引き続き水曜日。
まだむにゃむにゃ寝ぼけてくっついてくるミーニャをどかして朝の支度を始める。
「エド、ミーニャ、朝ご飯にしましょう」
「「はーい」」
「いただきます」
ミーニャの父親は、夜警に行っていて、まだ帰宅時間ではない。
この夜警はスラム街の治安維持活動で、大人の男の持ち回りになっている。
もちろんクソ安いが賃金は発生するので、みんな面倒だと思いながらも、必要性も認識していて、断れないでいる。
この活動をするようになってから、このスラム街の夜の治安はだいぶ良くなった。
近年の功績だ。
スラム街だから全員貧乏だけど、それでも街としての体裁はある。
そもそも、このスラム街は八年前、隣の都市エルダニアがモンスターの大群、スタンピードに襲われて崩壊、そのときに出た避難民が移動してきてできた難民キャンプなのだ。
俺が生まれる前の話だから具体的なことは知らない。
歴史が浅い難民キャンプが街になり、そのまま定住した形になる。
そしてトライエ市はそんな難民を街区に入れなかったので、少なからず
『街の中で仕事をもらうがトライエの人は冷たい。我々は逃げてきたけどエルダニアの誇りがある』
ということになっている。
いつかは崩壊したエルダニアに戻り、街を復興するつもりのようだ。
ただし俺の両親も、ミーニャの両親もエルダニア出身ではないらしいと聞いた。
俺の母親トマリアとミーニャの一家もどこかから、ここへ流れてきたことだけは確かだ。
いい加減この豆だけの食事も飽きた。
「ミーニャ、今日は採取に行くからな」
「え、あ、なに? おままごと?」
「違うよ、食べ物を採ってくるんだ。自分たちの手で」
「まぁまぁ」
ミーニャの母親のメルンさんがおっとりと反応した。
スラム街には正式な名前はないが、通称ラニエルダと呼ばれている。
ラニは古い言い方で「似ている、○○のようなもの」という意味だと思う。
もちろんエルダニアのエルダだ。
「いっぱい採ってきてね。お昼はごちそうね」
「あ、うん」
俺は微妙な返事をする。
難民は元都市の市民なので野草なんて食べたことがない人たちだ。
腹を限界まで空かせたら、草を食べることもあるが、非常に限定される。
それよりも変な草を食べて
それなら多少不味くても、我慢してイルク豆を食べる、という認識が一般的だと思う。
メルンさんもおままごとだと思っているんだろう、ちくせい。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした、にゃは」
不思議とこちらでも食後の挨拶は、手を合わせる。
「では行ってきます」
「あ、はい。行ってきます」
「はい、いってらっしゃい」
ミーニャはもちろんついてくる。
というか、一年の99%は俺の後ろをついて歩く。
俺が親鳥でミーニャはヒヨコのようだ。どちらかというと子猫みたいだけど。
スラム街はそれほど大きくはない。
城壁内に比べたら、五分の一もないかな。
こういう計算ができるようになったのは、前世知識のおかげだろう。
前だったら「ずっと小さい」としか言わないと思う。
スラム街の家並みを抜けると、すぐ草原になっている。
この辺は切り株が見えていて、荒れ地になっていて、草が生えまくっている。
それから新しく細い低木もあちこちに生えている。
気になる植物を見つける。
『鑑定』
【カラスノインゲン 植物 食用可】
前世ではカラスノエンドウだったか。あれよりやや大きめだけど、これは豆の一種だ。
完全に同じであるとはいえないけど、食べられなくはない。
ただし前世で食べたことはない。
「ほら、お豆だよ」
「うん、知ってる! これも食べられるの?」
「そうみたいだね」
「ふーん、へんなの」
ミーニャが不思議そうに言う。
「なんで?」
「どうして、食べられるのに、みんな食べないの? お腹空いてるのに」
「あぁ、それはね、その辺の草も食べられるって発想がないんだ」
「そうなんだぁ、でもエドは知ってるんだね」
「ま、まあ、俺だからな」
「うんっ、エドはえらいもん。私のヒーロー、救世主だもんね」
「ああ」
よくわからないが、ミーニャの中では俺はヒーローなのだ。
なんでも屋根のある家もなく、雨が降っていて寒かったときに、家に入れてくれたという救世主らしい。
それ以来、ミーニャはずっとうちにいる。
三年前の話、らしい。俺は当然覚えていない。
「生で食べられるのかな」
一つ手に取って、猫か犬みたいに匂いを嗅ぐミーニャ。
鼻をすんすんさせて、ちょっとかわいい。
「豆は火を通したほうがいい、と思う」
「そうなんだ、へぇ」
豆類には名前は知らないけど、人間には毒らしい物質が含まれていて、生で食べると下痢になったりする。ここでは命取りだ。
インゲンも枝豆も確かに火を通す。
他にもキノコなんかが生は危険な感じだ。
家から背負いバッグを持ってきたので、採って歩く。
カラスノインゲンは見分けやすい草なので、探すのも簡単だ。
赤紫の花がそこかしこで咲いている。季節は春だった。
すでに緑の豆になっているものと、花のものが混在している。しばらくは楽しめそうだ。
一時間もしないで、両手いっぱいのカラスノインゲンが手に入った。
「いっぱい採れたね」
「おう」
「美味しいといいね」
「そうだな」
さすがに味までは保証できない。
家に帰ってきた。お昼前だ。
ちょうどいい時間だと思う。
「ただいま、メルンさん」
「おかえりなさい。いっぱい採れた?」
「ああ、豆なんだけどいいかな? カラスノインゲンっていうんだけど」
「いいわよ」
メルンさんが調理してくれる。
イルク豆を
さながらスナップエンドウという感じ。
「なんか、青臭いっ! でもいい匂いかも」
またミーニャが鼻をスンスンさせていた。かわいい。
イルク豆の深皿の上に、茹でたインゲンも乗せる。
なおミーニャの父親は仕事に行っていて、お昼もいない。忙しいらしい。
「「「いただきます」」」
「うん、なんだか、美味しいような、気もするっ!」
「ああ、まあまあだな」
「なんだか懐かしい味がするわ。そういえば、昔は草もいっぱい食べたのよね。サラダとか」
「美味しいっ、食べたことがなくて新鮮だし、慣れてくると美味しいっ」
ミーニャがぴょんぴょん飛び跳ねて、よろこんでいた。
「それは、なにより」
カラスノインゲン、まあまあだけど、悪くはない。
特に「イルク豆だけ」よりはずっといい。
食事はバランスが大事なのは、前世知識では常識だった。
野菜の摂取量が圧倒的に足りていない。だから痩せやすいし、病気になる人も多いんだと思う。
こうしてファーストアクションは大成功を収めた。