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第86話 酒精

はじまりは、酒屋の弟子の、単なる興味だった。


「師匠」

弟子が何か思いついて呼びかける。

「なんや?」

と、酒屋の主が答える。

「うちで売られているのも、お酒なんですよね」

「あったりまえや。うちは酒屋やで」

主がきっぱり言うと、

弟子はしばらく考え、

「…蒸留すると、アルコールが出来るんでしょうか?」

「はぁ?」

酒屋の主はすっとんきょうな声を上げる。

「え、えっと、ですから、普通に売られているお酒を蒸留分離すると、酒精が出来るじゃないですか」

「あー…なるほどなぁ。思いから作った酒はどうかってことか」

「そういうことなんです」

「よっしゃ、ちょい試してみるか」

「はい!」


酒屋の主は、蒸留分離に向いていそうな酒を売り物から探す。

弟子がやってみたいとは言え、

きつい思いから作った酒は、やっぱりまずいだろうと思い、

楽しそうなのや幸せそうなのを探す。

そして、

「やっぱ、あいつくらいやったら、これかな…」

と、酒屋の主は『遊園地』を手に取った。


『遊園地』銘柄もいろいろあり、

賑わっている遊園地、寂れた遊園地、閉園してしまった遊園地、

あちこちの遊園地の風味を取り揃えている。

酒屋はその中でも、

楽しそうな思いの詰まったものを取り出した。


「じゃ、蒸留してみますね」

理科室のような実験器具はないから、

台所の小さな鍋で、弟子の蒸留実験が行われる。

酒屋の主は腕組みして見ている。

コンロでことことと酒が煮詰まる。

「あ…」

「どないした」

「なんだか、楽しい感じします…うん、すごく楽しい感じ…」

「これは『遊園地』の思いを凝縮しとるからな。楽しい思いがほどけてきたんやろ」

「そうですね、遊園地にいるように、わくわくします」

弟子は楽しそうだ。

蒸留実験一つではしゃいでいる。


やがて、鍋からほとんどの思いが抜けていった。

「どや?」

「あー…思いと酒ってこんな関係があったんだって実感しました」

「そーかそーか」

弟子は遊園地から帰ってきたように、はしゃぎ疲れてへとへとになって奥の間に戻っていった。

きっとしばらく起きてこないだろう。


「まぁ、いい酒屋になるためにゃ、必要なことかもなぁ」

酒屋の主はそう言うと、台所の後片付けを始めた。

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