第53話 風と花
この一ヶ月、アイリにとって衝撃的な出来事の連続であった。
アジア連合最強の魔法少女、七星剣に名を連ねる1人。それなのに、なぜか新人だらけの特殊部隊、アンラベルに配属されることに。なおかつ、部隊のメンバーにはある疑惑のかけられている要注意人物が存在しており、その監視もアイリの仕事となっていた。
だがしかし、その仕事はたったの1日で様変わりすることに。
部隊が始動したその日の夜、突如として世界規模での魔獣侵攻が発生。アンラベルの拠点である北京にも、とても対処しきれない大量の魔獣が攻め込んできた。それだけでも、もはやアイリの処理能力を上回るほどの出来事なのだが。
最年少メンバー、メイリンの暴走。そして、それを止めようとする隊長、クロバラの無断出撃。軍人としての規律を何よりも重視するアイリは、当然のようにそれを止めようとしたのだが。クロバラが自らの秘密の一端を明かしたことで、戸惑い、クロバラの無断出撃を許してしまった。
そこから先の出来事は、なし崩しのように訪れた。基地に出された避難命令と、上司であるガラテアからの言葉、託された希望。
それに従って、アイリは専用機ホープの操縦桿を取り、戦場でクロバラたちと合流した。
その後、アンラベルは北京を離脱。魔獣の予想侵攻範囲から、確実に安全であると判断された土地、北のシベリアへとやって来て。
この一ヶ月、訓練を兼ねたサバイバル生活を行ってきた。
(……クロバラ。これから先も、あなたの意思に従うべきなのか)
アイリが懸念するのは、隊長であるクロバラのこと。無論、世界中に侵攻した魔獣の脅威や、生き残った人間たち。アンラベルの他のメンバーの成長など、考えるべきことは山ほどある。だがしかし、一番の問題はやはりクロバラであった。
眼帯の下に、獣の瞳を持つ少女。軍の上層部が危険視していた、文字通りの異端児。ガラテアは彼女の存在を受け入れ、信じるべきだと言っていた。
その言葉に従って、この一ヶ月近い間、アイリはクロバラの補佐、副隊長として活動を続けてきた。
クロバラの正体は知らない。あの日以降、ただ生きるのに必死で、腰を落ち着かせて話す余裕がなかったのも原因だが。
飛行魔法の訓練。そこで互いの意見が反発したことで、目を背けていた問題と直面することに。
(あなたの言う真の飛行魔法、見せてもらいましょう)
この一ヶ月で、彼女の人格面には触れてきた。どういう出自なのかは知らないが、部隊をまとめ上げることは出来ている。だがしかし、魔法少女の教官としてはどうなのか。
魔法少女としての経歴は、七星剣であるアイリが最も長い。ゆえに、指導という面でも、本当は自分が行うべきだと思っている。優れた魔法少女が、この場において教官になるべきではないのか、と。
そういう思いを抱きながら、アイリは空へ。クロバラがどんな訓練を見せてくれるのか、そういう思いで飛ぼうとするも。
「なっ」
振り返って、驚き。なぜならクロバラは、未だに地面に立っていた。飛行魔法の訓練をしてくれるのではなかったのか。
アイリは地上へと戻る。
「隊長、どうかしましたか?」
「あぁいや、すまん。実はわたしは、今まで実際に飛んだことがなくてな。少々、心の準備をしていたところだ」
「はい?」
飛んだことがない? これから、飛行魔法を教えようという人間が?
