夜羽(ヨハネ)はレコーダーを眺めている。
夜羽は妄想屋。
斜陽街一番街の、バーの片隅のテーブル席で、
このレコーダーで妄想を再生したり録音したりするのが仕事だ。
斜陽街の番外地から、
黒い風が去っていってから、どの位経っただろう。
夜羽は帽子の縁で見えない目で、遠くを見るような仕草をした。
思い出そうとしているのかもしれない。
それでも、思い出せなかったのか、また、レコーダーを眺めた。
夜羽は何か思い付いたらしく、
レコーダーに触れながら話しかける。
録音は入っていない。
「あるいは、僕の方がレコーダーのオプションなのかな?」
夜羽はレコーダーをつつく。
「レコーダーが妄想を呼吸するのを手伝っているだけなのかな?」
夜羽は笑う。
ただし、目は見えない。
頬の筋肉の動きや、唇の動き、
そして、「ふふっ」という、笑い声が頼りだ。
バーのドアに付いたベルが鳴り、
来客を知らせる。
夜羽は、客か…新しい妄想か…と、思ったが、
どうやらバーの客だったらしい。
カクテルを注文している。
(妄想屋も閑古鳥が鳴いてるな…)
そう思った夜羽に、さっきの客が寄ってくる。
「なぁ、あんた妄想屋だろ」
「はい」
「俺の妄想聞いてくれよ…川が流れているんだ。川がいくつもあるんだ…川が、町を出るとたくさん流れているんだ…」
「川、ですか?」
「そう、ひとまたぎできるくらいから、橋を使わないと到底渡りきれないものまで…」
「それがいくつも…町の外に…」
「そうなんだ!そして、川をいくつもいくつも越えていった向こうには、あの時伝え聞いた…伝え聞いた…」
夜羽はレコーダーを回す。
新しい妄想を録音するために。
レコーダーの呼吸を助けるために。
レコーダーのオプション。
それも悪くないと夜羽は思った。
録音機の意志はわからないが、
これも相変わらずの妄想屋の仕事、
そして、バーの風景である。