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第20話

 その日の夜。いつものように深夜に帰宅した舞衣を、起きていた父親が出迎えた。ほんのり薫る線香に、また『今日のお話』を終えたところなのだと察する。


「毎日、よく話すことあるね」

「会社の愚痴とかな。管理職はいろいろあるんだ」

「お父さんも愚痴とか言うんだ。なんなら娘が聞いてあげてもいいよ」

「馬鹿なことを言わないで、風呂にでも入りなさい。お酒もあるから」

「やったね」


 追い炊きのスイッチを入れた舞衣は、さっそく冷蔵庫を物色する。相変わらず、風呂の前だろうと後だろうとお酒は美味しい。


「そう言えば舞衣。次の休みはいつだ?」


 リビングを立ち去ろうとした父親がふと足を止める。舞衣は缶チューハイに口をつけながら宙を見上げた。


「えーっと……明後日かな」

「もう予定はあるか? なければ老野森に届けて欲しい荷物があるんだが」

「婆ちゃん家に?」


 老野森というのは舞衣の母方の実家の通称だ。老野森という地名の場所にあるから老野森なのだが、どうしてそう呼ぶようになったのか、今ではもう分からない。


「頼めるか?」

「良いけど、軽だからあんまり重いの詰めないよ」

「そこまでじゃないはずだ。玄関に出しておくよ」


 新年の挨拶も済ませていなかったのでちょうどいい機会かもしれないと、舞衣は頼みを聞き入れる。


「ついでに、何か伝えておくことはある?」

「よろしく伝えてくれ。一緒にお金を置いておくから、お菓子でも買っていきなさい」

「任された」


 さっきよりはハッキリと頷く。


「それと、振袖や着付けの予約はしたのか? 父さん、そういうの詳しくないから自分でやりなさい。それもお金は出すから」

「振袖? なんの?」


 はて。舞衣には思い当たる節がなく、首をかしげる。


「今週末だろう。成人式」

「あぁ」


 名前を出されてようやく思い出す。新年二週目の三連休。その休日の名前にもなっている式典だ。年末までは舞衣も記憶の片隅にあったはずなのに、忙しさや陽奈の来訪のせいで、すっかり頭から抜け落ちていた。


「忘れてた」

「今から予約して間に合うのか?」

「分かんないけど別にスーツでも……あれ、というか」


 舞衣はスマホを取り出して業務用のチャットグループを開く。社員もバイトもすべて一緒くたにしたシフト共有用の部屋だ。そこに出ていた最新版のシフト表に目を落とした。


「あ、仕事入れちゃった」


 日曜日の欄に書かれた自分の名前に、どっと疲れが出た。脳内スケジュールから抜け落ちていたのだから仕方がない。三連休と言われれば当たり前に仕事を入れるのがサービス業である。


「なんかもう、行かなくてもいいかな」


 刻まれた自分の名前としばらくにらめっこして、舞衣が至った結論はそれだった。どうせ市長とか、昔の学年主任とかの話を聞くだけの式だ。それ以外は振袖ファッションショーみたいなものだし。旧友と深める仲もそれほどない。

 ところが父親がそれを許さなかった。


「無理をしてでも休みを貰いなさい。それで会社に迷惑をかけるなら、自分の責任として受け止めて他の部分で挽回しなさい」


 諫めるような口調に、舞衣は彼を見上げた。


「ん……わかった」


 びっくりして、考える余地もなく頷く。父親に何かを強要されるのは、久しぶりのことだった。大学受験だって、勧めはするけれど「行きなさい」とは一言も言わなかったのに。舞衣の返事に満足したのか、父親は今度こそ自室へあがっていった。

 リビングに残された舞衣は釈然としないままお酒に口をつける。梅干し味の甘酸っぱさがじわじわと苦みに変わっていく。

 追い打つようにスマホが震えた。陽奈からだった。この時間に来るのは久しぶりのことだった。撮影見学の日を境に、陽奈の連絡は頻度が減った。撮影が忙しくなってきたのだろう。かなりずさんなスケジュール進行だったし、おおかた後の日程にしわ寄せがきているのだろうなと舞衣は思っていた。


『次の休みっていつ?』


 つい先ほど、全く同じ質問をされた舞衣は、すぐに返事を打つ。


『水曜だけど、家の用事が入ってる』


 予定が埋まっていることを先回りして伝えると、すぐに折り返しの返信があった。


『終わってから会えない?』

『また雪山に登りたくはないよ』

『ウチだよ。場所、覚えてるよね?』

『何時になるか分からないよ』

『何時でもいいよ』

『撮影は?』


 数秒と待たずに届いていた返信が、そこで一端途絶える。既読はついているので、打つのに時間が掛かっているのだろうか。それからしばらくして届いた返事はとても短い言葉で綴られていた。


