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第3話

 それからというもの、アマネは、仕事中の舞衣に執拗に絡んでいった。見れば見るだけ、彼女が本当に幽霊なんだということを理解する。

 足が無いのはもとより、空は飛ぶわ、壁はすり抜けるわ。突然現れたかと思えば、今度は消えてみせたり。少なくとも劇場にいる他の誰にも彼女の姿は見えておらず、お客さんも気にも留めようとしない。

 なんというか、イメージ通りの幽霊らしい立ち振る舞いに、舞衣は感心すら覚えた。

 アマネはもっぱら昼夜問わず劇場にいて、営業中は大抵どこかしらかのシアターで映画を観ていた。映画館に強い思い入れがあるとか、恨みがあるというわけではなく、長い長い暇つぶしの娯楽として居ついているのだという。

 誰かを呪ったりしたこともない。そもそも、どうやったらそんなことができるのか分からないそう。山村貞子先輩を見習って欲しいものである。もしくは同じ少女霊でも、河合美津子ちゃんの方が自主性がある。

 彼女が観る映画のチョイスは、上映中の作品から未視聴のものを選び、全て見てしまった後はその時の気分で視聴済みのものを再視聴を繰り返しているという究極の雑食だった。

 そうして何かしらかを観終えては舞衣のところに現れ、聞いてもいない感想をべらべらと語り聞かせるのだ。それが仕事中だろうと接客中だろうとお構いなしなものだから、舞衣の感心は次第にコバエが耳元を飛び回るような、うっとおしさに変わっていった。

 だから出会ってからゆうに一年も超えたころには、

「ホラーとコメディって紙一重だと思うのよ。やりすぎはよくないわよね。怨念がおんねん、なんて言葉ふたつ重ねただけでおやじギャグになっちゃうわ」

「あんたの存在こそギャグであってほしいと願ってるよ」

 なんて、すっかり打ち解けた間柄になっていた。

「いやだわ、舞衣ったら。そんなに私のことが大好きだなんて照れちゃう」

 頬を染めて身をよじるアマネを無視して、舞衣はシアターのモップがけにいそしむ。いくらうっとおしいとは言っても、流石に一日中無視だけしているのはそれはそれで疲れるものだ。

 というよりも積もり積もっていく苛立ちを、どこかで発散しなければならない。そのチャンスがたいていの場合は、アマネとふたりきりになれるシアター掃除の最中なわけだが、あちらもそれを理解しているのか、この時は口数が増える。

「さっさと成仏しなさいよ」

「いやよ。自分の人生が短かった分、他人の人生を娯楽にするのが生きがいなんだから」

「微妙に返しづらいギャグはやめて」

 とりあえず、こうなるまでの間に舞衣が理解したことは、アマネは人をイラつかせる天才ということだ。

 出会って間もないころは、積極的なアプローチも話せる相手ができて嬉しいのだろう、という程度に思うこともできた。

 しかし流石に業務の邪魔なので仕事中は控えてくれるように頼んでみると、次の日からさらに忙しい時を狙ったようなタイミングでの付きまといが待っていた。とにかく人を困らせることが好きらしい。

 それからというもの、行動に悪意がある霊=悪霊だと理解した舞衣は、苛立ちを態度に出すのをためらわなかった。一時期は除霊にチャレンジしたこともあったが、ネットで見かけるような方法はまったくと言って良いほど効き目がない。ネット上のオカルト知識なんてそんなものか、なんて妙に納得もする。

