斜陽街一番街、バー。
妄想屋のいるボックス席に、お客が来ていた。
妄想屋の夜羽は、妄想を古びたテープレコーダーで録音する。
また、聞きたいお客には再生させる。
妄想屋とは、そんな仕事だ。
今回のお客は、書類を手にしていた。
夜羽は書類にざっと目を通す。
病気屋の書類だ。
「どうぞ、かけてください」
夜羽が席をすすめる。
お客は座った。
夜羽は書類を置くと、
レコーダーと、テープをかばんから取り出した。
「確かに、こちら向きです。お話を聞かせてください」
夜羽は録音ボタンを押す。
かちりと音がして、録音が始まる。
「あいつが…」
お客は病気屋で語ったうわごとみたいなものを、
妄想屋に告白し始めた。
テープはゆっくり録音している。
夜羽が合いの手を入れながら、
妄想は拡大していく。
拡大する妄想。収縮していく話。
熱くなるお客。冷たく複雑になる構造。
それらを、テープはゆっくり録音する。
お客は一通り話し終えると、すっきりしたらしい。
不安げながらも、満足したらしい。
「それでも不安でしたら、斜陽街にきてください」
「ああ…」
「よろしければ、薬屋も紹介しましょうか?」
「いや、いいよ。もう、十分だ」
お客のまとっている空気が変わった。
吐き出すことで、何か変わったのかもしれない。
「では、テープを停止します。ありがとうございました」
夜羽は停止ボタンを押す。
かちりとテープは止まった。
夜羽はテープにラベルをつける。
『同化』と、ペンで記す。
書いてから、なんだか昔もこんな妄想があったなと思う。
探してもいいけれど、まぁいいやと夜羽は思う。
「スプリッツァ、いつもの」
夜羽は注文する。
バーのマスターがうなずいた。
「螺旋を描くように世界は歪んでいる」
夜羽はそんなことをつぶやいた。
まなざしの見えない帽子の向こう、
何かを見るような姿勢をとる。
「歪んだ軸に触れれば、歪みながらに歯車も動くよ」
「その歯車は、色を持っているかい?」
お客の空飛ぶ魚が問う。
「色とりどりの歯車さ」
「それは素敵だな」
魚は、喜んだらしい。
夜羽の席に、スプリッツァが置かれる。
「どうも」
夜羽はグラスを手に取る。
「繰り返される妄想に乾杯」
「乾杯」
いつものバーの風景。
いつもの妄想屋。
変わらぬ妄想の話である。