廃ビルから出ていった男は、
…正確には、ただの男ではなかった。
毒蜜に長い事浸けられていたにもかかわらず、
『境界の蝶々』に蜜を残らず吸い取られただけで、
ふらふらとではあるが、歩けるまで回復しているのだから。
姿も、毒蜜に浸けられていた頃は、
醜く爛れていたのに、
これもまた回復しているのか、
男らしい、凛々しい姿になっている。
彼は目指しているところがあった。
つかみかけた、彼女の元へ。
彼は慣れない斜陽街に迷いながら、
剥き出しの配管に足を取られたりした。
猫のしっぽをふんずけたりした。
そうして、番外地の神屋跡にやってきた。
神屋跡では、
探偵とその助手が、
『空っぽの女神』を相手に、
欠けた部分を、ああでもないこうでもないとしていた。
やってきた彼が、物音を立てると、
探偵が振り向いて、笑った。
「『かけらの男神』が来たようだな」
「かけらの?」
「男神?」
女神と助手が問い返す。
「ああ、勘がそう告げてる。間違いない」
探偵の勘に対する自信は、今に始まったことではないが、
困惑している彼等をよそに、
「この女神をどうしてあげたい?」
と、彼に…『かけらの男神』に探偵は問いかけた。
『空っぽの女神』は、胸の部分が、向こうが見えるような空洞になっている。
彼女はそれが虚ろで…
埋まらなくて…
夢で泣いていた。
夢で、埋めてあげると、そう約束した。
やっと、出逢えた。
「あなたの空洞を埋めてあげます」
『かけらの男神』はそう言うと、『空っぽの女神』を後ろから抱きしめた。
女神の空洞が埋められていく様子は劇的だった。
そして、女神に笑顔が浮かんだ。
二人は身体ごと繋がった。
女神の背と男神の胸が繋がっている。
それは見ようによっては異形のようであったが、
繋がった彼等は至福そのものの表情だった。
「ま、新たな神屋だな」
探偵は助手とともに新しい神屋をあとにした。
斜陽街に、こうして新しい住人が出来た。