扉屋の主人は、
今日も扉を彫っている。
様々の扉を作ることが多いはずだが、
どうも、扉屋に来ると、
扉を彫っていることが多い。
一つ一つ、鑿で模様を彫りだしていく。
今日は珍しく、やわらかい風が木屑を飛ばしていく。
作業の邪魔にならない程度に、
扉の向こうから風が吹く。
緑の葉の描かれた扉からだ。
そこの扉には少年がいる。
さっきまで妄想屋の夜羽が相手をしていたが、
夜羽は少年に土産を持たせると言い、
ちょっと出かけていった。
少年は、夜羽がいなくなってからは暇だったようだが、
今では扉屋の作業を興味深く眺めている。
それでも、少年は斜陽街側に入ってくることはなく、
扉の向こうの住人としてそこにいる。
扉屋の主人は、
様々の人間がこの扉屋から行きかいしていくのを見た。
斜陽街に来た人。
斜陽街から出て行く人。
それでも、斜陽街を覗き込む少年というのは珍しい。
こつ、こつ、と、鑿が振るわれる。
優しい風が木屑を流していく。
扉屋の主人は主人で、
珍しいこの風を閉じるという、無粋な真似もしたくなかったようだ。
扉屋の奥の方、
少年が追っていた狐が逃げていった方、
赤く細かい細工の彫られた扉の、気配が少し変わる。
「酒屋が何かやらかしたな…」
扉屋が呟く。
少年が不思議そうな顔をする。
「今は待て。もうすぐ狐も帰ってこよう」
そして扉屋は、また、鑿を振るった。
少年は、扉の向こうから覗き込んでいた。
こつ、こつ…
という鑿の音。
そして、扉から吹く穏やかな風。
薄暗い扉屋は、珍しく別空間の風が満ちていた。
扉屋の主人は、やっぱりお構いなしに、
こつ、こつ、と、鑿を振るっていた。
扉屋の主人にしてみれば、
日常の延長でしかないらしい。