エドワード王暦472年4月5日、火曜日。
俺はエド、六歳。
黒髪黒眼の
ここトライエ都市の城壁外にあるスラム街に住んでいる。
両親はもういない。
父親は見たことがない。
母親は去年、どこかへ消えた。もう死んでいるのかもしれない。
昼間のことだ、俺は仕事もなく道を歩いていたところ、小石に足を取られて、頭を打った。
「めちゃくちゃ痛てええ」
しかし、その瞬間、過去の記憶が頭の中に流れていった。
これは生まれる前、前世の記憶。
地球、日本、普通高校、どこにでもいる男子生徒、成績は普通、運動も普通。
「エド、大丈夫?」
「なんだ、これ……情報……」
「エド、どうしたの?」
「ああ、ミーニャか、なんでもない、大丈夫だよ」
頭がおかしくなったのかと、一瞬思ったが、記憶は鮮明だ。
町、ビル、スズメ、車、バス、図書館、テレビ、女子高生、スカート、ニーソックス、絶対領域、生の太もも……。
おっといかん、意識がそれた。
生まれてから記憶がある限り、ここの生活だったから体感しなかったけど、スラムの生活は最底辺だと思い知った。
「「ただいま」」
「おかえりなさい」
うちは家と呼ぶには、あまりに狭く粗末なあばら屋に住んでいる。
壁はただの土壁で、しかも屋根と壁の間に
それでも壁があるだけ、このスラム街の中ではマシだった。
俺の家にはミーニャの一家が前から居候している。
ミーニャは俺と同じ六歳、それから母親と日雇いの父親がいる。
ミーニャの一家は全員、金髪
食事の準備ができた。
料理もできて全員が車座になって座る。
この狭い家にテーブルと椅子なんていう高価なものはない。
床が土じゃなくて木製というだけでも、ありがたい。
「「いただきます」」
今日も夕ご飯は、イルク豆の水煮だ。
うちには鍋と魔道コンロがある。母親トマリアの置き土産だった。
それすらない家も多い。そういう家は自炊すらできないで、割高の黒パンなどを買って食べている。
魔道具全盛の世界だ。
もうこの辺に薪になりそうな乾燥した木なんて、ほとんど落ちていない。
貧乏が貧乏を呼んでくる。悪循環だ。
イルク豆は少し
煮るときに塩を少量入れるので、塩気もある。
栄養価は高いのだろう。
不味くはないが、美味しいと思ったこともない。
一週間のうち六日は、ほぼこれしか食事がない。
塩は国内に岩塩の採掘場と塩田があるので比較的安価だ。助かる。
ミーニャの母親のメルンさんは料理は得意ではないらしい。
というか生活はもう限界にきており、イルク豆を出すのが精一杯だった。
日曜日の夕ご飯は特別で、黒パンとイルク豆、それから三切れの干し肉を食べる。
こう思うと、うちはまだ恵まれているほうかもしれない。
だから俺は無職にはどうでもいい曜日をちゃんと数えて、曜日感覚を忘れない。
「エド、おやすみなさい」
「ああおやすみ、ミーニャ」
「頭大丈夫? 痛くない?」
「ああ、大丈夫」
「よかった、にゃは」
俺に抱き着いて、寝るミーニャ。
春の夜は暖かくなってきたといっても、少し寒い。
ミーニャの体は温かい。
ミーニャはかわいい。
痩せているのでわかりにくいけれど。
スラム街にいるのに、その顔は整っていて、前世の知識でいうなら美少女または美幼女に属する。
すぴーすぴーと寝息が聞こえてくる。
俺も今日は寝よう、明日から忙しくなる。
◇◇◇
水曜日。
寝るのが早いからか、朝、自然と目を覚ました。
屋根と壁の隙間から光が差し込んでいる。
光の角度は横向きだから、午前六時前くらいか。
「エドぉ、むにゃむにゃ」
「ああ」
「ご飯はまだですかぁ、にゃあ」
ミーニャは寝言を言っていた。
まだ俺に抱き着いて寝ている。
動かすのも可哀想なので、そのままじっとしている。
とにかく状況の整理と、予定を立てよう。
