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第296話 硝子

斜陽街一番街。

バーがある。

数々の酒瓶、無数のグラス、

静かな店内、無口なバーのマスター。

古い冷蔵庫、氷が入っている冷凍庫。

年代を感じさせるが、埃っぽくはない。

いつも掃除をしているのかもしれない。


バーのマスターは食器を磨き、

ボックス席の夜羽は、ぼんやりとしている。

有線でジャズが流れている。

落ち着く雰囲気だ。

ふいに、ドアがなった。

ノックよりかすかな音。

マスターは食器を置くと、ドアを開けに行く。

マスターが手をかけると、

ドアから、来客。

空を飛ぶ色とりどりの魚が一匹。

名前を「シキ」という。

「よぅ!」

シキは軽く挨拶する。

マスターはシキを迎え入れると、ドアを閉じた。

「おいしい水くれないか?」

マスターはうなずき、カウンターのほうに戻る。

シキはとまり木に腰掛けるわけでもなく、

ふよふよと飛ぶ。

やがて、カウンターの一角に落ち着く。

マスターは大きめのグラスに、とっておきの水を入れて出す。

口が大きいのは、シキでも飲めるようにするためだ。

シキに、そっと差し出す。

「ありがと」

シキは礼を言うと、かぽかぽと飲みだした。

手があるわけでもないし、くちばしがあるわけでもない。

空を飛ぶ魚特有の飲み方かもしれない。


やがてシキは、バーの店内をふよふよと飛ぶ。

「俺、ここって結構好きなんだ」

シキが飛びながらほめる。

マスターは軽く礼をする。

「不思議なんだよな、色がないのに存在感なんだよ」

マスターがシキのほうを見る。

「ガラスのことさ。色がないのにきらきらしてて…」

シキはそっと硝子をつつく。

かすかな音がする。

「ガラスってすごい存在感なんだよ。うん」

シキは勝手に納得した。

ふよふよとまた、バーの中を飛ぶ。

「色のない魚は、空気のようなものさ」

シキは、カウンターまで降りてきて、水のグラスをなでる。

フォン、と、奇妙な響きがする。

「空気のようで、生きてて、存在感が薄かった。昔はな」

マスターがうなずく。

「こことかで色をもらったから、俺の存在は見えるんだ」

シキは飛びながら、何か考えたらしい。

昔の相棒のことや、色を手に入れた頃のことかもしれない。

「色がなくても存在感があるって、俺にとっては不思議だな」

マスターはうなずき、食器を拭き始めた。

シキはまた、かぽかぽと水を飲んだ。

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