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第2話

 好きな映画は何かと聞かれたら、舞衣の頭の中にざっくりと並ぶパッケージは、どれもホラー映画だった。

 実際に地元の映画館「フォレスト」の契約社員の面接で、同じ質問をされた時、思い浮かんだホラー映画リストの中から気分で『リング』の名前を挙げた。呪いのビデオテープを見たら一週間後に死ぬというアレだ。それから面接担当の人とホラー映画談義で話が弾み、そのことが採用の決め手になったのだということを彼女は信じて疑わない。

 面接担当は横尾と名乗る、人当たりのいい女性社員だった。入社後に聞いた話では、彼女の一番好きな映画は『ゴーストバスターズ』なのだという。

「藍田ちゃん。プロトンパックで貞子に勝てると思う?」

「ビームでおばけ捕まえるあれですか? うーん、貞子はどの映画版?」

 横尾のひと言から始まった『日本映画界が誇る最凶の怨霊vsニューヨークのイカれたオヤジたち』の戦いは、思いのほか白熱する結果となった。

 貞子とバスターズの戦いは、ひいては幽霊とテクノロジーとの戦いだ。舞衣の高校時代の物理・化学の点数は決して良いものではなかったが、物語に込められた設定を読み込む力なら負ける気はしない。

 結果的に「七日目にならないと霊体として出てこない」という隠密性と、「現世に現れた時点で勝ち」という特性が決め手となり、ベルトは貞子の頭上に輝いた。

 ゴーストバスターズができるのは結局のところ消防隊のような対処活動なので、予防したり、潜伏中の幽霊をどうこうすることに対しては、弱い部分があった。

 横尾も好きな映画が勝って欲しいという想いがあったのか、「テレビから這い出る」というルールを逆手にとって「捕獲用のトラップを、あらかじめテレビの下に置いておく」という戦術を用いて勝負に出た。

 しかし、カーナビや携帯電話などあらゆる画面から飛び出す貞子に対しては、どこから出るのか予測するのは難しいという舞衣の切り替えしで、Jホラーの面子は保たれた。

 最近はインターネット上でユーチューバーじみた影響力を持っているし、ますます力をつける貞子選手である。怨霊界の未来は明るい。

 そういう話をしているとオカルト好きと認識されることもままあるが、舞衣はあくまで「ホラー映画」が好きであると口酸っぱく語っている。映画、すなわちエンターテイメントとしてのホラーを好んでいるわけであって、それこそ悪霊が実際に人を呪い殺したりなんて微塵も考えたことがない。

 もっとも、過去に一度だけ幽霊らしきものを見てしまったことはある。

 高校三年の夏の夜。なんだか寝付けなくてお茶でも飲もうと台所へ降りて行ったところ、コンロの前に母親らしき女性の姿を見た――ような気がした。一瞬のことだったので断言はできない。ただ、お盆の時期でもあったし、お母さんが帰って来てたんだな――と、ハートウォーミングな出来事として記憶の片隅に留めている。

 ほかは怪奇現象どころか心霊写真の一枚も撮ったことがないという、世間一般的な霊感のない人間だ。

 だから仕事中に出会ったその少女の事も、はじめは「変わった女の子だな」程度にしか思っていなかった。

 この映画館には、ちょっとした怪談話がある。

 ――映画を見ている最中、誰もいないはずの席に着物姿の少女が座っている。

 ただそれだけのことで、お客が憑りつかれたり、寺生まれの霊能力者が出てきたり、それこそ貞子のように殺されたりはしない。口コミでまことしやかに囁かれる、どこにでもあるような単なる噂話だ。

 しかし、フォレストへ入社した年の夏……舞衣は、に出会ってしまった。

 いろいろなことありすぎだろ、夏。と好きな季節と嫌いな季節のナンバーワンをダブルで受賞しそうなほど、彼女にとっての事件は夏にばかり起こっている。

 ちなみに嫌いな季節のナンバーツーは冬で、好きな季節のナンバーツーは春だ。冬は雪国育ちのくせに寒いのが苦手だからで、春はその冬が終わって気分が上向く季節だから。

 ともあれ夏の平日のある夜、その日最後の上映を終えた舞衣は、掃除をするためにシアターからお客が出払うのを待っていた。平日となればシアターひとつあたりのお客の数なんて微々たるものだ。ほんの二~三組の客の流れを見送って、掃除用具を片手に場内へと足を踏み入れる。