いつもは信用も何もないスラムの子に仕事など、ほとんどもらえるはずもなく、スラム街をぶらぶらしたり、たまに城壁内に行ってぶらぶらしたりする。
城壁内では
例えば洗濯。
大きな
量が多いと、思った以上に重労働だ。
城壁内の一般家庭でもスラム街に比べたら裕福な家なので、面倒だとスラムの子にやらせることもある。
洗濯一回の賃金は銅貨三枚、300円ぐらい。時間にして二時間ぐらい。
しかしこの世界では一般家庭は毎日洗濯なんてしないので、たまにしか仕事はない。
俺も洗濯で何回もお世話になった家が三軒ほどあり、顔も覚えてもらっているけど、早い者勝ちで、他の子供に仕事を取られるほうが多い。
銭貨が10円。
銅貨が100円。
半銀貨が500円。
銀貨が1,000円。
金貨が10,000円。
物価が日本と違うので、概算でしかないが、おおむねこんな感じ。
半銀貨は半分の銀と銅が含まれているというもので、大きさは同じぐらいだ。
昔は大銅貨だったが大きくて邪魔なので、こうなったと聞く。
黒パンは一個で銅貨一枚、100円。
高級ふわふわ白パンは一個で半銀貨一枚、500円。
イルク豆はこの地域の特産品だが、貧民の食べ物として庶民以上はあまり食べない。
イルク豆の水煮は一食で50円ぐらいだろうか、おそらく。
イルク豆は大量に買えば安く買えるけど、そんなにお金もないし、大量に家においておけば強盗のリスクも高い。
ゴーン、ゴーン、ゴーンと教会の鐘が三回鳴る。
三の刻だ。地球なら午前六時に当たる。
「むにゃむにゃ、あ、エド、おはよう~」
「ああ、おはよう、ミーニャ」
「えへへ、にゃはあ」
ミーニャは目をパチッと開けるとニコッと笑って、顔を俺の胸にぐいぐいこすりつけてくる。
非常になついていて、かわいいけど、なんだか猫みたいだ。
もっとも猫耳族ではなく、金髪碧眼長耳からして「エルフに連なるもの」だと思う。
エルフとは半分は伝説の魔法に
それで「エルフに連なるもの」っていうのは、そのエルフの血を受け継いだ、ハーフエルフと呼ばれる人たちのことだ。
ただこの世界では種族間の子、ハーフはあまり歓迎されない雰囲気なので、このように呼びならわす。
ただ他の種族のハーフと違って、エルフのハーフは一種の憧れだった。
エルフは知能が高く魔法も得意だけど、高慢ちきというイメージだから、ミーニャはちょっと違う感じがする。
今日の予定はもう決めてある。
『鑑定』
俺は、ミーニャを意識して見つめ、心の中で唱える。
異世界の情報を思い出したときに、一緒に知識として流れ込んできた。
この世界には魔法がある。
そして俺は「鑑定」魔法が使えると、直感で認識していた。
【ミーニャ・ラトミニ・ネトカンネン・サルバキア
6歳 メス B型 エルフ
Eランク
HP105/110
MP220/220
健康状態:B(痩せ気味)
】
ふむ。自分も鑑定してみよう。
【エドモント・アリステア
6歳 オス A型 人族
Eランク
HP145/150
MP176/180
健康状態:B(痩せ気味)
】
あれ、俺にもミーニャにも、苗字がある……。
聞いたことがない。あと俺はエドであってエドモントではない。
いや、そういえば、エドモントだったようが気がしてきた。
みんなエドとしか言わないから忘れていたというか、母ちゃんそういう大事なことはちゃんと伝えてくれ。
もしかしなくても、俺はいいところの出なのでは。
いやでも苗字くらいは、ドリドンさんはじめ一定以上の地位の人なら誰でも名乗っている。
意外な事実を知ってしまった。
しかしこの生活からすれば、まったく関係ない。
それより今日の生活だ。
この「鑑定」それから前世知識。知識ったって大したことではないけど、ないよりマシだ。
それを生かして「採取」をするぞ。