第69話 雪下燃ゆ(3)
真っ赤に染まる、夕暮れ時。
さざなみの聞こえる船の先端に、シリカは立っていた。
そばには、別の魔法少女の姿もあり。彼女たちの手には、巨大な網が。
真剣な眼差しで、海を見つめている。
「よし、引き上げるぞ!」
「は、はい!」
合図と共に。少女たちは、一斉に網を引き上げていく。
網には、大量の魚の姿があった。
かなりの重さだが、彼女たちは魔法少女。魔力によって肉体を強化し、凄まじい力で網を引き上げていく。
特別な力を持たない人々は、甲板に打ち上げられた魚を手分けして運んでいき。
みな、生きるために必要なことをしていた。
「ふぅ」
疲れた様子で、シリカは1人、船の端で座り込む。
こんな自分にも、役に立てることがある。そう思うことで、心の隙間を埋めていた。
巨大戦艦と、何隻かの船。
生存者の数は1000人を超えており、ただ生きるだけでも様々な苦労が存在する。
こうなることを、誰一人として予想していなかった。それゆえに、船の備蓄は皆無。ゆえに、こうして食料を調達している。
器用な魔法少女は、魔法によって海水を飲水へと変換したり。それぞれ、出来ることをしていた。
何度も網を引いて、とりあえずの食料は確保。
自分の仕事が終わって、のんびりとするシリカであったが。
「ミコトさん」
本土に調査へ向かっていた、ミコトを筆頭とする魔法少女たち。
その帰還を見て、シリカは嬉しそうに後を追った。
◇
大戦艦の艦橋。
そこでは、報告にやってきた魔法少女たちと、軍人たちの姿が揃っており。
みな、深刻そうな表情をしていた。
あまりの空気の重さに、シリカも入るのを躊躇するほどに。
「……1人も、見なかったのか?」
「ええ。少なくとも、動いている人間は1人も発見できませんでした。あるのは死体と、魔獣たちの姿のみです」
飛行可能な魔法少女。彼女たちの調査によって分かったのは、まさに絶望とも呼べる現実であった。
「もっと南下すれば、別の可能性も考えられますが。あそこまで魔獣が闊歩している状況を見るに、下手に動くのは自殺行為と考えます」
事態は、北海道だけで起きているのではない。日本列島そのものに、未知なる魔獣の脅威が存在する。
なおかつ、1日経過した現在でも、どことも通信が繋がらない。
他の生存者の痕跡は、絶望的であった。
「新たな魔獣に、飛行能力が無いのが幸いでした。仮にそこまで進化していたら、我々に生きる未来は無かったでしょう」
彼らが生き残ることが出来たのは、ただの偶然、奇跡である。
たまたま、港が近くにあり、戦力の連携が上手くいった。
この巨大戦艦を含め、動かせる船が複数存在した。
そのうえで、多くの犠牲を払い、土地を失い。
1000人を超える、避難民の集団が出来上がった。
北海道には、何百万人もの人々が生活していた。よその地域では、どれだけの避難が行えたのか。
現状確認できるのは、ここにいる1000人のみ。人類の数としては、あまりにも少なすぎた。
それでも、今はこの僅かな人々を守り抜かなければ。
軍人として、魔法少女として。自分たちには、その義務が存在する。
ミコトは、その意思を堂々と主張して。
陰から聞いていたシリカは、ぐっと胸を押さえていた。
◆
激動の夜。世界の終わった、次の日。
輝ける星空の下。
シリカは1人、船の先端に座っていた。
疲労は、かつてないほど感じている。心も体も、もう休みたいと思っている。だがそれでも、眠ろうという気分にならない。
少女にとって、複雑すぎる感情。
するとそこへ、ミコトがやって来る。
「眠れませんか?」
「……はい」
シリカと同じように、ミコトは隣りに座って。
2人の間に、なんとも言えない空気が流れる。
あれだけ楽しかった。あれだけ幸せだった。雪かきをしていた頃は、世界が輝いて見えた。
しかし今は、もう何も笑えない。
「よろしければ、膝枕でもどうですか?」
「……ひざ、まくら?」
その提案に、シリカは首を傾げる。
なぜ、という感情ではない。
単純に、シリカは膝枕という単語の意味を知らなかった。
少々、稚拙な言葉遣いと良い。このシリカという少女には、少々欠けている部分がある。
だがそれでも、ミコトは特に指摘はせず。
ゆっくりと優しい手で、シリカの体を抱き寄せた。
シリカの目に映るのは、変わらないミコトの顔と、満天の星空。
こんなにも苦しい現実なのに、シリカは不思議な感覚に包まれる。
