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第330話 料理

斜陽街一番街、バーがある。

たいていお客は少なく、

のんびりジャズの有線がかかっている。

マスターが食器を磨いている。

妄想屋の夜羽は、ぼんやりカクテルを飲んでいる。


ドアが開く音。

マスターが視線を上げる。

「やぁ」

やってきたのは、薬師だ。

片手で、ラップされた皿を持っている。

「外、いいの?チョークでごちゃごちゃだよ」

薬師が外を示す。

マスターは怪訝な顔をする。

「いやさ、子どもたちがあちこちの路地に落書きしてるんだ」

「思い出は形だけにとどまらないでしょう」

マスターは静かに言葉にする。

薬師は、にっこり微笑んだ。

「ま、今日は差し入れに来たんだ」

「差し入れ?」

「まんぷく食堂から、からあげだってよ」

「ほう」

マスターは少ない言葉の中に、感嘆をいっぱいに入れる。

「まぁ、分けて食べてくださいだって」

薬師は持っていた皿を置く。

ラップをぱっと取り払う。

白い皿の上に、からっとしたから揚げ。

香ばしいにおいがする。

「それじゃ」

薬師がきびすを返そうとすると、

「ちょっとだけ待ってください」

マスターがやんわりと止める。

「まんぷく食堂さんで、お酒は飲みますか?」

「どうだろ?」

薬師はわからないそぶりをした。

「そうですか。日本酒でしたら、料理にも使えるかと思ったので」

マスターは、一升瓶を取り出す。

なみなみと透明な液体が入っている。

「鈴なり娘の夢、と、いいます」

「その酒が?」

「はい、飲むのももったいなく、今まで秘蔵にしていました」

マスターは、カウンターに一升瓶を置く。

「ぜひ、まんぷく食堂さんに」

マスターは、丁寧にお辞儀をした。

薬師が、一升瓶を受け取る。

「たしかに、届けさせてもらうよ」

「まんぷく食堂さんも喜びますよ」

薬師は、そういうとバーをあとにした。


マスターは、から揚げを口にする。

適度に硬く、適度にやわらかく、肉のうまみがたっぷりだ。

マスターは、消えかけている昔がよみがえってきそうな気がした。

涙すら美しく思える、思い出の中だけの昔。

客の前で泣いてはいけない。

いつも居ついている客もいるのだ。

マスターは、思い出をこらえた。

たった一口で、こんなに泣きそうになるほど美しい料理。

どんなにお金を払っても食べられない思い出。

マスターは、静かに二口目を食べた。

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