。今からあんたを拉致しようかなって」


 舞衣は幾分緊張した様子で彼女との距離を詰めていく。アマネは舞衣が足を踏み出すのに合わせて、じりじりと映写室の奥へと追い詰められていく。


「私、きっと手ごわいわよ。何せ一〇〇年は成仏できてないんだから」

「いくら何でも鯖読みすぎ」


 ふっと、舞衣の口から笑みがこぼれた。よくもいけしゃあしゃあと口にできるものだ。不退転の覚悟をもって、アマネの瞳をまっすぐに見つめる。


「バスターズに勝てるのは貞子だけだから」


 その時、アマネが初めて息を飲んだ。いや幽霊だから息なんて吸う必要はないのだが、例えるならきっと、確かに、彼女は舞衣の言葉に敗北を悟った。


「そう、なら降参ね。山村さんちの貞子ちゃんに対抗できるのは、私の知る限りじゃ佐伯さんちの伽椰子さんぐらいだわ」


 両手を挙げて降参のポーズをとるアマネ。舞衣はスプレーを向けたまま、顎で突いてくるように指示をした。


「お父さんの運転だから、あたしの『ECTO―1』よりは快適なのを約束するよ」

「いい旅になりそう」


 そう語るアマネの表情はいつにもなく固かった。


 駅についたころには出立の時間がだいぶ迫っていた。それでもバッチリ安全運転で来たのは、さすが親子だろう。急いでチケットを発券して、別れを惜しむ間もなく改札へと向かう。

 アマネは赤いコートにポーチひとつという計装スタイルの舞衣をしげしげと眺めまわした。


「旅立ちだってのに、ほぼ手ぶらなのね」

「荷物は全部送ってるから、手持ちは財布と最低限のエチケットセットだけ」

「えっと、明日の午前中に届くんだよね?」

「うん。そのはず」


 陽奈には相変わらずアマネの姿は見えていない。父親ならもしや、とも思っていたがそんなことはなかった。舞衣は賭けに負けた気持ちで、ちょっぴりブルーだった。


「じゃあ、今日中に家具見に行こうよ! リビングのレイアウトは舞衣ちゃんと一緒に決めたいって思ってたの」

「え、じゃあもしかしてリビング手つかず? 自分の部屋だけ整えれば済むって期待してたのに」

「候補は考えてるから、舞衣ちゃんはリストから選んでくれるだけでいいよ。ジンジャーマンに舞衣ちゃん役をやってもらって、場当たり稽古はバッチリだもん」

「あらあら、陽奈ちゃんってば舞衣のこと大好きなのね。妬けちゃうわ」

「その愛が重いよ……彼氏でもできようもんなら刺されそう」

「え~、そんなことないよ。でも彼試験は必要かな。合格点は満点で」


 三人で言い合っている間に、舞衣はいつぞやのフォレストの休憩室でのことを思い返す。あのころは些細な言動で苛立っていた。それだけ自分に余裕がなかったんだなということを痛感して、恥ずかしさがこみ上げる。

 陽奈と住んだら毎日がそんなんで、少しは鍛えられるかもしれない。いや……アマネと二年過ごして変われなかったのだから、期待するだけ無駄か。前途は多難だった。


「そろそろホームに行った方が良いぞ。指定席とはいっても、停車時間はたかだか一分そこらなんだ」


 父親が時計を気にしながら話に割って入る。家族で旅行をする時のお決まりのパターン。お土産が決まらない母親と舞衣を急かすのは、彼の仕事だった。

 舞衣は陽奈の腕を引いて改札口へ歩みだす。


「ありがとう。それじゃ、行ってくる」

「行ってきますねー」

「ああ。元気でな」


 父親と陽奈と、顔を見合わせて最後の挨拶を交わす。次いでアマネを見るが、彼女は特に何かを言ってくれるような様子はなかった。

 もうすっかり満足してしまったのだろうか。勝手に。成仏もできていないのに。いつもうるさいくらいなのにこういう時にかぎってしんみりするんだ。

 改札をくぐった舞衣は唐突に振り返って叫んだ。


「そう言えばお父さん、そろそろ再婚しないのー?」


 父親は娘の突然の言葉にぎょっとする。だが咳払い一つで気を取り直すと、手を振り返し答えた。


「もうそういう歳じゃないからな。舞衣がいつ帰ってきても大丈夫なように家を守るよ」

「そっかー!」


 そう言われるのは分かっていた。だから返す言葉も決まってる。


「お父さんの伴侶は生涯一人だけだって! 幸せもんだね!」

「なっ――」


 舞衣が生涯目にした幽霊はたったの二人。なぜ見えたのかじゃなくって、何故その二人だったのか。ちょっと考えれば、答えはすぐにわかることだったのに。

 口をあんぐり開いたまま固まったアマネを見て、舞衣は二年分のお礼が済んだ気分だった。胸がすっきり晴れ渡る。

 バツが悪そうに頬を染める彼女に向けて、トドメとばかりにサムズアップを天に掲げてやった。


「アスタラビスタベイビー!」


 それは、未来から来たとあるサイボーグが学んだ約束の言葉。その魂は今ここにある。


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