第54話 自己受容(上)
青空を、一筋の輝きが飛翔する。
航空機ではない。それよりも小さく、それよりも強いもの。
魔法少女としての全てを駆使して、クロバラは飛行を行っていた。
空間を蹴ることによるロケットスタートに始め、魔力による力場制御、翼の形成によるさらなる加速。飛行に特化することで、クロバラは考えられる中での最高速度を発揮する。
事実、その速度は音速を超え。並の魔法少女では、すでに肉体が耐えられないほどの力に耐えていた。
だがしかし、
(驚いたな。まさか、これについて来るとは)
七星剣という称号を、少々軽く見ていたのかも知れない。
自分のすぐ後方を飛行するアイリの存在を感じながら、クロバラはそう認識を改める。
正確に測る手段が無いため、自分たちの現在の飛行速度は分からない。しかし、耳をつんざくほどの爆音と、体への衝撃から、音速を超えていることは確かである。
クロバラの知識の中でも、音速を超えられる魔法少女は数えるほどしかいない。
蹴りによるロケットスタート、力場制御、翼による飛行形態と、残りは魔力による加速。この全てを駆使すれば、アイリを上回るスピードを出せると考えていたのだが。
実際問題、彼女を過小評価していたと言わざるを得ない。
(やれやれ、これは困った)
徐々に、クロバラは速度を落としていく。音速を超える速度で飛行していては、話をすることすらままならない。
花びらを散らしながら。
時間をかけて、クロバラとアイリは速度をゼロに落とした。
「一つ、謝罪させてくれ。どうやらわたしは、君を過小評価していたらしい」
「……いえ、別に」
クロバラの言葉に対して、アイリは少々歯切れが悪く。
なぜなら彼女も、内心では焦りを抱いていた。
(初めての飛行? これが?)
軽く手が震えるのを、もう片方の手で抑える。
(わたしの全力でも、後ろを追うのがやっとだった。まさか、ずっと前を行かれるなんて)
全力を出して飛行していたのは、実は両者とも同じであった。
クロバラは、自分の考える最善のプロセス、最大級の魔力で飛行。対するアイリも、これまでに出したことのないトップスピードを発揮して飛行していた。
音速を超えた世界。体にかかる負担は想像以上で、見た目以上に体が疲労している。これ以上の飛行は、アイリにとっても辛いものがあった。
(認めざるを得ない、ですね)
風という性質がある以上、飛行に対する適性はアイリのほうが圧倒的に上のはず。だと言うのに、クロバラは互角のスピードを披露してみせた。
空間を蹴ることによる初速は、アイリのそれよりも速く。翼を形成することによる飛行形態は、音速での飛行を可能にした。
――わたしの考えからすれば、お前たちの飛行は完璧ではない。
そう言われたときは、何を馬鹿なことを、と思ったのだが。今なら納得することが出来る。
ただ風を纏うだけの今の自分は、まだまだ未完成だということを。
現状に甘んじているだけでは、さらなる領域には上れない。
風と花。魔力の性質で劣るはずのクロバラが、自分に匹敵する速度を出した。ただ、背中を追うことしか出来なかった。
アイリの思考は、その感情に埋め尽くされていた。
だがしかし、そんな彼女の心の内など知る由もなく。
「すまない、アイリ。こんな事を言うのは恥だと分かっているが、わたしにもう一度チャンスをくれないか?」
「……えっ?」
意味が分からないと、アイリは声を漏らす。
なぜなら、すでに十分なほど可能性は示された。
疾風の二つ名を持ち。七星剣の中でも、速度には自信があった。そんな自分に匹敵する飛行を見せられたのだから、クロバラの資質は認めざるを得ない。
しかし、どうやらクロバラにその自覚は無いらしく。
「出発地点、ホープのある場所まで競争をしよう。そこで、どっちが先に皆の元へと辿り着けるか。この勝負でわたしが勝ったら、どうか飛行訓練の内容を認めてくれ」
「は、はぁ」
アイリとしては、すでに十分すぎるほど認めているのだが。
彼女の熱意に負けて、その勝負を引き受けることに。
「では、5カウントでスタートにしよう」
「了解です」
両者ともに、魔力炉を全開に回す。
すでに相手の力量は知っているため、今度はアイリも最初から全力を出していた。
――5、4、3、
そのカウントの中で、無意識のうちに、アイリはクロバラと全く同じ動きをする。
まるで、模倣するかのように。
なぜ、自分でも分からない。
だがしかし、こうしないといけない気がした。
こうしないと、彼女に勝つことは出来ない。
――2、1、
クロバラとアイリ。
両者ともに、真剣な表情で。
――ゼロ。
それはまるで、光が弾けるように。
2人の魔法少女は、スタートと共に音速の壁を突破した。
◇
先ほどと同じ道を、先ほど以上の速度で飛翔する、2人の魔法少女。
お互いに並び、ただ前だけを見て飛行して。
そして両者ともに、相手の速度に驚いていた。
(スタートから合わせられた? まさか、空間を蹴ったのか)
アイリが自分のやり方を模倣したことを、クロバラは一瞬で理解する。
空間を蹴る。言葉にすれば簡単だが、そう簡単に真似できるものではない。なのに一回見るだけで模倣されるとは、その才能に驚くしなかった。
対するアイリも、並走するクロバラに驚きを隠せない。
(模倣は完璧だった。風の性質も合わせて、スタートで引き離せると思ったのに)
成長速度に驚いているのは、実はお互い様であった。
先ほどの飛行が一度目で、今回が二度目。この僅かな間で、クロバラは飛行魔法の精度を向上させていた。
頭では理解していた飛行を、先ほどは初めて実践して。その最中に修正できなかった細部を、二度目の飛行で改善しただけなのだが。
初速での音速突破。
両者ともに、お互いを置き去りにするつもりでスタートをしたというのに。
まさか、こうも拮抗するとは。
(お見それしました、隊長。どうやらあなたからは、学ぶことが多そうだ)
そう感謝しつつ。
けれどもアイリは、この勝負で負けるつもりはなかった。
七星剣が末席、疾風のアイリ。こと飛行速度に関しては、現役では最高クラスであると自負している。
決して口外はしないが、歴代でも相当であろうと。
ゆえに、ここで負けるのはプライドが許さない。
風の性質を利用した力場制御と、学習したばかりの空間蹴り。これでも勝てないのなら、さらに学べばいい話。
クロバラが実践しているプロセスは、もう一つあるのだから。
アイリはこの瞬間、自分の中で一つの壁を破った。
ただ纏うだけだった風の魔力が、意思を持って背中付近へと集い。
光り輝く翼のように、その姿を形成した。
クロバラの実践している飛行魔法、それの完全模倣である。
だがしかし、そこには大きな違いがある。
(あなたは花で、わたしは風。どちらが速いかは、一目瞭然です)
魔力強度で劣っていたとしても。
同じ環境、同じプロセスで飛行魔法を行使したのなら。
魔力の性質の違いが、最高速度の決定的な差となる。
疾風の翼。
この瞬間アイリは、魔法少女の歴史上、前人未到の速度へと到達した。