第51話 28日後
それは、白。
白に覆われた世界。
地球という星において、本来あるべき姿。
文字通りの自然。
「ふぅ」
息を吐けば、白く色が。
雪の降る極寒の地では、それが当たり前。
多くの生物において、生存には適さない。
それが極寒の大地であり、人間にとっても同じこと。
1人の少女が、その過酷な世界で息をする。
彼女の名はメイリン、魔法少女である。
背中には、翼型のデバイスが閉じた状態で装着されており。
その瞳は真剣そのもの、ある一点を見つめている。
自然の摂理。
この状況において、彼女は狩る者であった。
「こちらメイリン、目標を捕捉」
『……やれるな?』
「うん、任せて」
魔法少女になるまで、彼女はどこにでもいるただの少女であった。ただ、日々を懸命に生きて。当然ながら、争い事とは無縁の生活を送る。
しかし今、彼女は戦いの場に立っていた。
生きるため。生き続けるために、必要なことだと知っているから。
静かに息を吐きながら、メイリンは魔法を起動。
右腕を基点に、弓矢のように魔力が形成される。
ただの少女だった頃には考えられない、殺すための力である。
(……一撃で仕留める)
普通の人間ならまともに活動できない、極寒の世界。しかし、彼女は魔法少女。
このような寒さに負けることはなく、なおかつ戦う力を持つ存在である。
刹那の後、魔力の矢が放たれ。
獲物の脳天へと、それは直撃した。
極寒の世界、厳しい自然の静寂の中。
獲物が絶命する様を、メイリンはその目で確認した。
『おめでとう、メイリン』
「……ううん。これくらい出来ないと、本当の戦いじゃ足手まといになっちゃうから」
そう、これはまだ、戦場ではない。
彼女が殺した獲物は、巨大な角が特徴的なヘラジカ。
つまりはただの動物である。
生きるために必要な糧、食料となるもの。
メイリンはそれを狩っただけ。
『とはいえ、だ。これで、食料担当としては一人前だ』
耳につけた小さな通信機から、クロバラの声が聞こえてくる。
同じような少女だというのに、その言葉はまるで遥か年上のように頼もしい。
『ホープに帰るぞ』
「うん、了解」
狩猟したヘラジカ。
自分よりも遥かに巨大なその亡骸を、小さな体で背負って。
メイリンは力強く、雪の地面を踏み歩く。
あの日、世界が終わり。
北京から遠く離れたシベリアの地。
人類も魔獣も存在しない未開拓領域にて、魔法少女たちは生きていた。
◆◇ 第2章 新世界 ◇◆
広大なる自然。一面の雪景色。人が生きるにはあまりにも過酷な世界で、クロバラとメイリン、2人の少女が歩みを進める。
メイリンは、狩ったばかりのヘラジカを抱えたまま。どしりと重く、ひときわ深い足跡が続いてく。
「メイリン、重くはないか?」
「ううん、大丈夫。これくらいへっちゃら」
成人男性でも、この巨大なヘラジカを1人で運ぶのは容易ではないだろう。けれども彼女は魔法少女、その常識には当てはまらない。
懸命に自分の役割を全うするメイリンに対し、クロバラはなんとも言えない視線を送る。
「本当に大丈夫か?」
「……うん。重さは、大丈夫なんだけど。やっぱりちょっと、野生の香りが」
「まぁ、野生動物だからな」
室内飼いのペットとはわけが違う。自然でたくましく生きるヘラジカは、少女にとっていささか不快な臭いを発していた。
「そうだな。例えば、触らずに運ぶというのはどうだ? 魔力の応用で」
そんな、クロバラの提案を受け。
メイリンはヘラジカを地面に下ろす。
「それって、念力みたいな感じかな?」
「ふむ。まぁとりあえず、自分で試してみるといい」
ここは、同僚ではなく、教官としての立場で。メイリンに好きなようにやらせてみる。
魔力を手に集めて、それをヘラジカに向ける。
「むむむむ」
しばらく、そうやって魔力を込めるメイリンであったが。
ヘラジカはピクリとも動かず、諦めることに。
「うーん。ちょっと、難しいかも」
「そうだな。魔力で物を浮かせる。あるいは動かす。その最初のステップがこのヘラジカでは、流石に難しいか」
お手本とばかりに。クロバラが手をかざすと、ヘラジカの周囲に魔力が集い。ゆっくりと、その巨体が宙へと浮かぶ。
「わぁ、流石はクロバラちゃん」
