第61話 カムイの少女
真っ暗な夜。極寒のシベリアの大地。人の手から離れて久しく、道とも言えない暗闇を、何台もの自動車が移動する。
車のフロント部分やタイヤなどには、魔法のような光が漂っており。木々を薙ぎ払いながら、道なき道を突き進んでいた。
「くっ」
激しく揺れる車内。先頭車両に乗っていた1人の少女が、苦しそうに息を吐く。
そのそばには、1人の男性が。彼女を看病するように、心配そうに見つめている。
「ミコト、大丈夫か?」
「ふふっ、ご心配なく。左の脇腹に穴が空いていて、酷く痛む以外、問題ありませんわ」
「そうか」
ミコトと呼ばれる少女。美しい黒髪と、整った顔立ち。絵に描いたような美少女であるものの、その現状は酷いもの。
全身が傷だらけで、包帯も足りていないのか。腹部に巻かれた包帯は、すでに真っ赤に染まっていた。
「……すまない。できれば、すぐにでも治療してやりたいんだが」
「ですから、ご心配は不要です。わたくしは魔法少女ですので、この程度の傷は自然に治ります。まぁ、時間はかかるでしょうが」
魔法少女だから。
だから怪我をしても平気だし、戦う責任がある。
対して、何も出来ない自分に、男は悔しさを隠しきれない。
「眠ってしまっては、わたくしのカムイも解けてしまいます。どうか、お話を続けましょう」
「あぁ、そうだな」
彼女が、ここまで頑張っているのだから。何も出来ない自分は、せめて声をかけ続けなければ。
男は微笑み、ミコトに寄り添う。
「それにしても、ここは予想以上に寒いな。冬の知床もヤバかったが、ここはもっと寒い。まさかこんな場所があるなんて、世界は広いな」
「ええ、ですわね」
他愛ない会話。
けれども、ここで眠るわけにはいかないのである。
「わたくしは訓練していますので、寒さは平気ですが。そうですわね。普通の方々では、かなり厳しい環境でしょう」
「だが、それに見合うだけのリターンが、この土地にはあるはずだ」
希望を信じて、彼らはこの土地へとやって来た。
極寒の大地、シベリアへと。
「かつての大戦で、人類が追い出され。それにより手つかずとなった、未開拓領域。ここなら人間も暮らしていないから、魔獣たちも居ないはず」
「そうですね。そうだと、いいのですが」
祈り、願い。
幾多の苦難を乗り越えて、彼らはここまでやって来た。
だがしかし、
運命は、残酷なもの。
「……」
何かを察したように。ミコトは目を閉じると、深くため息を吐いた。
「どうした?」
「……クロキ少佐、準備を。どうやら、敵に補足されたようです」
人類の天敵、星に根を張る獣。
魔獣の襲来である。
◇
包帯だらけ、出血も止まっていない。そんな状態ながら、ミコトは起き上がろうとして。
それを、クロキが止める。
「バカ、動かずに休んでろ!」
「ですが」
「いいから。大丈夫、逃げ切ってみせるさ」
魔獣と唯一戦える存在、魔法少女。
しかし、すでに彼女は限界を迎えている。
これ以上、戦うという選択肢は選べない。
「アクセル全開、車両を絶対に止めるな!」
「了解です!」
運転手に発破をかけて、車両は速度を上げる。
続いて、クロキは後方の車列に対し、懐中電灯で信号を送り。それに追従する形で、車列全体の移動速度が上がった。
木々を薙ぎ払い、荒れた地面を跳ね。
見えない敵から逃れるために、全速力で走破する。
「ミコト、敵との距離は分かるか?」
「いいえ、ですが」
激しく揺れる車内で、ミコトは遠方に意識を向ける。
「後方のカムイから察するに、着実に近づいています」
「追いつかれる、ということか?」
「ええ。彼らの機動力は、この地に適応しつつあるようです。このままでは、車列に到達するのも時間の問題でしょう」
魔法によって強化された自動車。だがしかし、それでも魔獣からは逃れられない。
獣の魔の手が、すぐそこまで。
「くっ。ここまで来たってのに、まだ追ってくるのか」
地図を広げて、クロキは嘆く。
こんな極寒の大地まで、多くの犠牲を出して、死ぬ思い出生き延びてきたというのに。
