これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。
赤く細かい細工の彫られた扉の向こうの世界の物語。
宮本あおい、という、女子中学生がいた。
少し引っ込み思案の、
控えめな少女だ。
あおいは、埋もれてしまう、その他大勢でありたかった。
目立つことは避けたかった。
あおいは声楽部に所属していた。
主旋律や、ソロは歌いたがらなかった。
いつも、埋もれるパートを歌いたがった。
ある日、声楽部の顧問の教師が、
助っ人として男子生徒を何人か呼んできた。
「これでコーラスの幅が広がると思うから」
顧問はそう言っていた。
コーラスの幅、最初の目的はそれだった。
しかし、助っ人の男子生徒のうちの一人が、
声楽に関して天才的な才能を秘めていた。
音感も、音域も。
やがて彼は助っ人から、声楽部の男子パートのリーダーになっていった。
あおいはそんな彼を、眩しく見ながら、
埋もれるパートを選んでいった。
そんな日が続き、ある日、
「宮本さん」
と、声楽の天才の彼が声をかけてきた。
「宮本さんの声ってきれいですよね。どうしてソロを歌わないんですか?」
「声がきれい?」
「他のコーラスに混じっていても、宮本さんの声だけはわかりますよ」
「私は君とは違うの。天才じゃないから…目立ちたくないの…」
あおいはそういって離れようとする。
彼があおいの手をつかむ。
「俺は宮本さんの声がもっと聞きたくて、声楽部に来たんです。天才と呼ばれる声より、もっときれいな声を」
「私は…」
「宮本さんが好きです。最初は声でしたけど、今は、全部好きです」
彼が真摯な眼で見つめてくる。
「何も知らないくせに、そんな事言わないで…こっちには…」
言いかけ、あおいは口をつぐんだ。
こっちには?
自分は何を言おうとしただろう。
あおいはそのまま黙ってしまった。