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第22話

 舞衣が祖父母の家を発ったのはお昼過ぎのこと。昼食を食べていくように勧められたが、行くところがあるからと断った。車の中で、助手席に置かれたもう一つのお菓子箱を見る。この寒さだし、この天気だし、傷んではいないだろう。舞衣はもう一つの約束を果たすため、車を走らせた。

 かつては何度も通った陽奈の家だったが、車で向かうのは今回が初めてだ。とっくに忘れていると思った道順は、しっかり身体が覚えていた。

 籠目家が建てられた当時の新興住宅街は、ショッピングセンターの建設に抱き合わせる形で分譲が始まったそうだ。はじめは一面を畑に囲まれた僻地だったが、それが今では駅ができ、飲食店ができ、他のショッピング施設が立ち並び、この辺りではめっぽう栄えている区域へと成長を果たした。


 お店がにぎわうメインストリートを通って、住宅街へと足を踏み入れる。昔は目印だった電機屋は場所を移して、今ではレンタルショップに様変わりしていた。それでも土地の形さえ変わらなければ記憶は薄れないものだ。

 陽奈からは『家の駐車場に止めていい』と言われている。言われた通り、二台分ある籠目家の駐車場はそのどちらとも空いていた。平日の昼間だし、両親ともに仕事なのだろう。舞衣はちょっと考えてから、外壁沿いの路肩に車を停めた。

 シュークリームが入った箱を手に、舞衣はドアベルを押す。すぐに人が階段を下りてくる音がして、スピーカーが繋がった。


『待ってて。今、開けるから』


 ドアベルごしに視線を感じてすぐ玄関が開け放たれた。


「舞衣ちゃん久しぶり」

「何それ。着る毛布ってやつ?」


 笑顔で出迎えた陽奈に対して、舞衣の第一声はそれだった。ローブみたいな形をした、白とパステルブルーのボーダー柄の毛布。それにすっぽり包まれた陽奈は、小鳥というよりはおとぎ話の魔女のようにも見える。


「こっちに来た時、お母さんが買ってくれたんだ。雪山はつらいんじゃないかって。温かくて気に入ってるんだけど……似合ってない、かな?」

「似合うと言うか……その、機能的だね」


 そこはかとなくダサい。けど似合ってないわけじゃない。ダサさを着こなせるのは芸能人の特技なのだろうか。彼らのSNSの写真を真似すると、なんと残念なことになる一般人の多いことだ。

 舞衣はもう一度彼女の頭のてっぺんから、ちょっとだけ顔を出すつま先までを見下ろして唸る。


「少なくともセクシーショットではないね」

「何が?」


 この間のネタを引っ張ったつもりだったが、陽奈には通じなかったようだ。無かったことにして、お菓子の箱を突き付ける。印字された店名を見て、陽奈は目を輝かせる。


「わー、買ってきてくれたの? 嬉しい!」

「ついでだったから」

「とりあえず、寒いから入って入って」


 腕から引き込むように、陽奈は舞衣を家の中へと招き入れる。お菓子を渡したら帰ろうと思った舞衣の計画は、申し出る前から切り捨てられた。


「舞衣ちゃんも食べるでしょ? お茶淹れてあげるね」

「いや、食べてきたからいいや」

「えー、誰と!? せっかく仁島さんに貰った紅茶と、駅ビルのジャムもたっぷり用意したのに!」

「それも飲んできた」

「えー!? じゃあ、陽奈は舞衣ちゃんをどうやって『お・も・て・な・し』すればいいの?」

「なにとぞ、お構いなく」


 丁寧に手のふりつきで訴える彼女に、舞衣は両の手のひらを押し出す。

 お小言をつままれながら通された陽奈の部屋は、これまた舞衣の記憶の通りだった――というのは扉が開いて中を見た瞬間だけの話だ。よくよく見るとだいぶ変わっている。


 まず物が少ない。中学のころはたっぷり文が詰まっていた本棚が、今ではスカスカになっている。ドレッサーの上の化粧品も明らかに必要最低限だし、コート掛けの衣類も数が乏しい。東京に持っていったのだろう。

