満たされていない男が斜陽街にやってきた。
男は道行く住人から、ここは斜陽街だと聞かされた。
満たされていない男は、何らかの理由で斜陽街にやってきたはずだった。
男は、斜陽街にやってくるとき、
記憶をなくしたらしい。
男がわかるのは、
自分が白い服を着ていること。
何らかの理由で斜陽街に来たこと。
そのくらいだった。
男は斜陽街の空気を胸いっぱいに吸い込んでみる。
それでも、どこかは、満たされない。
男は空気を吐き出した。
『無法地帯』
という誰かの言葉が思い出された気がした。
斜陽街のことだろうか?
確かに建物は雑多としている。
色彩は曖昧としている。
それでも、無法地帯と言うには、
斜陽街は違うと思った。
治安もよいようだし、
犯罪のにおいもしない。
ただ、雑多としている建物が古びていて個性的で、
男の感覚では、無法とは違うように感じた。
男は満たされていなかった。
記憶が飛んだときに満たされなくなったのか、
あるいはそれなら記憶が戻れば満たされるんだろうか。
男は感覚だけで感じる。
記憶だけじゃなく、何かが満たされていないと。
『その街を見聞きして来るんだ』
また声がした。
これは記憶の声。
男の声ではない、誰かの声が、そう言っている。
では、斜陽街を見るために男は送り込まれたのだろうか。
男はその辺の記憶はない。
記憶はないが、ただ満たされない。
男は斜陽街を歩く。
店を構えるもの、
家があるもの、
どうやらたまに浮浪者もいるようだ。
ここには人が住んでいて、その日その日を生きている。
(ああ、生きている街だ)
男は感じた。
この街だったら、生き返ることができるかもしれない。
そんなことも思った。
どうしてそんなことを思うのかはわからなかった。
男は今の自分には不満だった。
満たされていないから。
でも、斜陽街には不満は感じられなかった。