 入場したお客はなんとなく特徴で覚えていたので、もう中には誰も残っていないはず……と、油断して口笛を吹いていたのが運のつきだ。

 シアターに入って数秒、ポリポリとポップコーンを咀嚼する音が聞こえて舞衣ははっとする。後ろの方の隅の席にお客が一人まだ残っていたのだ。

 ただし、その姿は人間と言うよりは等身大の日本人形とでも表現するべきだった。

 真っ先に目に付いたのは身に纏っていた真っ赤な着物だ。年齢は十歳前後だろうか。七五三帰りというには、ちょっと歳がいっているように見える。

 髪は黒い艶やかなおかっぱで、くりくりとした瞳がその下に覗く。膝の上には小さな身体には不釣り合いなビッグサイズのポップコーンカップを抱えて、ポリポリと小鳥みたいにポップコーンをついばんでいた。

 右手がカップからコーンを口に運ぶたび、着物の袖がひらひらと舞って蝶々のようだった。

「最近のラヴロマンスは攻めっ気がないわね。たいていやり尽くされちゃったのかしら」

 可憐な姿に似ず、歳不相応に落ち着いたトーンで少女は語る。その通ぶった感想は誰にあてたものなのか。たったいま上映されていたのが恋愛要素皆無の、爆発と銃撃戦がウリのハリウッド映画だったことだけは、舞衣も覚えていた。邦画のラブロマンスも上映していないわけではないが、それは隣のシアターの話だ。

 少女は、それからも独り言のように映画の酷評を口にする。舞衣も観たから分かるが、どうやらその感想は、隣のシアターでやっている邦画のものに間違いないらしい。時々出てくる役者の名前や展開への言及が、記憶の中のそれと一致した。

「そもそも配役に無理があったのよ。主役の子は頑張っていたけれど、アイドル俳優じゃ雰囲気が綺麗すぎるわ。腕っぷし自慢の元極道シェフなら、もうちょと色気と野性味あふれる子じゃないと」

 それは確かに、と舞衣は心の中で思わず頷いていた。同時に、いつの間にか彼女をじっと見つめてしまっていた自分に気づく。

 いまどき普段着で着物、それも子供でというのはかなり珍しいものだったせいもあるが、流石に失礼だと感じて視線を逸らした。

 保護者はどこへ行ったのだろう、と舞衣はもう一度場内を見渡す。流石にこの時間の上映に十余歳の少女が独りで入っているとは考えづらい。

 そもそも、この映画はR15ではなかったか。あれ、PG12だっけ。記憶をたどっている間も、少女は一向に席を立つ気配がない。

 お客さんが完全に出るまでは掃除をしてはいけない決まりがあったので、このままでは一向に仕事が進まない。流石に声をかけようと、舞衣は改めて少女に向き直った。

「ご来館ありがとうございました。忘れ物に気を付けてお帰りください」

 たとえ個人に対してのお願いでも、場内では全体に向けるかのように言うのがよいと習ったのは、この春先までお世話になっていたファミレスでのことだ。個人に向けて「あんた、迷惑だよ」と言うよりは、「この店はそういうルールになっているんだ」と客自身に気づいてもらう方が面倒は起きない。

 たいていの客はこれで退席の準備を始めるものだが、少女は、まるで聞こえていないかのようにポップコーンをむしゃむしゃと咀嚼していた。

 席の座部の上に正座をして、ポリポリ、ポリポリ。

 ついばむようにというのは言い得て妙なもので、その幼い口では、握りしめたコーンの山を頬張りきれず、ぽろぽろと食べこぼしてしまう。真っ白なコーンが赤い着物の上を弾んで落ちていくのが、傍目にはどこか微笑ましいとさえ思える。

 流石に立て続けに注意するのも気が引けたので、舞衣はしばらく彼女の動向を見守る。箒と塵取りを手に持って、これから掃除するよ~という意志表示はしているものの、どのくらい通じているのか分からなかった。