 ただ全体的な雰囲気はそのままだ。白を基調にふわふわした印象の「いかにも女の子」みたいな部屋に、舞衣の目は当時の記憶を重ねてしまったのだと思う。


「クッション、微妙なのしか残ってなくてごめんね。お気に入りのは持って行っちゃったから」

「良いよ。使えれば」


 ベッドの上のクッションを適当に借りて、ローテーブルの傍に腰かける。

 お気に入りと言って、彼女はどれを持って行ったのだろう。少し気になって、舞衣は思い出ついでに記憶の中の映像と照らし合わせてみる。ようは「無い物探し」をすればいい。

 陽奈が愛用していた縁にレースのついた空色の丸クッションと、舞衣が時に座布団、時に枕として使っていたジンジャーマンクッションが今ここには無い。


「あたしのジンジャーマンは?」

「え?」


 地味に懐かしさがこみあげて、答え合わせがてらに尋ねる。陽奈はすぐに何のことが思い至ったのだろう。さっと頬が赤くなる。


「えっと、ほら、陽奈ちゃんあの子を相手に演技の練習してたでしょう。陽奈もそれ真似してたから、持って行っちゃったんだ」


 どことなく恥ずかしそうに答えた陽奈。言われて、そんな事にも使っていたかなと思い出した。確かに人型で扱いやすかったから、場当たり練習のサンドバッグにしていた気もする。それが今では若手スターのご家庭指南役。ジンジャーマンも出世したものだった。きっと彼女の作品を見ては「あの子はワシが育てた」と悦に浸っていることだろう。


「でも忘れないで。あいつを育てたのはあたしだから」

「え? ああ、えっと、舞衣ちゃんが結構使い込んでたから確かにボロボロかも。ママに補修して貰ったこともあるし。でも大事に使ってるよ」


 そこまで大事にされているのならジンジャーマンも本望だろう。

 ありがとうジンジャーマン。

 さよならジンジャーマン。

 舞衣自身、今の今まで忘れていたけれど。


「そもそもあれ、あたしが陽奈の家で使うために持ってきたやつじゃなかったっけ?」

「そう……だったかな。ごめんね。勝手に持って行っちゃって」

「それは良いんだけどさ」


 忘れてしまうくらいどうでもいいやつだったんだ。埃をかぶるよりはマシだろう。


「それで、この間のメッセージのことだけど」

「あ、待ってて。やっぱりお茶くらいは淹れるから」


 本題に入ろうとした舞衣を陽奈が遮る。そのまま彼女は台所へ下りて行って、舞衣は部屋に一人になった。手持無沙汰になり、もう一度部屋を見渡す。よくよく見れば、変わっていないものも沢山ある。


 例えばこのローテーブル。よく一緒に台本の読み合わせをしたり、互いの学校の宿題をするのに使っていた。黒い油性ペンの跡は、将来使うサインを考えていたときに、舞衣がノートからはみ出してつけてしまったものだ。どう頑張っても落ちなくて、陽奈はわんわんと泣いた。

 ひときわ目を引くマホガニーのドレッサーは、中学校に上がった記念に彼女の母親が選んだもの。一生ものだからと背伸びして与えてくれたそれは、流石に東京までは持って行けずに帰省用になっているようだった。

 これを見て、舞衣も両親に自分用のドレッサーをねだったことがある。母親は娘がお洒落に興味を持ったことを喜んでいたが、父親はまだ必要ないだろうと買ってはくれなかった。実際のところ母親のドレッサーを借りて事足りたし、それも今や舞衣の部屋の一部になっている。

 壁に掛けられたデニム製のウォールポケットは小学校の家庭科の宿題だったものだ。あの時は人付き合いだけでなく手先も不器用な陽奈に、文字通り泣きつかれて、舞衣が泊りがけで手伝った。とは言え、舞衣はひと針も通してはいない。隣で観ながら、お手本を縫いながら、アドバイスを出していただけだ。

 おかげで陽奈が完成させるまでの間に四つほどお手本を作り上げてしまったたので、両親と陽奈、それから当時好きだった学校の先生にあげた。

 その陽奈にあげたウォールポケットも見当たらなかった。捨てたか、ジンジャーマンと一緒に上京したか。ティッシュケース付きの力作だったので、現役で役に立っているといいなと思う。


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