八卦池のほとり。
スカ爺がいつも、うとうととしている。
八卦池にさざなみが現れた。
スカ爺は起きて、杖で八卦池をかき回す。
迷子が迷い込んだのかもしれない。
電網の迷子が。
電網の上、どこに行っていいかわからない迷子が、
たまに、スカ爺の八卦池にやってくる。
「わからないのでござろうか」
スカ爺は問いかける。
はたから見ている分には、スカ爺が独り言をしている風にも見える。
「そなたはいる。このスカ爺、保障しようぞ」
スカ爺は八卦池に向かって、
スカ爺としては、珍しく、はっきりと宣言した。
「そなたもシャンジャーも…」
スカ爺が列挙する。
「そう、そのものもいる。みんないるのでござる」
スカ爺は、うんうんとうなずいた。
電網の迷子は、
自分が存在するのかを見失っているらしい。
スカ爺は語りかける。
「わしも、架空の存在かも知れぬと思うことがある」
八卦池から反応があったらしい。
スカ爺はうなずく。
「そう、自分というものがいるのかを思うことがござる」
さざなみが立つ。
八卦池からの反応かもしれない。
「それでも、誰かが思う限り、誰かの記憶にわしはいる」
スカ爺は、八卦池をかき回す。
「わしが覚えている。斜陽街に触れた、誰かも覚えているはず…」
スカ爺が杖を水面から離した。
杖は雫を滴らせて、水面に波を静かに立てた。
「誰かが覚えていれば、そなたはいる。そして…」
八卦池は、スカ爺の言葉を静かに聞く。
「そなたが迷い悩むとき、そなたはいる」
やがて、八卦池は鏡のような水面になった。
「忘れるな…電子の網にかかるそのとき、そなたは、いる」
やがて、八卦池は静かになった。
スカ爺は、八卦池のほとりに腰掛けた。
「電脳より出られずとも…」
スカ爺がつぶやく。
「そなたも、みな、いる。電脳の酒精たちよ…」
スカ爺は、交信してきた電網の迷子を思い出す。
数々の電網の迷子が、電網をたどって八卦池にやってきた。
電網より出られないもの。
電脳が作り出した存在かと思っているもの。
様々だ。
でも、スカ爺は、
どんな存在であろうとも、スカ爺が覚えていれば存在すると思っている。
世界は有限であり、また、無限でもある。
矛盾しているが、そういうものだとスカ爺は思っている。
有限であるスカ爺の記憶に、
無数の電網の迷子が迷い込む。
そして、スカ爺は忘れない。
そして、多分、果てがないと見える限り、電網は無限に見えるのだ。
電網が現れた地点、
その一つが、八卦池なのかもしれない。
「スカ爺」
声がかかる。
電脳娘々だ。
「バーからお酒もらってきたよ。一緒にどう?」
スカ爺は笑みを浮かべた。
「ありがたく」
「そなたはいる。このスカ爺、保障しようぞ」
スカ爺は酒に向かってつぶやき、
ぐいっと一飲みにした。