「魔力は、魔法少女にとっての生命線。これをどれだけ自在に操れるかで、全てが決まると言っていい」
これで十分だろうと。
クロバラは魔力の供給を止め、ヘラジカを地面に下ろした。
「今日の訓練を思いついた。メイリン、このヘラジカを、触らずにホープまで持ち帰るんだ」
「え」
唐突な試練に、メイリンは絶句する。
「あのー、クロバラ教官。わたしようやく、魔力で弓矢を作って、攻撃ができるようになったばかりでして」
「そうだな、ようやくだ。というわけで、次のステップに進むべきじゃないか?」
「うわ、鬼!」
メイリンはほっぺたを膨らませつつ。
訓練なら仕方がないと、クロバラに従うことに。
「いつも言っているだろう。魔法はイメージだ」
「うーん。分かってるんだけど、そう簡単にいかないっていうか」
先ほどと同様、ヘラジカに手をかざし、魔力を込めるも。
やはり、動かない。
「言っておくが。魔力が違うから、とか。わたしの力じゃ、みたいな言い訳はダメだぞ? 知っての通り、お前の潜在的魔力強度は部隊でもトップクラス。本来なら、指先1つで動かせても不思議じゃない」
「あぅ」
逃げ道を塞がれてしまう。
改めて、真剣な表情で魔力を込めてみるも。やはり、ヘラジカは持ち上がらない。せいぜい、毛が逆立つ程度であった。
「なんで出来ないんだろう。これくらいのことなら、他のみんなは出来るんだよね?」
「そうだな」
そう言って、クロバラは懐から1冊の手帳を取り出した。
アンラベルのメンバーについてあらゆる情報を記した、彼女の訓練ノートである。
「手を触れずに、100kg程度の重量を持ち上げる。これがクリアできていないのは、メンバーの中ではメイリンだけだな」
「えぇ……」
メイリンは目に見えて落ち込む。
「アイリ、レベッカ、ティファニーの3人は最初からクリア。ルーシィは3日でクリア。ゼノビアは少々遅れて、10日といったところか」
「もしかしてみんな、何か特別な訓練を受けてるとか」
「バカを言うな。ここに来てからずっと、同じサバイバル生活をしているのは知ってるだろう。条件は同じだ」
「かぁ」
自分だけ出来ていない。その事実を正面から告げられて、更にへこむ。
「確かに、人によって得手不得手はあるが、実戦でそんな甘いことは言ってられない。仮に、そうだな。運ぶのがヘラジカではなくて、怪我人だったらどうする?」
少々、意地悪だとは思いながらも。
それでもクロバラはメイリンを試す。
「動けない怪我人が5人。1人や2人だったら、抱えて移動できるだろうが。複数人だったらどうする」
「それは」
「運べるだけ運ぶか、あるいは全員置き去りにするか。普通の人間ならそう判断するだろうが、わたし達は違うだろう?」
そう、彼女たちは魔法少女である。
不可能を可能にする力が、その体に秘められている。
「戦場では、常に予測不可能な事が起こる。しかし、たとえどんな困難が立ちはだかろうと、無理だ、とは考えるな」
「それは。……うん、分かってる」
あの運命の夜。勝手に戦場に行って、崩落した地下通路で。
こんな大きな瓦礫を動かすなんて、無理に決まってる。一度はそう思ったものの、メイリンはそれを覆した。
(力は、確かにここにある)
ここは戦場ではない。たとえ、このヘラジカを持ち帰れなかったとしても、致命的なことではない。しかし、そんな甘いことを言っていられる立場ではない。
なぜなら彼女は、魔法少女なのだから。
「動いて」
静かに、そう呟く。
今までとは違う。動いてほしい、浮かんでほしい。そんな感覚ではない。
願うのではなく、命令するかのように。
すると、今までびくともしなかったヘラジカが、ゆっくりと宙に浮かび始める。
「やった」
「見事だ」
不可能を可能に。
こうしてメイリンは、殻を1つ破った。
初めて会った日と比べたら、どれほど成長をしているだろう。
一ヶ月とはいえ、少女の成長速度は侮れない。
(……)
眼帯に隠された、クロバラの左目。青い獣の瞳が、微かに輝く。
それによって見通すのは、彼方まで続く銀世界。自然や動物に溢れた、無駄のない世界。
人も魔獣も、まだ存在していない。
けれども、ずっとこの生活を続けているわけにもいかない。
世界の終わりから、28日。
戦いの運命は、着実に近づいてた。