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第561話 言珠

斜陽街。一番街にあるいつものバー。

無愛想ではないが表情の硬いマスターが、

何やらカクテルみたいなものを作っている。

ステアをクルリと。

氷の涼しげな音が響く。


このバーには、妄想屋の夜羽という、

妄想を録音したり再生させたりしている、

そんな妄想扱いの奇妙な人物がいる。

マスターは作ったカクテルを、

その、夜羽と客のいるボックス席へと運んだ。


夜羽はいつものように、

藤色のくすんだコートと、同じ色の帽子を目深にかぶり、

相変わらず表情は読み取りにくい。

手元には年代物のテープレコーダーがあって、

カセットテープで録音をするという。

客にカクテルを届けると、

客はしゃべり疲れたのか、うまそうにカクテルを喉に流し込んだ。


「それでは、妄想は以上ですか?」

夜羽は、一応の確認として、いつものように問う。

「妄想は、はい、以上です」

夜羽はうなずき、テープレコーダーを停止させた。


「妄想とは、別のお話になりますが…」

客は話し出す。

夜羽は新しいテープをセットしようとして、

途中でやめた。

妄想でなければ、テープに録音しても意味がないと思ったらしい。


「きれいな言葉も汚い言葉も、言葉は形になることがある…」

「ふむ。喉に言葉がこびりつく方も聞きますね」

「どれだけ美しい言葉の塊を作れるか」

「ふむ」

「それを今、どこかで試作しているらしいんです」

客に妄想特有の感覚は少ない。

夜羽はそれを感じ取る。

「信じられないかもしれませんが、僕はそのかけらを一個持っています」

「ほう」

客はテーブルの上に、からりと一つ、欠片を置いた。


それは、言葉を尽くしても美しさの伝わりにくい、

ただ、そこには色も光も超えたきれいな塊がある。


「言葉の珠、で、言珠(ことだま)です」

「言珠」

「できればで結構です。この言珠をあるべきところに戻していただけませんか」

「あるべき、とは?」

「美しい言珠は、美しいところに返すべきだと思うのです」


客は言う。

この言珠は、何かを表現した言葉を固めたもの。

表現主でなく、何を表現したかをたどって、そこに言葉を返してほしいとのこと。


夜羽は言珠を受け取り、うなずいた。

「こういう旅も悪くないですよ」

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