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第25話

 翌朝。舞衣は、何事も無かったかのように出社し、いつも通り業務をこなした。陽奈とのことでいろいろあったけれど、友人との関係のこじれなんていうのは仕事には一切の関係が無いもので。その一方で、陽奈が業界でどんな大変な思いをしていようと、舞衣の日常は何ひとつ変わることがなかった。生きる世界の違いを見せつけられているようだった。

 そう感じた理由が、もしも嫉妬なのだとしたら、よっぽど素直に生きているものだと、舞衣は自嘲すら覚えた。もちろん、高校に入ってすぐのころには、陽奈に対して多少なり羨むような気持もあった。けど、そこで素直に感情を爆発させることができるくらいなら、今ごろとっくに実家なんて飛び出していたことだろう。

 飛び出す、なんて表現もあさましいくらいだ。舞衣は誰に頼まれたわけでもなく、自分の意思で家族のもとに残ることを決めた。

 だから、羨むことも、文句を言うことも、自分以外の誰かに向ける鬱憤のすべてがお門違いというもの。唯一許されるのは、自分自身の行いに対する後悔だけだろう。

 なら、後悔をしているのか。

 答えは否だ。

 少なくとも、地元に残ることで繋ぎとめることができた時間と絆があった。それは、舞衣にとってかけがえのないものだったと信じている。母親を失い、その隙間を埋めるように、父親と向き合う時間が増えた。父親もまた、決して育児に非協力的であったわけではないが、母親が存命だったころ以上に舞衣のことを親身に考えて来た。

 ただし、口下手であることは、互いに成長の兆しを見せられなかった。否応なしに親子だった。失って如実にわかる。藍田家は、母親を中心に回っていた。

 舞衣も、自分が残ることで母親の代わりになろう、またはなっているなんて、これっぽっちも思ったことは無い。三から一を引いたら二になる。引いた一の代わりはどこにもない。小学生だってできる計算だ。

 だけど、二を引くよりはいいと思った。それは父親のためだけじゃなく、自分自身にとっても同じことだ。あの頃のメンタルでひとりで東京に出ていたら、きっとロクなことにならなかった。地元に残ることは、自分を守るためでもあった。

 だから総じて、舞衣とその母親に対して何の感傷も持たない人間が客観的に語るなら『時期が悪かった』と言える。せめて舞衣がオーディションに合格する前なら。もしくは、東京に行って少しは生活に慣れたあとだったなら。それをバネに、一念発起した未来もあり得たのかもしれない。

 時期が悪かった。

 時間すらも、舞衣を繋ぎ止める。


「疲れた顔をしてるじゃない」


 客席の掃除をしていたら、アマネがぶしつけに声をかけてきた。先がないけどを天井、頭を床に向けた逆さ吊りの恰好でふよふよ漂う彼女は、これまた重力に逆らったポップコーンボックスを抱えて、中のコーンをボリボリと貪っていた。


「前から思ってたけど、それ何味なの?」

「キャラメルって途中で飽きるけど、塩はなんとなく最後まで食べられるわよね」


 アマネはそれらしいことを口にしたものの、舞衣の質問にハッキリは答えなかった。舞衣も、本気で聞いたわけではないので、スルーされたことをスルーして、黙々と仕事に戻る。

 正月休みが明けた平日は、案の定というか、ガラガラだった。特に子供向け映画のお昼の回なんかは、パンク(お客がひとりも入らないことを指す)と、それによる上映中断が相次いだ。営業的には良いことではないけれど、上映中断した劇場は、次の上映時間までの間に普段できないような隅々までの掃除が可能になるので、繁忙期直後にはありがたい。

 しかしながら、映画館という場所が好きな舞衣にとっては、パンクして閑散とした劇場を目にするのは少々心苦しいものもある。だからと言って、何か舞衣にできることがあるのかと言われると、ない。

 フォレストも、人気作品の爆音上映だの、応援上映だのをやって集客に走ることがあるけれど、それは映画館側の努力というよりは、人気作品そのものが持つイベント的ポテンシャルに乗っかっているだけだ。客入りそのものが上映する映画のヒット具合に左右される以上は、周りの競合する映画館との環境やサービスの違いで、お客を取り合うほかない。

