これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。
天使の彫られた扉の向こうの世界の物語。
彼女が消えた。
ある日突然彼女が消えた。
「今日はイチロウさん遅いですね…」
ユキヒロが呟く。
「いつもは結構先に来てるのになぁ…」
キリエが答える。
ケイは黙ってドラムの準備をしている。
雨が降っている。
この分だと強く降りそうだ。
キリエは嫌な予感がした。
どたばたっと誰かが駆け込んでくる。
「遅くなってごめん!」
それはアキ。
ずぶぬれだ。
「ほら」
キリエがタオルを投げてよこす。
「さんきゅ」
アキは頭をごしごしと拭く。
そして気がつく。
「イチロウさんは?」
「まだ、です」
ユキヒロが答える。
「ふぅん…」
変わった日もあるものだとアキは首を傾げた。
しばらく楽器隊だけで音を合わせる。
そうして一時間ほど過ぎた。
キリエとアキはおしゃべりをはじめた。
「ヴォーカルいないと、なんか物足りないなぁ…」
「イチロウさんどうしたんだろ?」
「ナナと喧嘩したとか?」
「まさかぁ」
「それとか、子どもがとうとう産まれるとか?」
「産まれるんだったら僕達にも言いそうなものじゃない」
「そうだよなぁ…」
う~ん、と、二人して考え込んでしまった。
年少組のやり取りを微笑んで見ていたユキヒロだが、
「本当にどうしたんでしょうねぇ…」
と、困ったような表情を浮かべた。
雨は強く降っている。
雷も鳴り出した。
解散しようかと彼等は楽器を片付けはじめた。
雷がぴかっと光り、
一拍置いて、ゴロゴロと鳴る。
「とうとう来ませんでしたね…」
「イチロウにも事情があるんだろう」
黙っていたケイがそう言う。
「そうですね…」
「それじゃ、俺は行くぜ」
キリエが出て行こうとする。
すると、扉が勝手に開いて風雨とともに何かが転がり込んできた。
白く脱色した髪、サングラス…
「イチロウ!」
彼は紛れもなくイチロウだった。
ただ、雨でずぶぬれになり、ぐったりとしている。
「おい、どうしたんだ」
キリエが声をかける。
「ナナが…」
「ナナさんがどうかしたんですか?」
「ナナが消えた…」
青白い光りが輝き、
雷が鳴る。
彼女が消えた。
ある日突然彼女が消えた。