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第15話

「――いやー、よく来たね! 大歓迎!」


 それから数分後、舞衣は全方位から突き刺さる視線を感じながら、筒井慎一の隣に座っていた。舞台挨拶にもやってきた、あのいかにも業界人風の見た目の、軽薄な監督だ。舞衣の姿を見た監督はそれはもう大喜びで、自分の隣に椅子を用意すると、そこに舞衣を座らせた。


「陽奈ちゃんと友達だったんだね。事実は小説より奇なりって――これは映画だっけ。それはそうと、これ台本ね」


 筒井は無精ひげを気にするようにさすって、一人笑い声をあげた。そうして、手渡された小冊子を、舞衣はわけも分からずに見つめる。


「ええと……これは?」

「その、端っこ折ってあるページ、読んでおいてね」


 こういうのって、部外者に見せて良いんだろうか。当たり前の疑問を抱きながら、ぱらぱらと台本をめくる。


「はじめまして。その舞衣の大親友のアマネですぅ。幽霊役のオファーならいつでもお待ちしてますぅ」


 アマネがいつの間にか、隣で三つ指をつついていた。舞衣は心の中でだけドロップキックを食らわせながら、声をひそめる。


「ちょっと……絶対に騒がないでよ」

「大丈夫。舞衣以外は、誰にも迷惑かからないわ」

「あたしに迷惑かけんなって言ってんの」


 舞衣の懇願を無視して、アマネはすいすいと撮影現場の方へと飛び立っていく。それからカメラの前で笑顔を浮かべてみたり、待機する役者の隣で子芝居をしてみたり。

 その時、着物姿の少女の霊が――なんて、後で心霊特番にテープが提供されたりしないだろうか。この心労、おわかりいただけるだろうかと、目の前の全員に問いたい気分になっていた。

 アマネのことは放っておくことにしても、今はこの台本だ。長い映画の数シーン分を抜き出したであろう台本は、前後の繋がりこそよく分からないけれど、雪国のスキー場を舞台にしたトレンディドラマのようだった。

 舞衣が直接話をしたのは陽奈と、さっきの仁島のふたりだけだったが、現場にはもう何人か見たことがある男女の俳優たちが撮影の段取りを確認し合っていた。


「台本読んだ?」


 顔を覗き込まれるように、舞衣の眼前に筒井の顔が迫る。舞衣は思わずぎょっとしたけれど、監督=この空間で一番偉い人に、真っ向から物申す気概はない。


「ええ、まあ」

「じゃあ、これ、お願いするから」


 さらっと口にして、筒井はト書きの一か所を指さす。そこには「スキー客に挨拶する楓」とあった。楓というのは作中の登場人物で、陽奈の役名である。


「は?」


 完全に寝耳に水の舞衣は、思わずマジトーンで返してしまった。当の筒井は、何でもないことのように返事をする。


「何も喋らなくていいエキストラだから。あ、別に『おはようございます』くらい言ってもいいけど」

「そういう意味ではなくて」

「大丈夫、顔は映らない画になってるから」


 全く話が通じず、舞衣は頭を抱える。そもそも何も知らされていないんだから、状況を説明して欲しいと言うのに。諸悪の根源である陽奈のことを見つめると、彼女はのんびりと準備体操でもするように、カメラの前でうんと背伸びをしていた。


「ここのオーナーの娘さんに頼んでたんだけど、体調崩しちゃったらしくてねぇ。代役探してたわけ。別にスタッフの誰かでも良いんだけど、陽奈ちゃんが『それなら適任がいる』って言うもんだから」

「私、何も聞かされてないんですけど」

「ほんとちょっとだから、ね。ああ、この子ね、エキストラ! 用意してたウェア着せたげて!」


 ほとんど拒否権なんてない様子で、筒井が呼んだ衣装さんに別部屋に連行される。あれよあれよとスキーウェアを着せられると、メイクまで直されてしまった。着物以外で他人に服を着せられるのって、なんか子供みたいで恥ずかしいけど、それを指摘する余裕すら舞衣にはなかった。


「それでは再開します! シーン五十五! カット七! テイク・フォー!」


 舞衣の戸惑いをよそに、遠巻きにそんな声が聞こえる。本当に撮影現場なんだって、扉や壁を隔てながらも、緊張が伝わって来るようだった。


「いいね、バッチリ」


 現場に戻って来た舞衣を見て、筒井は満足げに頷く。すると、こちらに気づいた陽奈もパタパタと駆けてきて、そのままの勢いで舞衣に抱きついた。


「きゃー! 舞衣ちゃん似合いすぎ!」

「スキーウェア似合わない人の方が少ないと思う……てか陽奈、流石に何も言わずにこんなことされるのはさ」

「だって、言ったら舞衣ちゃん来ないでしょ?」

「当然」

「舞衣ちゃんの他に友達いないんだから、どうにか来て貰わなきゃっていう策だよ」


 陽奈は、悪びれることなく笑顔で語る。舞衣もいろいろと言いたいことはあったが、撮影待ちのスタッフたちの視線が少々痛かったので、ここは覚悟を決めるしかないと理解した。


「じゃあ、準備もできたし撮ってしまおう。準備」


 筒井の言葉で、スタッフたちが一斉に動き始める。舞衣もあっという間に所定の位置に立たされて、「ここから玄関のほうに歩いてって。あとは流れで」と、なんとも雑な指導を貰った。