まさかの言葉に、アイリは絶句する。
「いや、な? 原理自体は理解しているつもりなんだが。ほら、一緒に学ぶような形式で訓練をするつもりだったから」
「……」
本当にこの人間を教官にしていいのか。
アイリは半分ほど諦める。
「心配するな。色々と言った手前、わたしも覚悟はできている。ぶっつけ本番だが、わたしが飛行魔法を教えよう」
クロバラは魔力を起動。すると、美しい花びらが、体の周囲を舞い。ゆっくりと彼女の体が浮かび上がる。
(大丈夫。これまで、どれだけの魔法少女を見てきたか)
その記憶には、誰よりも多くの経験が詰め込まれている。
最良の飛行魔法というものを教えるために、クロバラは空へと飛び立った。
◇
「ふぅ」
全身を覆う魔力。それによって発生する力場により、クロバラは飛行する。原理的には、念力に近いものだろう。他の物体を持ち上げるか、自分を持ち上げるかの違いである。非常に単純な魔法なため、特に問題もなく発動できた。
そばには、同様に飛行するアイリの姿が。
「わたしは風。そして、あなたは花ですか」
アイリの周囲には、微かだが風の流れが生まれている。魔力自体がそういう性質を有しているのか、意識せずとも風が発生する。
対するクロバラの周囲には、無数の花びらが舞っていた。無論これも、意識しているわけではない。彼女の性質ゆえに、ただ花びらが発生してしまう。
「魔法少女というのは、どうにもままならない存在だな」
「どういう意味でしょう」
「見ての通りだ。わたし達は今、ほぼ同じようなプロセスで空を飛んでいる。魔力により発生する力場、それを制御しての飛行だ。ただ、君が風であるように、わたしはこの花を否定できない。生まれ持った性質だけは、どうしても変えられない」
最初に魔法を使った時から、ずっと。クロバラの魔法には花がつきまとってくる。魔力障壁は巨大な花となり、全身にまとえば花びらが舞う。
「それが、魔法少女というものでしょう。自分の持つ性質を理解し、それを最大限に活かす。ゆえにわたしは、疾風の二つ名を与えられるようになった。そんな風であるわたしに、あなたが飛行を教えると?」
「確かに、難しいだろうが。それでもわたしは、君に教えられることがあると思っている」
「……では、見せてください。あなたの力、あなたの示す飛行魔法を」
「了解した」
そう言うと。クロバラは全身に魔力を、その出力を上昇させる。
歴代でも類を見ない潜在魔力。ガラテアがそう評した通り、圧倒的な魔力が渦巻く。
間近でそれを感じるアイリであったが、内心では別の意味で驚いていた。
(なんて、不思議な魔力。強度自体は圧倒的なのに、この距離でもまるで威圧感を感じない)
七星剣の他のメンバーなど。アイリは、自分よりも強い魔力の持ち主を知っている。背筋が凍るような、恐ろしい力の持ち主も知っている。
しかし、眼の前のクロバラからはそれらの放つ威圧感が全くもって感じられない。
魔力量自体は、七星剣である自分すら超えている。それなのに、どうして。
つくづく、不思議な人間だと思う。
「ついてこられるか?」
「望むところです」
準備は整った。魔力は万全、脳内のイメージも完璧。後は、ただ実践するのみ。
今まで、散々教えてきたのだから。
多くの魔法少女たちの記憶と、今の自分の能力。その全てを合致させて。
空間を蹴る要領で、クロバラは一気に加速した。
それはまるで、弾丸のようで。
「はえー」
「み、見えなかった、ね」
その一瞬の出来事に、言葉を失う。
「2人とも、消えちゃった」
彼女たちの目に見える領域に、すでに2人の魔法少女は存在しなかった。
魔力による力場制御に加えて、空間を蹴ることによるロケットスタート。それにより、文字通り弾丸のようなスピードでクロバラは空を飛翔する。
だがしかし、七星剣であるアイリにとっては、それほど驚くような速度ではなく。
先ほどと何も変わらず、風を纏いながらクロバラの後ろを追従していた。
「初速はお見事です。とても、初めての飛行とは思えません」
それは、本音である。初めての飛行でこれだけのスピードを出すのは、能力的にも、精神的にも中々できることではない。
だがしかし、それは一般的な魔法少女の話。
「まさか、これが限界ですか? わたしは、さらに数段上のスピードを出せますが」
「ふっ、そう急かすな」
無論、クロバラもこれが全てではない。最高峰の魔法少女、七星剣であるアイリに飛行を教えるのだから。彼女を驚かせるような結果を出さなければならない。
ゆえに、次の領域へ。
纏う魔力の量が、さらに増大。それに伴い、花びらの量も多く。
すると、ただ散っていくだけだった花びらが、クロバラの背中付近へと集まっていき。
まるで、翼のような形に。
力場の制御、空間蹴りの初速。
それに加えて、翼による飛行形態への移行。
クロバラの飛行速度は、見る見るうちに上昇していき。
やがて、音の壁すらも突破した。