第67話 雪下燃ゆ(1)
ふぅ、と。真っ白な息を吐く。
冷たい風、冷たい世界。そんな中で、少女は息をする。
真っ白な雪が、空から舞い降りて。
少女の頭に、ちょこんと。
それを、もう1人の少女が払った。
「あ。ありがと、ございます。ミコト大尉」
「そんな、かしこまった呼び方はよしてくださいな」
「すみません。えっと、ミコトさん」
「はい」
小さき少女、シリカ。
それより、もう少し大きな少女、ミコト。
これは運命の夜、最後の夜。世界が平穏だった、終わりの時間。
北海道、札幌。
魔法少女である2人は、深夜の除雪作業に従事していた。
魔法少女。人類最強の兵器。そんな呼ばれ方をしても、天敵である魔獣との戦争は10年も前に終わっている。ゆえに、軍人とはいえ、彼女たちも戦いの仕事など存在せず。
一般人では、少し怪我のリスクがある。そんな雪かきが、彼女たちの仕事の1つであった。
「こちらには、もう慣れましたか?」
「……ちょっと寒いけど、いちおう」
「ふふっ、そうですか。もうじき春が来ますので、ご安心くださいな」
そう言って、ミコトは手を振り払い。それに付随するように、魔力が。鮮やかな手際で、雪が地面へと落ちていく。
力技ではなく、あくまでも丁寧に。
そんなミコトを真似してか。
シリカも同様に魔力を振るい、雪を下ろした。
「お上手ですわ」
「あ、ありがと、ございます」
「ふふっ」
微笑ましく。それはまるで、姉妹のように。
髪の色は白と黒。しかし、そんな事は関係ない。
極寒の深夜でも、魔法少女の2人は笑っていた。
「その髪の毛、雪に映えますわね」
「そう、です?」
また、シリカの真っ白な髪の毛に、雪が落ちる。
「雪見るの、ここに来るまで無かった。これ、食べれる、ます?」
「食べる? ふふふ、可愛らしいですわね、あなたは」
「?」
シリカに説明するように。ミコトは、雪を手のひらに乗せる。
「これは雨と同じで、不純物を含んでいる可能性があります。食べるのはオススメしません」
「そう。ですか」
「ええ」
そんな、他愛のない会話をしながら。2人は、次々と除雪作業を終えていく。
常人なら、とても大変な作業だが。魔法少女である2人にとっては、何の苦労もない作業であった。
「とはいえ、今年は異常気象ですわね」
「?」
「例年では、もうとっくに雪の季節は過ぎているはずです。良いことか、悪いことか。前者ならば良いのですが」
今年の雪は、いつもより長い。そんなことを、ミコトは真面目に考えて。
そんなミコトの顔を、シリカは羨望の眼差しで見つめていた。
魔法少女になって、およそ1年。訓練過程を終えたシリカが送られたのは、日本の最果て、北海道を担当する蝦夷防衛師団。
適正の有無、成績の悪さ。そういった理由でこの地に送られたのだと、最初はそう思っていた。
だがしかし、この上司、ミコトという魔法少女に出会って、その考えは吹き飛んだ。
ミコト大尉。蝦夷防衛師団のトップエースであり、ミコトの直属の上司。他者を圧倒する実力だけでなく、人格面でも非常に優れている。そんな彼女の部下になれただけで、シリカは幸せであった。
雪の寒さも気にならない。この人と一緒なら、わたしはなんでも良い。
そう思うまでに、特別な存在。
こういった、雪かきにしてもそう。軍では教えないような、不思議な魔法の使い方を、ミコトは伝授してくれる。
戦いだけが、魔法の力ではない。それだけが、魔法少女の生きる道ではない。そんな大切なことを、ミコトは教えてくれた。
尊敬する上司にして、理想の女性。たとえ深夜の除雪任務でも、全くもって苦にならない。
こんな生活が、ずっと続けばいいのに。そう思うほど。
だが、しかし。
「?」
突如として、輝く空。
幻想的で、超常的な流星群。
それが、すべてを変えてしまった。
◆
「こちらはミコト大尉です。どなたか、現状を把握している人はいますか?」
通信機を手に、ミコトは問いかける。
けれども、聞こえてくるのはノイズのみ。
いま求めている、他者の言葉は聞こえてこない。
「……」
そんな彼女の隣で、シリカも不安を感じていた。
なにか、良くないことが起きているような。
あの不思議な流星群が、とてつもなく大きな出来事を引き起こしたような。そんな感覚を。
遠くから、何か激しい音が聞こえてくる。
遠くの空が燃えている。
分からない。という恐怖が、シリカの心を侵していた。
人類と魔獣の戦争は、10年も前に終わった。世界は平和になって、魔法少女の役割も変わりつつある。彼女たちは、そういう世代の魔法少女である。
戦争を知らない世代。戦争に必要とされない世代。
ゆえに、いま何が起こって、何と戦っているのか。
それに気づくのに、あまりにも時間がかかってしまった。
――回避してください!
目の前で、光線に貫かれ、命を失う仲間を見た。
――逃げて! みんな逃げて!
激しい混乱の中でも、懸命に戦う仲間を見た。
――あれって、魔獣? でも、教科書に載ってるのと違う。
――お母さん! お父さん!
一体、何が起きているのか。
なぜ、こんな事になったのか。
多くの人々は、ただ混乱するだけで。冷静に判断し、動くことが出来なかった。
魔法少女である、シリカも同じ。
敵が迫ってくる。街が崩れていく。人が死んでいく。
それでも、シリカは動けなかった。
魔法少女は、
「――シリカさん!」
その声で、我に返る。
そこにいたのは、上司であるミコト。けれども、知っているその姿とはあまりも違っており。
全身が血まみれで、表情も険しいものであった。
「それ、血が」
「……わたくしの血ではありません。これは全て、守れなかった人々の血です」
ミコトは、蝦夷防衛師団のエースである。彼女は他者より経験豊富で、ありとあらゆる状況で動けるように訓練を受けている。ゆえに、この混乱でも魔法少女としての責務を全うすることが出来た。
しかし、それでも全てを守ることは出来ない。
「もはや、この地を守り抜くことは不可能です。敵の戦力は圧倒的で、このままでは皆殺しにされるでしょう」
その目で見て、戦って。
ゆえに、ミコトは冷静に判断する。
「上層部は戦力を一点に集中させ、港への道を切り開くつもりです。あなたは、ここにいる人々を守りながら、一緒に避難をしてください」
「……わたし、戦い」
「いいえ、無理をなさらないで。お願いですから、わたくしの命令に従ってください」
この少女は、戦えない。
少なくとも、今この状況では。
ミコトは冷静に判断し、シリカに命令を下した。
「では、また」
「……」
どこかへ向かう、ミコトの背中を、ただ見つめることしか出来ず。
守るといいながらも、ただ群衆に紛れるように。
シリカの最悪の夜は、そうして過ぎていった。