 いきなりの出演とはいえ、役はエキストラ。キャラクターとしては設定も何もない有象無象で、尖った言い方をすれば生きた大道具だ。表情も映らなければ、演技をする必要もない。その一方で、目を引く存在であってもならない。あくまで背景の一部となって、観客の視線はメインの俳優たちに向くように。

 それはそれで、ひとつの「個性を殺す演技」だと舞衣は思っている。

 せめて無難にやりきろうと、気持ちを入れ替えた。陽奈のおこぼれと言うのが何とも腹立たしいところではあったけれど、夢を捨てて地元に残った自分への、一生に一度のご褒美だと思うことにした。きっと、良くも悪くも良い思い出になる。それで良いんだと前を向く。


「それじゃあ始めます! シーン七十六! カット一! テイク・ワン!」


 カチンコを構える助監督の掛け声とともに、世界は非日常に切り替わる。ピリッと肌に突き刺さる傷みは寒さのせいではない。例えるなら陸上で、スタート位置についてからピストルが鳴る直前までのそれによく似ていた。舞台の幕が上がる前とは違う、独特の緊張感。それまでヘラヘラしていたはずの筒井すらも真剣な表情で息を殺し、すべての人が目の前の空間に集中する。


 かつて舞衣が憧れた魅惑の数秒がそこにあった。


 カチンコが鳴り響く。

 言われた通り、ペンションのエントランスを歩き出す。

 向こうから、陽奈と仁島さんが歩いてくる。なんでもない光景が、それだけで大舞台の一幕だった。意気揚々と歩く陽奈の隣で、仁島さんはどこか疲れ切った表情を覗かせる。セリフはなくても、演技は始まっている。

 ふたりとの距離が近づく。

 五メートル前。

 四メートル前。

 三メートル前。

 陽奈から挨拶をするので、それに合わせればいいだけだった。その瞬間までは、彼女たちを気にも留めないようにただ歩く。

 二メートル前。

 一メートル前。

 ほとんど目と鼻の先。そこまで来てようやく、陽奈がぱっとこっちを向いた。


「おはようございます!」


 挨拶をした彼女は、陽奈じゃなかった。たったひと言で……いや、本当はチンコが鳴ったあの瞬間から、彼女はスクリーンの中の存在になっていた。

 籠目陽奈には二つの絶対がある。その二つともを知っているのは、彼女の家族を除けばおそらくは舞衣くらいしかいない。

 一つ目の絶対は、誰もが否応もなしに思い知らされる彼女の演技だ。舞台の上、ないしカメラの前でも良い。役を与えられた陽奈は役そのものになってしまう。それだけを聞けばなんだ当たり前じゃないか、と思うかもしれないが見るべき点はそこじゃない。陽奈は演技中、絶対に「自分」を出さない。言葉の端々、身振り手振りのひとつひとつ、その指先足先まで、彼女らしさが介在する余地はない。演技をしている間、籠目陽奈という存在はこの世から完全に消えてなくなってしまう。

 アマネは、そんな彼女の演技を「役を着こなすのが上手い」と言った。舞衣はその表現を間違いだと思う。着こなしなら、良し悪しの判断は「似合っているかどうか」になる。基準は服を着ているその人の自身。彼女の場合はその逆で、見た目はあくまで籠目陽奈のまま。だがその中身の方が全くの別人に入れ替わってしまう。陽奈の外見をした誰か。ターミネーターだ。液体金属を纏った機械の人形が、代わる代わる彼女を演じていると言われても舞衣は疑わない。

 陽奈はこれを劇団の稽古の中で身につけた。小五の夏、舞衣と陽奈が出会った『ヘンゼルとグレーテル』でのことだ。


「――カット!」


 その言葉が鼓膜と脳を揺らすまで、舞衣の意識は完全に飛んでいた。あれ、会釈したっけ――自分でも訳が分からない状態で、一抹の不安が募る。助監督が無言で筒井の表情を伺う。筒井は偉そうに組んでいた手を解いて、頭の上で大きく丸を作ってみせた。


「はい、オッケーです!」


 現場の空気が弾ける。とは言えすぐに次のカット撮影の準備に移行するので、気を抜いたりしているわけではないが、それでも、非日常が日常に戻って来たのを肌で感じる。


「あれ……あたし、ちゃんとできてました?」

「おっけーおっけー。落ち着いてて良かったよ」


 相変わらず軽い筒井の物言いは、不安を払拭してくれるものではなかった。だが監督が良いと言っているのだから良いのだろうと、無理矢理自分を納得させる。


「――素敵ね」


 アマネの言葉に、舞衣ははっとする。そう言えば、今までどこに行っていたんだろう。突然の撮影で気にしている余裕が無かったというのもあるけれど、なんだか数日ぶりにその憎たらしい顔を見たような気分にさせられていた。


「なにそれ。皮肉?」

「陽奈ちゃんのことよ。あれが映えるってやつ?」


 舞衣は心炉の中で同意した。口にするのが、なんだか悔しかった。あの頃、一緒に舞台に上がっていたはずの陽奈は、とっくに手の触れられない、銀幕に隔絶された向こう側の世界に行ってしまった。

 それを目の前で見せつけられたような気分だった。

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