「魔獣の本質は、殺意です。わたくし達を滅ぼさない限り、彼らも止まらないでしょう」
「どうにかして、助けを呼ぶ手段を探さないと」
「そうですわね。この先の大地、未開拓領域であるシベリアに、味方がいればの話ですが」
彼らは、ここまで逃げてきた。
安全に暮らせる場所を目指して、この未開拓領域まで。
魔獣が居ないということは、つまり人が暮らしていないということ。
ここより先の領域は、人類の生存圏ではない。つまり、万が一にも援軍など期待できない。
だがしかし、もはや先に進む以外の道は残されていなかった。
すると突如。
これまで猛烈な勢いを保ってきた車両が、突如としてパワーを失い。
木にぶつかって、停止してしまう。
「どうした、敵の攻撃か?」
「分かりません!」
車の運転手が悲鳴を上げる。
一体、急にどうしたというのか。
黒髪の魔法少女。ミコトだけは、その原因を理解していた。
「クロキ少佐。どうやら、シリカさんの魔法に、限界が近いようです」
ミコトの隣には、もう一人少女が眠っていた。
額に包帯を巻いた少女。彼女も、魔法少女なのだろう。
「車両を強化していた魔法が消えたのです。もう、この車列は進めません」
非常なる現実。
もはや、前に進むことすら不可能に。
「まだ、息はあるのか?」
「ええ。ですが、シリカさんの状況はわたくしより深刻です。適切な治療をしなければ、命が保ちません」
同じ魔法少女。
だがしかし、力までも同じとは限らない。
小さな魔法少女、シリカの手を握りしめ。
ミコトは、覚悟を決めた。
「わたくしが足止めを行います。そのうちに、皆さんはこの車列を捨てて、徒歩での避難をお願いします」
「なっ、そんなこと、出来るわけ」
「出来る出来ないではありません。より多くの命を救うために、それしか道が無いのです」
車が動かなくても、まだ足がある。
なら、前へと進めるということ。
道があるのなら、進むしかない。
「クロキ少佐」
ただ強く、ミコトは相手の目を見つめる。
「魔獣を足止めできるのは、どのみち、もうわたくしだけです。他の皆さんが居ても、足手まといになるだけ。ならば、どうか受け入れてください」
「ミコト」
「申し訳ありません。生き残るというのは、とてもつらいことでもあるのは重々承知です。ですがどうか、シリカや、皆さんをお願いいたします」
「くっ」
自分はただの人間で、相手は魔法少女。
言葉も、力も、ただそれだけでは意味をなさない。
非情な現実に、クロキは苦しむしかなかった。
◇
魔力を帯びた、真っ白なキツネ。
その小さな足取りに導かれるように、人々は車両から降りて、暗くて寒い世界を行く。
シベリアの極寒の大地。人間が生きるには、あまりにも過酷な環境。
だがそれでも、行かねば生きられない。
「皆さん。この先に、凍った川があります。そこを越えた後、北東の方角へと向かってください。わたくしの予想では、そこが一番安全な道かと」
全身包帯だらけ、すでに満身創痍。ただ立っているだけでも、足元へ血が流れていく。
そんな状態でも、ミコトは気丈に振る舞っていた。
「どうか、風邪を引かぬように気を付けて。それと、シリカのことを頼みました。彼女はまだ幼い魔法少女ですが、必ず希望へと繋がるでしょう」
そんな彼女に対して、車両から降りた人々は、一人ひとり、深く頭を下げていく。
感謝の気持と、申し訳ないという気持ちと。
対して、ただ微笑みながら、ミコトはそれを見送った。
去りゆく人々。それを背にして。
ミコトは敵と対峙する。
激しい音を立てて、1体の魔獣が、車両の上にやってくる。
すると次々と、後を追うように。
ヒト型魔獣の集団が、ミコトの前へと姿を現した。
多勢に無勢。しかもこちらは満身創痍。
だがしかし、
「悪しき獣たち。ここより先は、一歩たりとも通しません」
ミコトは魔力を展開。
全てを、さらけ出す。
「カムイ、開放」
彼女の魔法であろう。魔力によって形成された、白きオオカミの集団が出現。
魔獣へと向かい合う。
「さぁ、ゆきなさい!」
魔法少女、ミコト。
愛する全てのために、最後の戦いへと赴いた。