これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。
どこかの扉の向こうの世界の物語。
ウツロは水の入っているガラスコップを見つめている。
水がある、何かがあるということは、何かがなくなっているような、
ウツロは漠然とそんなことを思った。
なぜかはわからないし、ウツロは饒舌に説明できるほど、
言葉を多くは持っていない。
おいしい、そら、おちていく、ひと、
ウツロの外側から、何かの言葉がやってきて、
味覚が晴れるように消えてしまう。
「お待たせしました」
ドアを開けて、ウサギが帰ってくる。
「早かったのね」
「ウサギの足は速いものです」
ウサギは笑い、
「さぁ、お茶をいれましょう」
と、店主のオオカミの許可も得ずに、カウンターにまた戻る。
オオカミは苦笑いをちょっとだけ浮かべると、
湯が入っているポットをウサギに渡す。
「適温のはずさ」
「了解、オオカミさん」
無駄の一切ないウサギの技術。
ありえないお茶、それは、ウサギの手で開かれる。
湯を注ぎ、茶の葉と香りが開いていく。
ひとつのカップに、ウサギは茶を注ぐ。
そして、ぼんやりしていたウツロの前に差し出す。
「どうぞ」
ウサギは微笑む。
ウツロは、カップを手に取り、少しだけ冷まして、飲んだ。
ぼくは。
ウツロの内側の言葉が何かをつむぐ。
ぼくは、ウツロ。
茶がウツロの内側に滴り落ちていくのを、
ウツロは感じている。
ぼくは、なんだろう。
ぼくのなかには、なにも、なかった?
ぼくは、ない?
ぼくは、いる、いるけど…
いるけどいない?
ぼくは、なに?
ウツロは何かを悟った。
「ぼくは、あるけれどないもの」
ウツロは話す。
「ぼくは、ありえないもの」
キュウがうなずく。
家具屋入道は神妙な顔をして、
オオカミは口の端を皮肉な笑みにして、
ウサギは微笑んでいる。
「ぼくは、無。無があるというのが、ぼくの、意味」
そうしてウツロは、あるべき姿に戻る。
それは、何もないと言う姿。
何もないところ、そこにはウツロだった無が存在している。
キュウは無となったウツロを見届けると、あるべき場所に帰っていった。
とある森の一日は、こうしていつものように終わる。