 だが、全てが全て無駄というわけではなかったのが、不幸中の幸いだ。

「はい、掃除終わり。今日はこれから子供会の団体鑑賞があるから、ほんと出てこないでよ。子供には時たま見られることがあるんでしょ?」

「大丈夫よ。気づかれないように混ざって一緒に泣いたり笑ったりするのは得意だから。もっとも、気づかれたらその子たちの方が泣いたり笑ったりできなくなっちゃうけれど」

 一応注意はするものの、アマネが言うことを聞いてくれたことはない。そんな時、舞衣は何も言わずにそっとポケットから『それ』を取り出すのだ。

 その瞬間、アマネは笑顔を引きつらせて、距離を取るようにそろそろと離れていく。

「OK……わかった。話し合いましょう。大人しく他のシアターに居るから。だから、それは仕舞ってくださいどうかお願いします」

 舞衣が取り出したのは、スティックのりみたいな大きさのスプレーボトル。コンビニでもよく売ってる口臭対策のミントスプレーだ。

 ミントがダメなのか、他の成分がダメなのかは分からないが、これを吹きかけられると涙がちょちょぎれるほどの傷みが全身に走るらしい。例えるなら、真っ赤に日焼けした状態で熱々のお風呂に入った時のような。

 なんとも地味だが、好んで味わいたくない痛みであることは確かなので、お守りとして仕事中は常に持ち歩くようにしている。そもそも痛覚があるのかって話もあるけど、相手が嫌がっているならと、舞衣もそれ以上考えることは放棄した。

 一説ではゴキブリもハーブの香りが苦手らしい。どこでも現れる点はアマネも同じようなものなのかもしれない。もっとも雪国育ちの舞衣は、ゴキブリというものを生まれてこのかた一度も見たことがない。

 舞衣は言質をとったうえでスプレーをポケットにしまった。その姿が完全に見えなくなると、アマネも引きつった顔を元にもどした。

「暴力に訴えるなんてひどいわ。生まれてこのかた、お父様にもぶたれたことがないのに」

「それで解決できることなら、いくらでもひっぱたいてやりたいわ」

「やぁね、今のはギャグよ。聞いたことくらい――あっ、あー! ごめんなさい!」

 さながら西部劇のガンマンのごとく容器を抜き放った舞衣は、アマネに向かってスプレーを吹きかける。みるみる涙目になりながらのたうち回る彼女の姿をみると、心があたたかく安らいでいくのを感じた。

「ひどいわ。ジグソウだってもうちょっと手心があってよ」

「あたし、アマンダ・ヤングの方が好きだから」

「慈悲もなしね」

 不意に浮かべたしたり顔がなんだか憎らしくて、舞衣はアマネの顔に向けてスプレーを吹き付ける。アマネはまた短い悲鳴をあげて、震えながらふらふらと墜落した。

「今のはなぜ!?」

「慈悲もなし」

「理不尽よ! あと、顔はデリケートだからやめて!」

 だったら次からも顔を狙ってやろうと心に決めて、舞衣はスプレーをしまう。アマネはごしごしと顔をぬぐいながら顔を上げた。

「そう言えば、舞衣はもう『シリウス~』は見たの?」

 その問いかけに、舞衣は僅かに息をのんで肩を小さく揺らした。シリウスと言っても天体観測の話ではないことは、よくよく分かっていた。

「いや、まだ」

「そう。ロードショーは一週間以内に見るあなたにしては珍しいわね」

「今は他に見たい映画がいっぱいあるから」

 舞衣は話半分に答えながら、掃除用具を備え付けのボックスに片付け始める。そのやるせない様子に、胸の内で黒いローブを着た魔女がカリカリと爪を立てているかのようだった。

「あの主演の子、良いわね。前も別の映画で見たことがあるわ」

「そう。あたしはあんまり興味ない」

「あの子、役を着こなすのがとても上手ね。何ていうかい意味で役ごとに豹変するっていうか……あの歳であの着こなし方は、そうそうできることじゃないわ」

「そうなんだ」

「はやく観て語りましょう。それにほら、今週末でしょう? 私はスクリーンの彼女しか知らないから、とても楽しみ。ええと、確かお名前は――」

 そう語る彼女に何も返さず、舞衣はシアターを後にする。残ったアマネはその背中を見送りながら、きょとんとした様子で瞬きをした。

「舞台挨拶は顔を出すなって言われると、身構えてたのだけれど」

 ある意味で肩透かしを食らってしまったアマネは、つまらなさそうな表情でふわりと宙に消えていった。

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