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第31話

 上映直前だと言うのに、席はガラガラだった。というより貸し切りだ。流石に一か月半以上経った作品で、平日のレイトショーともなれば仕方のない事かもしれない。

 舞衣は座席表示も観ずに、自分が取った席へと腰かける。他に誰も座らないまま、開幕のブザーがなった。照明が暗くなっていく中で、隣の席にアマネが現れた。


「どこ行ってたの?」

「ポップコーンを準備していたの」


 そう言って、アマネは正座した膝の上に大きなボックスを抱える。


「これもずっと気になってたんだけどさ、それってどこから持って来るの?」

「食べてみる?」


 差し出されたハーフ&ハーフのボックスを、舞衣は怪訝な表情で拒否する。


「いい。なんか、帰って来れなくなりそうだから」

「そう? サクサクで美味しいのに」


 ポリポリとついばみ始めたアマネは、さっそくコーンを一粒床に落とした。

 約一〇分の予告編の後、おなじみの映画泥棒CMを経て本編が始まる。定点カメラで捉えた冬の星空が印象的な物語のイントロだった。

 冒頭、いきなり登場する陽奈の姿に舞衣は息をのみ込む。だが、そこに現れたのは籠目陽奈じゃない。温泉街にある小さな旅館の跡取り娘。高校卒業後の進路に悩む一八歳の女の子。陽奈の姿をしたこの世に存在しない誰かが、そこには生きている。


 ヒロインには二つの道があった。一つは卒業後も実家に残り、跡取りとしての修行を始めること。もう一つは、幼馴染で同級生の少年と一緒に東京の大学に出ること。

 ヒロインは東京の大学へ行きたいと願っていた。しかし叶えたい夢があるわけではなく、長年住み続けた田舎を出てん外の世界に振れたいという理由だった。もちろん親には固く反対されていた。

 幼馴染には夢があった。難関大とその大学院で天文学を学び、国立天文台で働くこと。ヒロインは受験のために幼馴染から勉強を教わる。教え方が良いのか、ヒロインは志望校D判定の状態からめきめきと点数を伸ばしていった。

 その様子を見て、今まで関りがなかった同級生が勉強会に混ざるようになった。とっつきにくい個性的な面々だったが、みんな夢があって、何としても志望校に合格したいという意気込みを持っていた。彼らと接する中でヒロインは次第に、進路との向き合い方に迷い始める。もしこのまま志望校に受かってしまったら、代わりに見知らぬ誰かの夢を終わらせてしまうんじゃないだろうか。自分には夢なんてないのに。

 やがて勉強に身が入らなくなり、ヒロインはメンバーから孤立していく。

 その後、実家の温泉宿が大手宿泊グループに買い上げられる話が上がる。ヒロインは親子関係を悪化させながらも家族の将来と向き合っていく。仲間たちの助けを受けながら、彼女は最終的に、実家を継いでいく決心をした。


 上映の最中、舞衣は陽奈の演技を追い続けていた。彼女が東京で手に入れたもの。舞衣の手を離れて、一人でやってきたこと。籠目陽奈を演じ続ける意味。

 時間が経つにつれて、舞衣は次第にこの作品における陽奈の中身が見えてくる。陽奈の皮を被った、サイボーグの中身。

 考える必要はなかった。なぜなら、ヒロインの感情の動きが、自分自身のそれと全く同じだったから。


 陽奈がスクリーンの先で演じているヒロインは、藍田舞衣そのものだった。


 場面は三月になって、仲間たちはそれぞれの志望校へと合格した。そこで勉強会の締めくくりにと、天体観測会が開かれることになった。星屑の下、みんなで眺める最後の夜空。ヒロインは、それまで意識しなかった幼馴染への恋心に気づいてしまう。

 始まった瞬間に終わっていた想いを受け止めて、彼の夢が叶うことを星へ願って物語は終わった。


「ベタってのは悪い事じゃないと私は思うの」


 エンドクレジットが始まって、アマネが穏やかな声で語る。


「普遍的な、変わらない良さがそこにあるってことでしょう。だから私はこの映画が好きよ。あなたはどう?」


 尋ねられた舞衣は、まだ映画の余韻の中にいた。その横顔を見て、アマネはクスリと笑う。


「気に入ってくれたのね」


 その言葉に、舞衣は首を横に振る。


「じゃあ、どうして泣いているの?」


 アマネに指摘され、彼女は目元いっぱいにためた涙を頬に落として、答える。


「悔しくて」


 その感情にためらいはなかった。なによりも純粋で、混じりけの無い言葉で、繰り返す。


「悔しくて、悔しくて、悔しくて……悔しい」

「それは陽奈ちゃんに?」

「たぶん全部……だと思う。陽奈も、家族も、夢も、自分も、全部」

「そう」

「でも同じくらい、あたしは今日までの自分に胸を張ってみせるよ」


 アマネはクレジットの曲に耳を傾けて頷く。


「あなたって、本当に融通が利かないのね。幽霊の扱いも雑だし」

「それ、今さら?」


 泣きながら、舞衣は笑った。ニットの袖で頬の雫をぬぐう。


「真面目で、いつだって正しいことをする。でもそれは誰かが求める正しさよね。世間の正しさ。会社の正しさ。常識としての正しさ。法律じゃないんだもの、常識なんて時代と共に変わっていくわ。その時、貴方の正しさは変わっていくの?」

「それこそ分かんないよ、そんなの。あたしはただ、自分に嘘をつくのが嫌なだけだから」


 そうして選んだことが間違いじゃないと、舞衣は自信を持って言える。森で迷ったヘンゼルとグレーテルは、お菓子の家を食べなければ死んでいた。その先にどんな困難があったとしても、生きることが正しい選択であったことに変わりはない。


「お母さんは、自分の夢の代わりに、あたしの夢を後押ししたんだと思う?」


 尋ねられてばかりの舞衣は、たった一言だけ、そんな質問を投げかける。少しだけ意地悪な質問をしたと思った。だけど、舞衣にとって必要な、最初で最後の一歩だった。


「違うわ」


 アマネが、ハッキリとした声で否定する。


「きっと、娘が自分と同じ夢を持ったことが、素直に嬉しかったのよ」

「そっか……なら、いいんだ」


 アマネの返事に、舞衣は少し考えてから頷き返した。

 それで魔女を釜に放り込んで、二人は家に帰ることができる。そして持ち帰った財宝が輝かしい未来を作るのだ。


「答えは出たのね」

「昔、魔女に言われたから。悔しいうちは、まだ夢は叶うって」


 それを聞いて、アマネは目を大きく開く。それから噴き出したように大声で笑った。


「私よりも簡単にあなたを立ち直らせた、その魔女に会ってみたいわ」

「成仏すれば、そのうち会えるんじゃない?」


 スクリーンが暗転して照明が瞬く。映画の世界から現実に引き戻される、非日常と日常が混ざり合う時間。この一瞬のために舞衣は映画館を訪れる。


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