「あなたは…」
羅刹は呟いていた。
誰だったのかは、何となくわかる。
ただ、名前が思い出せない。
ドレスに身を包んだ、懐かしい人。
守りたかった人。
花嫁は羅刹のトレードマークの黒いボウガンを見詰める。
そして、
「何故ここまで来たの…」
と、呟く。
黒い花嫁も羅刹の事がわかっているようだ。
黒いスーツと黒いウェディングドレスが対になる。
暗い、灰色の大広間。
「幸せに…なりたかったの…」
黒い花嫁が呟く。
「幸せになりたかったのよぉっ!」
叫びが歌以上に広間を共振させる。
羅刹の周りの空気がチリチリとなる。
そして、広間から滲む、広間の思い出。
披露宴…笑顔…拍手喝采…涙…
それらを花嫁の叫びが崩壊させていった。
その度ごとに、花嫁の黒いドレスは、黒さを増していった。
(あの黒は…崩壊の黒…砕かれた思い出達の黒…)
羅刹はそう感じていた。
気がつけば、広間の暗闇も増したような気がする。
(この人は、守りたかった人)
羅刹はそれだけはわかっていた。
(守りたかった人が、悲鳴を上げている…)
名前も思い出せないが、この花嫁を助けなければいけないと感じていた。
ふと、思い出す。
毒蜜に浸けられていた男を。
羅刹は男の傍に駆け寄った。
ボウガンで鎖を断ち切る。
長い事毒蜜に浸けられていた鎖は、あっけなくぼろぼろになる。
「行かなければ…」
男はふらふらと歩き出した。
「だめっ…行かないでっ」
花嫁が哀願する。
「あなたが、あなたが…いなければ…」
駆けて縋り付こうとする花嫁を、羅刹が抱きしめて制止した。
男は広間を出ていった。
「…あの人は違うんです」
花嫁はそれでも、見えなくなった男を追うように、片手を入口にのばしている。
「あの人は、違う人の対になる人なんです」
花嫁の手がぱたりと下りた。
羅刹は花嫁を抱きしめていた。
黒い花嫁を…黒くなってしまった花嫁を、悲しい花嫁を、
抱きしめていた。