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第10話

『あー、藍田ちゃん? そろそろ大丈夫だって陽奈ちゃんに伝えてくれる? あと、そろそろ戻ってきてくれると嬉しいなぁ……うっぷ』

 渡りに船のように横尾の通信が響いた。舞衣は救われた思いでインカムをとる。

「分かりました――表、もう大丈夫だって」

「そっか。じゃあ映画観よ――って、見るつもりだったやつ、もう始まっちゃった。うーん、何かおすすめない?」

「私が選んでいいなら適当にチケットとってあげるけど」

「わー。久しぶりの『マイ・セレクション』だね」

「ああー……あったね、そんなの」

 中学校のころに二人でよくやっていた、舞衣の一存で映画やDVDを見る会。その名も『マイ・セレクション』。

 しかしながら、当時の陽奈はなんでもかんでも舞衣と一緒に過ごしたがったので、結局はほとんどが『マイ・セレクション』な日々ではあったけれど。

「面白そうなことをやっているのね」

 アマネが目を輝かせる。もちろん陽奈には見えてないので、舞衣は喜んで無視をすることにした。

「陽奈はそう呼んでいたけど、ほとんどは『マイ・ママ・セレクション』だったよ。あたしも勉強のつもりだったもん」

「うーん……言われてみれば、たまにえげつないのもあったね。『冷たい熱帯魚』とか今でもトラウマだよ」

 笑顔がほがらかな演者がそのままの調子で演じるサイコな殺人鬼に、恐ろしい一方でどこかニヤリともしてしまう、そんなホラーサスペンス。

「あたしは好きだけど。ホラーとコメディの境界を上手く泳ぎ切ってて」

「熱帯魚だけに?」

 アマネが鬼の首をとったように微笑んだので、舞衣は無言で平手を振るう。当然、渾身のツッコミは彼女の身体を通り抜けて空を切った。

「やだわ。私のボデーはもう透明よ」

 座敷童がケラケラと愉快な声をあげて部屋の中を跳ねまわる。いっそ視界から消してしまいたくて、苦し紛れに目を覆った。

「舞衣ちゃん、血と涙が大好きだもんね」

「誤解のある覚え方しないで。ほら……お母さん、勧めた映画は観ないと怒るから」


 ――お勧めを教えてあげるのは良いけど、絶対に観てくれる?


 それが映画の話をするときの母親の口癖だった。陽奈以上に彼女のお勧めを観ている舞衣は、すっかり母親の趣味が移ってしまったと言ってもいい。

 母親も大のホラー好きだった。

「あー……あの映画思い出したら気分が沈んできちゃった。舞衣ちゃん、なんか楽しくなれる映画が良いなぁ」

 陽奈が顔をしかめながら舞衣の腕をぎゅっと掴む。楽しくなる――ようは大衆向け娯楽映画と言えば横尾の得意分野だ。今やってるので彼女の評判が良かったのは――そんなことを考えながら、舞衣は陽奈たちと連れ立って休憩室を後にする。

 陽奈と一緒に過ごした時のことを、こんな風に思い返せる日がくるなんて、舞衣は思っていなかった。


 ロビーからシアター内に消えていく陽奈を見送って、舞衣は大きく息を吐く。五年分の疲れを吐き出して、代わりに新鮮な空気を吸うと、何もかもがまるっきり新しい世界に変わったかのような気分だ。

 魔女の魔法をひとつ克服したよな充実感だ。

「さっきの『マイ・セレクション』っていうの? あれ、私にも選んで欲しいわ」

 一息つくのを見計らったかのように、アマネがきらきらした笑顔ですり寄る。

「あんたは今やってる映画、全部観たでしょうが」

「青春がなかった私に、舞衣の青春を分けてくれたっていいじゃない」

 そう言えばこの幽霊は、見た目通りなら小学生くらいの年代で亡くなっている。その割には口が達者で物も知っているけれど、それは死後の年の功というやつなのかもしれない。

 舞衣は値踏みをするように彼女を眺めてから、ぼそりとつぶやく。

「妬いてるの?」

 アマネは狐みたいに目を細めて、にんまりと口角を吊り上げた。

「悪い? 私だけが友達だと思っていたのに。裏切られたのはこっちの方だわ」

「……あたしってそんなに友達いないように見える?」

「えっ、違うの?」

 イラッと来たが、図星なので言い返せない。舞衣は仕方なく、上映リストに指を走らせた。

 高校在学中までは友達と呼べる相手は人並みにいたはずだ。ただ中学の友達も、高校の友達も、卒業と同時にぷっつりと関係が切れてしまった。

 それを悲しんだりすることは一切なかったが、そういう付き合いしかしてこなかったことは認めなければならない。

 愛想、相槌、妥協。一番嫌ったはずの「なあなあ」を、あの頃の舞衣は過ごしていた。

「やっぱり、全部観てる相手に選ぶのは難しいよ。どれが好きでどれが微妙だったかも知ってるのに」

「じゃあ、今あなたが観たい作品を選んで。そしたら気持ちを共有できるかも」

「そう言われたって――」

 今上映している映画で、舞衣が観ていない作品はたった一つしかない。もちろん既に観た映画を選んだって問題はないのだろうけれど、今なら素直にその一つを選べるような気がする。

「じゃあ、私の代わりに見てきてくれる?」

「ええ、分かったわ」

 するりとアマネの姿が壁の向こうに消えていく。一人残された舞衣は、表示されたタイトルを指でなぞった。

 その映画を選んだのは偽りのない本心だ。

 だけど「代わりに」と願ったのもまた本心だ。

 陽奈と再会して、舞衣はハッキリと自分の想いを理解した。


 あたしは、これから先も陽奈の映画だけは観ることができない――と。

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