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第332話 電灯

これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。

針金模様の細工のしてある扉の向こうの物語。


イチロウは、トランプをまとめて、本の上に置いた。

列車は揺れる。どこかを目指して。

外の風景が飛んでいく。

山が川が、後ろに飛んでいくようだ。

遠くを見る。

季節を映し出している、風景はそれだけで美しい。

イチロウはそんなことを思った。


不意に、暗くなった。

ゴー…と、列車の走る音が反響する。

まもなく、電灯がついた。

トンネルに入ったらしい。

イチロウは外を見る。

真っ暗で、窓にイチロウが映るだけだ。


イチロウは、映っているのは、自分の影かもしれないと思った。

影は多分、イチロウの忘れていることを覚えていて、

影は多分、イチロウの行き先を知っているのだと思う。

イチロウはじっと影を見る。

影もまた、イチロウを見る。

同じ速度で走る、列車が隣にあるように、

電灯によって現れた、イチロウと影が見詰め合う。


イチロウは多分、肝心なことを忘れているのだと思う。

イチロウをここまで組み立てた人々や、その縁を。

イチロウは多分、すっかり忘れている。

誰がいただろう。

イチロウは思い出せない。

イチロウは困った顔をした。

影は微笑した気がした。

白い電灯で映し出された影、

イチロウと違う現象。

あるのにいないもの。


(そのうち思い出せるさ)

イチロウの耳に、耳慣れたような声がした気がした。

聞き覚えがあるはずだ、

それはイチロウの声によく似ていた気がした。

イチロウは、窓の影を見る。

窓の影は微笑している。

イチロウの姿をした影、それは何かをわかっている。

イチロウはうなずく、

影もまた、うなずいた。

イチロウ自身が、つぶやいたような気もする。

また、影がささやいた気もする。


イチロウは心で問いかける。

どこに行こうとしているのか、なんでここにいるのか、

列車の旅に終わりはあるのか、

何を忘れてしまっているのか、

なぜ思い出せないのか。

言葉にしきれない思いも、まとめて影にぶつけた。

影は微笑む。

イチロウは、すっと冷静になった。

もしかしたら、伝えられないだけで、

全部知っているのだろうか。

影は微笑しようと…少しだけ顔が歪み、

突如、風景になった。


電灯は消え、窓は当たり前の風景をうつしていた。

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