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第12話

 陽奈の襲撃からしばらく、ようやくフォレストに日常が戻って来た。十二月も半分を過ぎて、カレンダーは徐々に年末へと向かっている。世間がすっかりクリスマスムードやら年越しムードやらに包まれている中で、劇場は戦々恐々とした空気を醸し出す。

「うーん、行けるか……? ぎりぎり……行けるか?」

 事務室では横尾が、シフト希望表を片手に唸り声をあげていた。きたる年末年始のオーダーに頭を悩ませているところだった。

 映画館がサービス業という職種である以上、世間が休みの時ほど忙しい。中でも盆と正月は戦場だ。

 毎年分かっていることなので、職場側もそれに向けてバイトの一斉募集はかけている。だがそれに募集するかどうかは別の話で、ギリギリまで人が集まらない――なんて年もあるという。そして今年がまさしくその厄年だった。

 もっとも、人員が足りさえすれば良いと言うものでもない。戦いを切り抜けるには兵士としての練度が必要だ。最低限で劇場の掃除。次いで食品やグッズの販売。極めつけにチケットの販売ができるようになれば、もう一人前のソルジャーだ。

 しかし繁忙期の直前に入社するということは、十分な練度を得る研修時間が足りなくなるということ。毎日フルタイムで入れます、というやる気に満ち溢れた志願兵でない限りは、すべての業務を覚えて貰う時間はない。

 苦肉の策で行われるのが「掃除だけは任せてくれ!」「食品の扱いだけは任せてくれ!」といった一定分野におけるスペシャリストの育成だ。これはこれで有効な采配ではあるものの、スペシャリストは「そのセクションでしか働けない」という当たり前のデメリットを持つ。結果として特定セクションだけ人が多くなったり、逆に人手が足りないセクションが生まれないように、横尾がシフトの調整に頭を悩ますのである。

 一人前の兵士をテトリスの「縦一本の棒」とするなら、その他の兵士はすべてカクカクに折れ曲がったその他のブロックだ。それくらい、映画館の仕事は細分化されて多岐にわたる。

「藍田ちゃん、希望休ないけど大丈夫? こっちは助かるけれど」

「良いですよ。予定もないですし」

 舞衣は向かいのデスクで、大量の売り上げ票に向かいながら答える。さっきから何度電卓を叩いても九九〇円足りない。

「ほんと助かるよ。もちろん休みなしって事はないから」

「それだけは頼みます」

 流石の舞衣でも、休日なしは心身共に堪えてしまう。彼女がなあなあでなく働けるのは、会社もまた法律に対してなあなあでないからだ。ブラックだとかホワイトだとかそういう話ではなく、規則に対して緩くてもルーズでも、舞衣の性格上その会社に居続ける事が苦痛になる。高校のころはそれでバイトを転々としたし、学校でも同じことをしたくなかったから部活動にも入らなかった。高校の人間関係が希薄なのは、この辺りにも理由がある。

「よーし、できた!」

 やがて横尾が独り歓声をあげる。PCの画面を前に両手を挙げてガッツポーズ。それだけでなかなかの自信作であることが理解できた。

「頼むから休むなよ~。インフルとか掛かるなよ~。朝礼でうがい手洗い徹底させなきゃな」

「今年は新型も流行ってるみたいですからね」

「そうなの? うーん、心配だなぁ」

「あと、今日の売り上げマイナス九九〇です」

「はいはい――って、また合わなかったか」

「またですね」

 舞衣はぐったりとした様子で、書類ボックスから業務ミス改善報告書を引っ張り出す。さぁ、なんと書いてやろう。とりあえず今夜の残業は決定した。

「まいったな。いい加減に本社から注意を受けてね」

「すみません」

 横尾はシフト完成の喜びもすっかり失って、バツが悪そうに頭をかく。舞衣はその表情から、結構な大事になってるんだろうなと察した。

「プラスだったりマイナスだったり過不足はまちまちだから、横領とかじゃないと思うんだけど……犯人捜ししなきゃだめかなぁ。嫌だなぁ」

 この場合の「嫌だなぁ」は「面倒だなぁ」という意味ではない。下手に騒ぎ立てて、当人が居づらくなったり、辞められたりするのが嫌なのだ。人員が欠けて欲しくないのと同時に、単純に後味も悪い。

「繁忙期前の再研修ということで、一人一人レジ打ちのルーチンを確認したらどうです。それで打ち間違えそうなルーチンをしてる人に個別に指導をすれば」

「あー、それ良いかもね。そもそも間違えてるのは特定の誰かじゃないかもしれないし。OK。採用。フォースの導きをありがとう」

「フォースと共にあらんことを」

 横尾は朝礼用の業務ノートを取り出すと、レジ打ち再研修の旨を書き加える。舞衣もありがたく報告書の「改善案」の項目に同様のことを書きつけた。

「こういう悩みも今回で最後かな。来年からウチにもセルフレジが導入されるって」

 初耳だった舞衣は、ふと報告書から顔をあげる。

「コンセッションだけだけどね。チケットとグッズは従来通りだから大きな変化にはならないと思うけれど、いずれは全部セルフ化したいって本社会議で方針が出たみたい」

 時代は変わっていく。一度はレンタルショップの普及で大打撃を受けた映画館業界は、いまや動画配信サービスの台頭で新たな佳境に立たされている。

 都会では当たり前になって来たセルフ決済サービスも、人手不足に直面している地方にこそ必要とされている。もちろん利用者だってはじめは戸惑うだろけれど、いずれは慣れていくものである。接客業なのに対面しない寂しさは、一過性のものでしかない。

「そんなの映画館じゃない、みたいな顔してるね」

「ちょっと前に、似たような話をしたなって思い出してただけですよ」

 横尾にからかわれて、舞衣はちょっとだけムキになって答える。

「どんなシステムに変わったって、黒字になればそれがその時代の映画館の形なんです。ボランティアじゃないんですから」

「それはごもっとも。テンション高いだけのお祭り映画が大好きだけど、職員としては売れる映画はもっと好き」

「なんか、話ずれてません?」

「あれ、そうかな?」

 自然と会話が切れて、舞衣は報告書に向き直る。残りの項目も過不足なく埋まったのを確認すると、売上報告書と一緒に横尾のデスクへと差し出した。

「それじゃ、お先に失礼します」

「お疲れ様。藍田ちゃん、明日は休みだっけ。何するの?」

「特に予定ないですね。天気が良かったら掃除して布団でも干します」

 あっさりそう答えると、横尾は意外そうな残念そうな、曖昧な顔で頷いた。

「陽奈ちゃんと会ったりしないの?」

「たぶん仕事でしょう。特に連絡ないですし」

「そっか」

 横尾の質問の意図を測りかねて、ぶっきらぼうになってしまう。そこから特に話が続くでもなかったので、舞衣は「お疲れさまでした」と言って職場を後にした。


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