温かい、感覚に。
「……お母さん」
「はい?」
シリカの口から出た、まさかの単語に。
ミコトは戸惑いを隠せない。
「お母さんって、こういう感じ、ですか?」
「……そう、ですわね」
シリカという少女のことを、ミコトは全て知っているわけではない。
どのような環境で育ち、なぜ魔法少女になったのか。なにか複雑な事情がありそうだが、そこに踏み込む勇気がない。
自分にできるのは、ただ優しく包み込むことだけ。
それこそ、母親のように。
時を忘れ、傷を忘れ。
ほんの僅か、穏やかな時間を過ごす2人であったが。
「……あれ、なんだろ」
シリカは、気づく。
星の輝きに混ざって、空から降ってくる何かに。
それは、ふわふわとしていて。
雪のようにも見えるも、何かが違う。
例えるなら、そう。
まるで綿あめのようで。
瞬間、閃光が生じ。
鋭い光線によって、乗っていた戦艦が攻撃を受けた。
「なっ」
突然のことに、ミコトも言葉を失う。
前兆は感じなかった。魔獣が近づく様子も、波が変わる気配も。
何も感じなかった。そもそもここは、日本海の真っ只中である。たとえ陸地に魔獣がいたとしても、捕捉される距離ではない。
なぜ、どうして。
それに最初に気づいたのは、シリカであった。
なぜなら、目に焼き付けていたから。
「降ってきた、わた。あれから、光が出てきた」
「わた、ですか?」
その言葉に、ミコトも空を注視する。
一体、何が攻撃を仕掛けてきたのか。
すると、その目でも捉えることが出来た。
ふわふわと空から降ってくる、白い綿のような何か。
そこから、ビームのようなものが放たれていることに。
「あんなものが、攻撃を?」
少女たちは知らない。それが、タンポポの綿毛に酷似していることを。
植物を避け、花を嫌う現代人だからこそ、それが花であることを理解できない。
とても、魔獣と関係があるとは思えない。
あのふわふわとした存在が、狙撃タイプと称される魔獣であることに。
空の彼方にある、巨大な月。
魔獣たちの目は、そこにある。
海へ逃げようと、どこへ行こうと関係ない。
この星に生きる以上、逃げ場はない。
それに、抗う術も。
「シリカさん、戦闘準備を!」
絶望の続きは、そうやって始まった。
――船の防衛。いいえ、まずは命を。
魔獣の姿はどこにもない。
けれども、空から降り注ぐ光線によって、船が貫かれていく。
穴の1つが、命取りに。
――このままじゃ全滅する!
――敵が、敵が見えない!
混乱。
混沌。
逃げ場がないという、恐怖。
――シリカさん、エンジンの防御をお願いします!
聞こえるのは、その声のみ。
見えるのは、その背中のみ。
昨日の夜と違うのは、ほんの僅かな覚悟のみ。
だがそれが、運命を変えた。
「エンジン、守る」
力強く、その体は動き出し。
展開した防御魔法にて、戦艦の帰還部を防御する。
シリカに出来る、精一杯。自分に出来るのは、これだけ。
しかしその意地が、魔獣からの致命的な攻撃を防ぎ切る。
見えない敵に包囲され、ビームの嵐に見舞われて。
逃げ延びることが出来たのは、シリカたちの乗った巨大戦艦のみ。
他の船は、すべて海の藻屑と化して。
戻れない、振り返れない。
悲しみと、叫びと。
ただ生きたいという気持ちだけで、僅かな生存者たちは海を往き。
戦艦大和、16号艦。
ほとんど大破したような状態ながら、ユーラシア大陸へと渡ることに成功した。
けれどもそれは、地獄のほんの入口に過ぎず。
待っていたのは、魔獣たちによる執拗な追撃。
クモ型の大型魔獣と、それに付随するヒト型魔獣たち。
まるで狩りをするかのように、ミコトやシリカ達は追い回されて。
手に入った車両と、生き残った生存者たち。
次々に、敵の魔の手に落ち。
人が、魔法少女の命が失われて。
――シリカさん!
そうやって叫ぶ、ミコトの声を最後に。
シリカは、意識を失った。
◆
冷たい雪から始まって、冷たい雪に終わる。
そういう運命のはずだった。
しかし、希望が繋がった。
シリカが目を覚ますと。
そこは、見知らぬ天井。
綺麗で、暖かくて。まるで、天国にでも居るかのような。
ここは一体、どこなのか。
シリカが戸惑っていると、扉が開き。
彼女が、やって来る。
「おはようございます。目が覚めましたか? シリカさん」
声が。
その声が、シリカを現実へと引き戻す。
安心する、温かな声。
それだけで、涙が溢れ出た。