 しばらく不動明王のように構えていると、ふと舞衣と少女の目があった。ニコニコと笑顔の舞衣に対して、少女は、相変わらずポップコーンをポリポリとついばむ。

 ニコニコ。

 ポリポリ。

 ニコニコ。

 ポリポ――

 不意に少女の手が止まる。それがちょうど口にコーンを運んでいた時なものだから、行き場を失くした白い欠片が雪崩のように赤い斜面を転がった。

 少女は辺りを見渡してから、塩まみれの指先で自分の顔を差す。その通りだから早く出て行って欲しいな、とは流石に口にできない舞衣は、なんとか笑顔だけをキープする。

 やがて少女の方もにっこりとほほ笑み返すと、ぴょーんと勢いよく席から飛び上がった。

「あっ……!」

 咄嗟に、彼女が放り投げたポップコーンボックスを目で追った。白くてふわふわした粒が、綿菓子のように宙に広がる。そんなことをされたら、この後掃除が面倒に――そんな、従業員の都合で頭がいっぱいだった舞衣の目の前で、目を疑う事態が起こった。

 ポップコーンは、そのボックスごと空中で消えてしまったのだ。例えるならそう、忍者が去り際にドロンするみたいに、ふわっと僅かばかりの煙を立てるように。

 文字通り、ムジナにでも化かされたような気分で、舞衣はその場で固まってしまった。

 今のはなんだろう。てじなーにゃ?

「あら。あらあらあら」

 眼前に、ぬっと少女の顔がドアップで現れた。いつの間にか、少女が文字通り目と鼻の先まで迫っていた。

 彼女はいろいろな角度から嘗め回すように舞衣を見る。訳の分からない舞衣はイラっとしながらも、相手はお客さんだからと愛想笑いを浮かべて見せた。

「えっ……あっ……何か?」

 カドがたたないように。カドがたたないように。心の中で念仏みたいに繰り返していたが、あまりにじろじろ見つめられるものだから、恥ずかしさの方が勝って視線を逸らす。瞬間、舞衣はぎょっとした。

 少女がずっと正座していたものだから気づかなかった。彼女の脚の先が――具体的にはくるぶしから先が、煙みたいなもやに包まれて存在しないのだ。

 じゃあどうやって立っているのかと言えば……考えるまでもない。浮いているのである。

 舞衣が目を白黒させていると、少女はくすりと笑って、先ほどのポップコーンみたいに勢いよく宙へ飛び上がった。そのまま曲芸師みたいにくるりと宙返りをすると、膝を抱えるような格好でぷかぷかと滞空する。

「驚くと黙るタイプなのね。久しぶりに人と話せたっていうのに甲斐がないわ」

「は? え?」

「もしくは、実はそれほど驚いてない? もともと見える人なのかしら?」

 少女が小首をかしげながら、またじろじろと舞衣を見つめる。舞衣の方はというと言葉を探して口だけぱくぱくさせているだけなので、やがて少女がくすくす声をあげて笑った。

「もしもーし。聞こえてらっしゃる? お庭の鯉でも食事どき以外はお行儀がよくてよ」

「ええと……鯉なら甘露煮が良いです」

 そういう話ではないが、咄嗟に口にできたのはその程度の言葉だった。予想外の答えが面白かったのか、少女は先ほどよりも大きく肩を揺らす。

「お正月によく食べたわ。くたくたに煮込まれてねっとりと味の染みた肝が好きだったけれど、あなたは?」

「え……あ、あたしもどちらかと言えば、身よりは肝が」

「良かった。じゃあ、私たち友達ね」

「はい?」

 飛躍した会話に、舞衣は思わず素になって問い返していた。少女は伸びあがって、慣れた手つきで裾を正す。

「さっきの口笛はゴーストバスターズ? せっかくお友達になれたのだから退治しないでね。どちらかと言えば人懐こいキャスパーのつもりで頑張るから」

「いや、待って。あたし、まだ――」

「私はアマネ。アマネちゃんでも、アマネさんでも、アマネ様でも好きに呼んでね」

 この瞬間から舞衣は、目の前の幽霊にある意味で憑りつかれてしまったのだ。

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