『延期になった』

「……どういうこと?」


 舞衣は画面を見つめて呟く。終わりでも、中止でもなく、延期。

 ここで声に出しても仕方がないので、同様の文面を打ち込む。だが送信ボタンを押す前に、陽奈からの新しいメッセージが届いた。


『会ってくれたら話す』

『あと』


 思いつくまま打ち込んでいるかのように、次々メッセージが加えられる。


『むらやまのクッキーシューが食べたい』


 字面の落差に、舞衣は思わず吹き出してしまう。だが陽奈の様子が全く読めなくて、返事を躊躇した。しばらく画面を見続けても、それ以上陽奈からのメッセージは届かない。あちらも既読通知は見ているだろうし、舞衣は仕方なく受け入れることにした。


『わかった』

『今回だけね』


 何が今回だけなのかは、陽奈の理解力に任せるつもりで。


 翌日になって、舞衣は横尾に成人式当日の休日差し込みを相談した。


「あー、そういえば藍田ちゃんは今年か」


 思ったよりも簡単にOKしてくれて、渋られるのを覚悟していた分、どっと安堵感が押し寄せる。


「すみません、無理を言って」

「いいよ。いつもシフト融通してもらってるし。えーっと……水曜の休みを移せば良いかな?」

「水曜、ですか」

「何か予定あった?」


 舞衣はちょっと考えてから、取り繕うでなく答える。


「いえ、父に用事を頼まれていたので。でもどうしてもその日って話ではないと思うので、用事の日を改めても」

「いいよいいよ。そうだな、有給余ってるならそれ使うことにしてくれても」


 有給。そういえばそんなものがあった。病欠用にと思い、ついぞ使わなかった権利だったが、本来こういう時につかうものだというのを思い出す。


「そうですね。今からでも申請できるのなら、それで」

「了解です。じゃあ申請用紙だけ書いといてくれる?」

「ありがとうございます」


 急なシフト調整をお願いする人なんて社会人として失格だとすら思っていた舞衣だったが、いざ自分が必要性に迫られるとただただ申し訳なさでいっぱいだ。


「人数、足りますか? 交代要員なら私、他の人に頼んで探してきますけど」


 舞衣の申し出を横尾が大げさに手を振って制する。


「そんなに忙しくないだろうし何とかなるよ。いざとなれば支配人に来て貰えばいいし」

「そうですか……ありがとうございます」


 どう大丈夫なのか具体性はまったくないが、彼女が言うと大丈夫そうな気がしてしまうから不思議だ。それくらいフォレストは横尾の力で回っているということなのだろう。


「横尾さんって、実はターミネーターだったりしません?」

「そう見える? 実は……」


 舞衣がぽつりとつぶやくと、横尾は椅子の背もたれに体重を預けながら、サムズアップを頭上に掲げた。


「アイルビーバック」


 声を低くしてシュワルツネッガーの物まねをする彼女は、びっくりするくらい似ていなかった。舞衣は笑いを堪えながら、首を横に振る。


「それ、間違ってますよ」

「あれ、そうだっけ? これは『アスタラビスタベイビー』?」

「それはロバート・パトリックを吹っ飛ばすとき」

「そうだそうだ。『アスタラビスタベイビー』『この間抜け』『頭冷やしな』で三段活用」

「あのころのエドワード・ファーロングは可愛いですよね」

「いいな、久しぶりに観返したいよ」


 笑いながら、横尾は懐かしいシーンに想いを馳せる。舞衣もいくらか気持ちを持ち直して、表の業務へと向かっていった。

 その日は新年の大雪で、空は一面のぼた雪で覆われていた。夕暮れの時の薄暗い駐車場では、バイトスタッフの男の子がせっせと雪を掃いている。片付けた先から積もってしまうので終わりのない作業だ。まるで賽の河原。それでもやらないと、車の身動きが取れなくなってしまう。


 賽の河原と言えば、こらえ性のないアマネにはぴったりの地獄だろう。積んでも積んでも崩される石の塔。ムキになって鬼に当たり散らす彼女の姿が舞衣の脳裏に思い浮かんだ。

 昔っからあんな調子だとしたら、閻魔様も面倒がって入国を拒否したのかもしれない。天国にも地獄にも行けなかった少女。あの世の沙汰にも中途半端はあるものだと、笑みがこぼれた。



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