第60話 小さな希望
「仮に、どこかへ移動するとして。やはり行動は日中ですか?」
「ああ、そうだな。ゼノビアも言っていたが、月には注意を払うべきだ」
解読の難しい、ガラテアの残したメモ。それを解読する中で、メンバーの中でも頭の良いゼノビアは、月の危険性を指摘した。
魔獣は月から飛来してきた。そして、全ての個体が一斉に地上に降りてきたとは限らない。
魔獣の生態には不明な点が多いが、今回の一斉攻撃を見るに、ある程度の戦略を立てるだけの知能を持つことになる。
魔獣という種が、そこまで進化したのか。あるいは、司令塔のような特別な個体が存在するのか。
もしも仮に、特別な個体が存在するとして。それが、月面から地上を監視している可能性もある。
「ステルスを維持するのも、そう楽な仕事じゃないしな」
今現在。操縦席にてホープへ魔力供給を行っているのは、クロバラである。別の日には、代わりにアイリが供給を行うこともある。
この一ヶ月、月面からの監視ということを警戒して、2人は毎晩交代で、常にステルス機能を維持してきた。
肉体的にも、精神的にも疲労がたまる仕事である。
「我々の中で、ステルス機能を維持できる魔力の持ち主は、後はメイリンさんだけです。今後のことを考えて、彼女にも操縦方法を教えるべきでは?」
「ああ、それは検討中だ」
機体のステルス機能を維持するには、七星剣クラスの魔力強度が必要。このアンラベルの中で、その基準を満たしているのは、クロバラ、アイリ、メイリンの3人だけである。
しかし、メイリンはあらゆる面で未熟さが目立つ新人魔法少女である。基礎訓練だけでいっぱいいっぱいであり、シカを狩るという訓練ですら、一番最後に成功したほど。
その彼女に、ホープの操縦方法まで叩き込むのは、少々難しいと、クロバラは考える。
メンバーたちの寝静まった、夜の時間。
クロバラとアイリはこうして集まり、夜な夜な部隊の方針について考える。
想像を遥かに上回る、魔獣による世界侵略。他所と一切の通信が出来ないという孤立状況。
その状況下で、これからどうするべきなのか。
人と魔獣の戦争。その多くを知るクロバラであっても、今は慎重に動かざるを得なかった。
地図を前に、少々、2人の間に沈黙が続き。
ポツリと、アイリがつぶやく。
「わたし達はまだ、軍人と言えるのでしょうか」
まさか、彼女の口からそんな言葉が飛び出してくるとは。
クロバラは少々驚きつつ。とはいえ、彼女もそこまで追い詰められているのだと察する。
「どうしたんだ?」
「わたし達魔法少女の責務は、魔獣と戦い、人々を守ることです。ですが今、こうして安全地帯に閉じこもり、魔獣はおろか、他の人間との接触すら行っていない」
「それは仕方のないことだ。わたしやお前ならともかく、アンラベルには新人が多い」
クロバラとて、今の状況を受け入れているわけではない。
それでも、メンバーたちの命を最優先に考えるのが、今の彼女の方針であった。
「確かに、ホープの機動力、ステルス能力をもってすれば、遊撃隊のように各地を飛び回ることも出来るだろう。生き残った人々、魔獣との戦い、そこへ飛び込むことは簡単だ」
未開拓領域、シベリア。ここから抜け出せば、世界には本当の地獄が広がっている。
魔法少女として、軍人として、本来ならそれと戦わなければならない。
しかし、わずか7名のアンラベルは、部隊としてはあまりにも幼すぎた。
「新種の魔獣には、未だに不明点が多すぎる。姿の見えない狙撃タイプを始めとして、未知なる戦力も存在するだろう」
姿を確認できている個体は、大量に存在するヒト型の個体と、ステルスと高機動を併せ持つクモ型の個体。
たった2種類しか、敵の情報を有していない。
「……ラグナロク。あれで多くの魔法少女が失われた。もしも彼女たちが生きていたなら、話は別だっただろうが」
