ロゼワインのスプリッツァがグラスに揺らめいている。
妄想屋の夜羽は、
ゆらゆら浮かぶ気泡を、眺めているようだった。
帽子のふちに隠れて目は見えない。
それでも、何かを考えている風だった。
ここは斜陽街一番街のバー。
そこのボックス席に妄想屋の夜羽はいる。
普段は妄想屋の夜羽に、妄想を吐き出したりする客がいるところだ。
今日はたまたま、そういったお客はいないようだ。
気泡にしか感じられない、
かすかな揺れがあったらしい。
グラスについていた気泡が、
いっせいに上へ上がって消えた。
「嫌な予感がするな…」
夜羽がぼやくと、
カウンターの中のバーのマスターが顔を上げた。
「何か?」
と、マスターが問いかければ、
「漠然とした不安と、物騒な妄想を、ここに吐き出してくるお客が増えたんだ」
マスターはよくわかっていないながらも頷いた。
夜羽は妄想のカセットテープのラインナップを見る。
『不安』というだけのタイトルなら、10を越えた。
不安としか言いようのない妄想。
攻撃的な妄想。
妄想だけならいいのだが…
夜羽は気の抜けかけたスプリッツァを飲み干す。
程よく回る軽い酔いの中で、
数々のお客が吐き出していった妄想が回る。
(あいつらがおそってくるんだ)
(この場所を守らなくちゃ)
(わからない、わからないけど、不安なの…)
(攻撃される前に攻撃するんだ!)
(逃げろ逃げろ逃げろ)
(曖昧、それこそが悪ではないか)
夜羽はふっと酔いから覚醒する。
最後のは聞いた覚えがない。
「どこかから聞こえてきたのかな…」
何がですか、と、マスターが一応たずねる。
何でもないと夜羽は一応返す。
曖昧が悪なら、曖昧なこの街はどうなるのだろう。
斜陽街は…
夜羽は斜陽街が好きだ。
嫌な予感を抱きつつも、
斜陽街を守りたいと思った。