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第292話 風景

これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。

針金模様の細工のしてある扉の向こうの物語。


男はボックス席に座っている。

ガタンゴトン、列車は揺れている。

当たり前の揺らぎに、踏み切りのカンカンなる音が、

近づいて、遠ざかっていった。


男は、ボストンバックを見る。

ずいぶん重い荷物だった。

男の何らかの過去が、

この中に入っているのかもしれない。

男は、ボストンバッグについた札を見た。

「イチロウ…」

イチロウ、それは男の名前だったような気がした。


イチロウは、ボストンバッグを足元に置いた。

そのまま、席にまた座りなおしてみた。

軽くため息。

風景が通り過ぎていく。

駅から駅の間だろうか。

家と呼べるようなものは少なく、

電線が窓の外を区切っている。

畑、水田、または何かを栽培しているハウス。

人影は見えない。

イチロウからすれば、

窓に映し出されている映画か何かのように、

現実味が薄い気がした。


この風景と自分は、別の場所にいる。

イチロウは、そう感じた。

ガタンゴトン。

列車は揺れている。

風景は結構な速度で通り過ぎていく。

どんどん、後ろへ後ろへと飛んでいく。

遠くの家、大きな家、小さな家。

風景は郊外から田舎になった気がした。

木々…林、森、雑草が生い茂る。

そんな緑色が遠くに見える。

さらに遠くに、山を形作っている線が見える。

空色を少し濃くしたように見える。

山の線も、ゆっくりと後ろへ飛んでいった。


風景はいくつも切り替わる。

ゆっくりと、確実に。

同じ風景はない。

通り過ぎていく風景。

自分のいない風景。

自分の関わらない風景。

カンカンと踏み切りの警報が、

近づき、また、遠くへ行った。


イチロウは窓の外を見る。

人影はない。

それでも、人がいるということを主張する、

窓の外の風景。

電線が区切り、様々の色が彩る風景。

この風景を知っているような気もしたし、

知らないような気もした。

田舎のような風景。

どこでこの風景を知ったような気になったが、

イチロウは考えようとしてやめた。

考える必要も、多分ない。


列車は揺れる。

風景は後ろへと飛んでいった。

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