魔獣殲滅作戦、ラグナロク。魔獣のみを殺す生物兵器、MGVキラーを用いた電撃作戦であり、多くの魔法少女たちがその作戦に参加した。
魔法少女たちは、その作戦で死んだわけではない。
終戦後、突如として蔓延した、魔法少女だけに感染する心臓病、ハート病によって、歴戦の魔法少女たちはその生命を失った。
クロバラの探し人。娘を託した科学者、プリシラによってワクチンが開発されたとの話だが。完成した頃には、すでに大半の猛者たちが命を落としていた。
ラグナロクを生き延びた魔法少女は、音速のオクタビアなど、ごく僅か。その僅かな魔法少女たちも軍を引退したため、大戦時と比べて、現代の軍事力は大きく劣っていた。
ゆえに、魔獣による奇襲に、為す術もなく敗れてしまった。
「隊長は、大戦時のことに、不思議なまでに詳しいですね」
「そうか?」
「ええ。その左目の秘密と、何か関係があるのですか?」
クロバラの左目、眼帯によって隠された秘密。
アイリは、それを知る数少ない人間である。
あの運命の夜。止めようとするアイリに対し、クロバラは自身の左目を見せた。自分の中に、魔獣の力が宿っていることを告げた。
だがしかし、教えたのはそれが最初で最後。なぜ自分にこのような力があるのか。そもそも、クロバラという人間はどうやって誕生したのか。
大戦を駆け抜けた兵士の記憶までは、未だに話していない。
「わたしの過去。なぜ、大戦時のことに詳しいのか。それを説明するのはいいが、なにぶん事情が複雑だからな」
「そう、ですか。わたしとしては、実はあなたはラグナロクを生き延びた歴戦の魔法少女であり、少佐の極秘実験によって魔獣の力を埋め込まれた。そういう感じかと思っていたのですが」
「いやいや、それは違う。ラグナロクを生き延びた、という部分については半分ほど合っているが。魔獣の力に関しては、ガラテアは何も関与していない。彼女は、そういう非人道的な研究には手を出していないだろう」
「なるほど」
どう説明するべきなのか、クロバラも悩むところである。
かつての大戦で、多くの魔法少女たちを教育した、とある兵士の結末。
亡き妻の心臓と、それと共存した魔獣の力によって、今の姿で生き返ったこと。
所在不明の娘を探すために、軍隊に入ったこと。
自分自身でも、よく分かっていないというのに。
専門外のことを話すのは、少々苦手であった。
「まぁ、落ち着いたら、いつか話してください。わたしだけでなく、できれば、他のメンバーたちにも」
「……そう、だな」
アンラベルの仲間たち。この一ヶ月の共同生活によって、メンバーの間には友情に近いものが芽生えつつあった。
だがしかし、クロバラは自分については何一つとして話していない。
「ただでさえ、今は異常な状況だ。こんな状況で、自分という異分子まで紛れていると知ったら、どうなるかが予想できん」
それほどまでに、魔獣というのは恐ろしい。
何百年もの間、人類と戦い続けた天敵。
それが混じった存在が、この部隊を指揮している。
メンバーがどういう反応をするのか。それが予想不可能であり、クロバラは何よりも恐れていた。
「……」
弱音を吐くクロバラに対し、アイリは少し考えるような表情をする。
果たして、その懸念は合っているのか。
アンラベルの少女たちは、クロバラをどう考えるのか。
「隊長。わたしが言うのも、おかしな話ですが。メンバーたちは案外、そういった事情に対しては――」
そう、アドバイスをしようとした時。
ジジジ、と。
静かな、ノイズが。
沈黙を続けていた通信機から、初めて音が発せられた。
『――誰か、誰か。聞こえますか?』
今にも途切れそうなほど、弱い信号。
消え入りそうな声。
だがしかし、その言葉は、メッセージは。
この船。
小さな希望へと、繋がった。