少年が、扉屋の緑の葉の描かれた扉から、中を覗き込んでいる。
夜羽と名乗る妄想屋が席を立ってから、
どのくらい、そうしていたか、少年はわからなかったが、
しばらくしたら夜羽が、
小さな鳥篭を手にして戻ってきた。
「はい、これはお土産に」
少年は鳥篭を受け取る。
「この鳥篭は一回使うと家に戻れる。だけど、一回しか使えないからね」
少年は使うということが、よくわからなかったが、
「使ったと思えば使ったことになるんだよ」
と、夜羽に言われた。
やがて、扉屋の奥から、
酒屋が狐を抱きかかえて戻ってくる。
夜羽が酒屋の匂いに気がつく。
「一仕事してきた?酒の匂いがするよ」
酒屋は言われて気がついたようだ。
「ああ…この狐が逃げ込んだ先でな。ちょっとな」
酒屋はからからと笑った。
「その狐、抱いてみてもいい?」
「また逃げ出さんようにな」
酒屋が夜羽に狐を渡すと、
なぜか、狐は機嫌を悪くし、
夜羽の指に噛み付いた。
そして、するりと腕から逃げ、
扉の向こうの少年の足元に隠れた。
夜羽の指から血が滲み出す。
「ねぇ…わかるかな?」
夜羽は少年に問いかける。
「扉のこちら側の住人も、血が流れているんだ。そして、傷はやっぱり痛むんだ」
夜羽はわずかばかり滲んだ血を舐めとる。
「扉の向こうは夢じゃないよ。僕が話した斜陽街という街も、ちゃんと存在する街なんだ」
夜羽は少年を促す。
「さぁ、鳥篭を使って家に帰るといいよ」
そして、緑の葉の描かれた扉は閉ざされた。
閉ざされた扉を夜羽と酒屋は見ていたが、
やがて、
「やっぱり痛い…」
と、夜羽がぼやいた。
酒屋がディバッグから、消毒用アルコールを取り出す。
「ほれ」
「ありがと」
夜羽はアルコールを傷口にあて、
「しみる…」
と、泣き言を言った。
しばらくして、痛みも引いてきたのか、
夜羽と酒屋は扉屋の一角で、座って話をしていた。
「ねぇ、斜陽街を去っていった人のうち、何人が斜陽街を覚えているだろうね…」
酒屋はよくわからないらしい。
「鳥篭を使って帰っていった少年も、大人になったらきっと忘れているよ」
「かもなぁ…」
「でも、どこかでは、覚えていてもらいたいと思うんだ…」
「わがままやな」
「そう、わがままで結構」
と、夜羽は笑った。
酒屋の主人も笑った。
やがて妄想屋と酒屋の主人は、
扉屋をあとにし、
いつもの店に戻ることにした。
酒屋の主人は酒屋へ。
夜羽は一番街のバーへ。
彼らは帰っていき、
扉屋にはいつものように、扉屋の主人が残った。
これも斜陽街の日常。