 サービスというのは設備投資だけの話ではなく、上映館の少ない、いわゆる『単館もの』を取り扱ってみたり。その仕入れのセンスを競ったり。

 それが地方の映画館の実情である。

 じゃあ、具体的にこの映画館をどうしたいのだろうかと舞衣は考える。とくにはない。小さい頃からよく来たこの映画館を守って行きたい気持ちはあるものの、そのために人生をかける自分の姿を思い描くことはできなかった。

 もちろん、世の中だれしもが、自分のやりたい仕事についているわけではない。だけど舞衣が自分に対して一番危惧しているのは、やりたい仕事のはずなのに特にビジョンが無いという、やる気の空回りみたいな状態の自分自身だった。


「たまには火薬量の多い映画でも観たらどう? 鼓膜から頭の中がからっぽになれるわよ」

「今、そんな映画やってないでしょ」

「別に映画館で見なくったって良いじゃない。DVDにBlu-ray。今じゃネット配信なんかでも観れるんでしょう?」


 ミーハーな幽霊はケタケタと笑いながら、無視を決め込む舞衣の正面に飛び込んでくる。


「しばらく映画観てないでしょう」


 突然のひと言が図星だったのか、それとも単に煙たいだけか。舞衣はうっとおしそうに顔をしかめる。


「しばらくったって数日くらいの話でしょ。年末年始で忙しかったんだって」

「どんなに忙しくても、映画観るのだけが楽しみで生きてますって感じだったくせに?」

「本当に忙しい時は、流石に寝る時間が惜しくなるの」


 社員の話や陽奈のことがあって、何かと休まる暇が無かったのは本当のことだ。オフの日も用事が入りがちだったし、年が明けてから数日、舞衣はろくに映画を観ていなかった。

 好きなことをする時間よりも、寝る時間を優先するようになったのは、いつからか。そもそもオールなんてことをしたことがない舞衣だったが、高校のころにはまだ、明日のことなんて考えずに夜更かしをしたこともあった。

 肉体の疲れは、精神の疲れを凌駕する。

 どんなに眠れない夜を過ごしていても、いずれ身体は限界を向かえて眠りの世界へと誘われる。それは睡眠ではなく気絶だという話だけれど、母親を失ったばかりの舞衣にとっては、どちらも同じことだった。

 自らの意思で睡眠を取れるようになったのは、三回忌を過ぎた辺りから。それまでは、映画をつけっぱなしにしながら、寝落ちを待つ夜が日課となっていた。

 映画を見ている間は、家族が減った事実を忘れられた。というよりも、映画を見ている間は、母親の存在を隣に感じられるような気さえしていた。

 年端もいかない幼いころは、他にもいろんな思い出があったような気もするが、こと青春と呼んで良い期間のほとんどは、映画と演技の研究にあけくれていた。その隣には必ずと言っていいほど、母親の姿があった。母親がいないときは陽菜が。

 マイ(ママ)セレクションは、映画を通して舞衣と誰かを繋いでくれた。舞衣と、舞衣の夢も。

 時間を遡ることはできないが、画面の中に流れている一シーンに、同じシーンを観ていたあの頃を重ね合わせることはできた。

 舞台は生き物とはよく言うが、映画の中に映し出されるものは、役者の演技から息遣いまで、何年先になろうとも、何一つ変わることはない。変わっていくのは、観ている人の環境だけ。変わらざるを得ないことを理解し、納得するために、舞衣は三年ほどの月日を必要とした。

 前に進むと諦めるは、主観的な捉え方の違いでしかない。


「とにかく、今は気分じゃないから」

「そう。つまんないの」


 言い残して、アマネは壁をすり抜けて、どこぞへ飛んで行ってしまった。少しだけ悪いことをしてしまった気にもなったが、舞衣も胸の中のもやもやを追い出すように、目の前の仕事に意識を向けた。


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