これは斜陽街から扉一つ分向こうの世界の物語。
天使の彫られた扉の向こうの世界の物語。
あるテラコッタ色の屋根の街にアキという少女がいた。
アキは快活な少女だった。
太陽のようだと思われていた。
でも、アキ自身は月の光を好んだ。
アキは悩みがあると教会の裏にやってきた。
教会の裏は滅多に誰も通らない。
だから教会の裏でアキはよく泣いた。
誰にも気付かれないように、泣いた。
アキはイチロウが好きだった。
イチロウはバンドのヴォーカルだ。
アキは同じバンドのキーボードだ。
イチロウには妻がいる。
ナナという。
だからアキはこの想いをしまうことにした。
それでも耐えられなくなって、笑顔が作れなくなると、
教会の裏でまた泣いた。
ある月の美しい晩…
アキはまた教会の裏庭にいた。
ぼうぼうとした雑草さえ、月明かりの下ではきれいだった。
「僕はきれいになれるのかな…」
アキは呟いた。
きれいになれてもイチロウは自分の物にならない。
それはわかっている。
わかっているから寂しかった。
アキはこの街に来る前の記憶がない。
過去なんて関係ない、大切なのは未来だと諭してくれたのはイチロウだった。
何かがごっそり抜け落ちた場所が、少し埋まった気がした。
それ以来アキはイチロウを追っている。
自分の物にならないとわかっていて追っている。
「まるで月を欲しがっているようだ…」
アキはそう呟くと溜息をついた。
「何欲しがってるって?」
突然の声。
アキはびっくりして立ち上がった。
教会の裏庭への入り口、そこには同じバンドのギタリスト・キリエがいた。
アキの良き友人だ。
「何やってんだよ、こんなとこで」
「別に…」
「泣いてたのか?」
「!」
月明かりの下でもわかるくらい目元が腫れていたんだろうか?
涙のあとが残っていたのだろうか?
アキは慌てて目元をごしごしとやる。
「冗談だ」
キリエはそういって笑った。
アキもつられて少し笑った。
だからアキは知らない。
キリエが月明かりの下のアキに見惚れていたこと。
それは月だけが知っている…