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第131話 鑿

扉屋の主人は、

今日も扉を彫っている。

様々の扉を作ることが多いはずだが、

どうも、扉屋に来ると、

扉を彫っていることが多い。


一つ一つ、鑿で模様を彫りだしていく。

今日は珍しく、やわらかい風が木屑を飛ばしていく。

作業の邪魔にならない程度に、

扉の向こうから風が吹く。

緑の葉の描かれた扉からだ。

そこの扉には少年がいる。

さっきまで妄想屋の夜羽が相手をしていたが、

夜羽は少年に土産を持たせると言い、

ちょっと出かけていった。


少年は、夜羽がいなくなってからは暇だったようだが、

今では扉屋の作業を興味深く眺めている。

それでも、少年は斜陽街側に入ってくることはなく、

扉の向こうの住人としてそこにいる。


扉屋の主人は、

様々の人間がこの扉屋から行きかいしていくのを見た。

斜陽街に来た人。

斜陽街から出て行く人。

それでも、斜陽街を覗き込む少年というのは珍しい。


こつ、こつ、と、鑿が振るわれる。

優しい風が木屑を流していく。

扉屋の主人は主人で、

珍しいこの風を閉じるという、無粋な真似もしたくなかったようだ。


扉屋の奥の方、

少年が追っていた狐が逃げていった方、

赤く細かい細工の彫られた扉の、気配が少し変わる。

「酒屋が何かやらかしたな…」

扉屋が呟く。

少年が不思議そうな顔をする。

「今は待て。もうすぐ狐も帰ってこよう」


そして扉屋は、また、鑿を振るった。

少年は、扉の向こうから覗き込んでいた。


こつ、こつ…

という鑿の音。

そして、扉から吹く穏やかな風。

薄暗い扉屋は、珍しく別空間の風が満ちていた。

扉屋の主人は、やっぱりお構いなしに、

こつ、こつ、と、鑿を振るっていた。


扉屋の主人にしてみれば、

日常の延長でしかないらしい。

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