ここは一番街のバー。
テーブル席で妄想屋と酒屋が向かい合って酒を飲んでいる。
「物から思い出削って酒にしとるねん…」
酒屋は怪しげな関西弁で独白する。
「思いを糧にしとる。そういう意味ではワイも羅刹と同じなのかもなぁ…」
酒屋は瓶から酒をあおり、溜息をついた。
「必要があるから職があるんです」
妄想屋がグラスの酒を少し飲む。
「羅刹君も、僕も、酒屋さんも。必要とされているから存在するんですよ。多分」
「そんなもんかねぇ…」
「そんなものですよ」
「思い出は幸せなものばかりやない。忘れたいものだってある。せやけどそんなものも含めてわいは酒にしとる」
「忘れたい思い出…」
「苦い思い出とか、やっぱりある。けどな、幸せな思い出と同じくらい、苦い思い出も売れとるんや」
酒屋は酒瓶を静かに揺らす。
ちゃぷりと酒が揺れた。
「なんででしょう?」
妄想屋がたずねる。
「苦さのなかに、何か求めるものがあるんやろな…」
「苦い思い出…かぁ」
妄想屋は溜息をついた。
「なぁ夜羽」
「はい?」
うつむいていた妄想屋は顔を上げる。
「泣きたくなるほど幸せな思い出ってあるか?」
「うーんと…内緒です」
妄想屋は唇に人差し指をあてる。
「そうかぁ」
酒屋は溜息をつく。
「最近なぁ、そんな注文が入ってちと困っとるんや。泣きたくなるほど幸せな思い出が欲しいらしい」
「ふーむ…男性ですか?女性ですか?」
「女や」
「ふーむ…」
妄想屋は考え込む。
「番外地の廃ビルなんていかがです?もともとは結婚式場だったらしいですよ。泣きたくなるほど幸せだった人もいたんじゃないでしょうか?」
「あそこかぁ…」
酒屋は気が進まないようだ。
「変な風吹いてから、あそこには行きたくないねん…」
「僕も気が進みませんね」
妄想屋も同意した。
「じゃ、そろそろおいとまするかな」
「今日は螺子師に呼ばれてないんですか?」
「呼ばれとらんけど…そろそろ人形から吹き出た思いがたまっとる頃やな。行った方がええやろなぁ」
よっこらしょと酒屋は腰を上げる。
「邪魔したな」
と、酒屋は飄々とバーをあとにした。