第56話 自己受容(下)
超音速の世界。その中でさらなる加速をする、アイリの背中を追って。けれどもクロバラは、懸命に魔力を回していく。
音速の壁を超えているという点では、両者ともに同じである。
だがしかし、そこからの伸びがまるで違う。
風と花、持っている魔力の性質が、この飛行速度という点では決定的な差となっていた。
速度を上げれば、それだけ体にかかる負担は大きくなっていく。だからこそ、どれだけ膨大な魔力を回しても、ここから先の次元では加速に限界が生じてしまう。それが、魔法少女の限界とも言える。
かつての魔法少女たちも、今のクロバラと同じ壁と直面したのだろう。
決して恥じることではない。彼女の理論は正しく、歴代の最高記録に並ぶほどの速度で飛ぶことが出来ている。
ただ、疾風のアイリという少女が、たまたまその壁を超える才能を持っていただけの話。
今まで教えてきた、どの魔法少女よりも。
(なんて才能だ)
称賛の気持ちしかない。超音速の世界に入るだけでなく、その中でもさらなる加速をしていく。
ただ教えるだけでなく、競争という同じ立場に居ることで、よりその素晴らしさが理解できる。
規律正しい性格の持ち主。しかもその上で、柔軟な思考も持ち合わせており、瞬時に飛行魔法を改善してみせた。
(七星剣っていうのは、こんなレベルの集まりなのか?)
現役にも、これだけ素晴らしい魔法少女が存在している。その事実に、嬉しいと思いつつ。同時にクロバラは、悔しさも抱いていた。
ただ教える立場だったのなら、こんな感情は抱かなかっただろう。
だがしかし、今は競争の最中。このまま負けるというのは、流石に悔しいものである。
なんとか追いつこうと、魔力の出力を高めていく。けれども、限界の先までは届かない。
――もっと、もっと。さらなる速さへ。
もはや眼中にない、そう言っても過言ではないほどに。風と一つになるように、アイリはさらなる高みへと上っていく。
しかし、クロバラにはそれが出来ない。
(風と花では、やはり勝てないのか?)
そんな弱音は、吐きたくはない。
自分は花の魔法少女。その事実は変えられないのだから。
そもそもなぜ、自分の魔力は花なのか。
なぜ、どうして。
そんな思いが、心に響き。
『――だったらあなたは、どんな力なら納得したの?』
ふと、声が聞こえてくる。
知らないような、懐かしいような。
そんな声が。
『ねぇ、教えて』
声は、自分の中から。
青い獣の瞳。その奥から、聞こえてくるようだった。
◆
気がつくと。
クロバラは、見知らぬ大地に立っていた。
透き通るような青空と、どこまでも続く広大な草原。
果てしない地平線の彼方から、涼しげな風が吹いている。
知らない場所、知らない光景。
だと言うのに、無性に懐かしさを感じてしまう。
故郷のような、始まりのような。
そんな不思議な気持ちに浸っていると、再びあの声が。
『ようやく、一つに。いいえ、少しは受け入れてくれたのかしら』
「なんだ、この声は」
不思議な世界に、不思議な声。初めての体験に、クロバラは驚くしかない。
『もしかして、忘れちゃったの? もしそうだとしたら、すごく悲しいんだけど』
「……まさか、ローズ?」
あり得ない。
けれども、その声の主には、その名前しか当てはまらない。
『嬉しい』
声の主は、ただそうぶつやく。
『とっても不思議ね。ただ、あなたに名前を呼ばれただけなのに。それがこんなにも嬉しいなんて』
「……」
見知らぬ世界、不思議な現象。
しかし、そんなことよりも、今この瞬間が信じられない。
右の頬を、涙が伝う。
「こんなところに、居たのか」
『えぇ、そうよ。わたしはずっと、一緒に居たの』
着ている服を、左胸を握りしめる。
ここにある、それを。
「死者蘇生。リインカーネーションには、死んだ魔法少女の心臓が必要」
『えぇ、そうね』
ようやく理解する。
自分の心臓となった魔法少女、それが誰なのかを。
「だから、魔力が花なのか」
この世界において、花は忌み嫌われるもの。
人類の天敵、魔獣を象徴する存在。
だからこそ、そんな花を愛する人間など、今までに1人しか会ったことがない。
そして、かつて。
クロバラではなく、人間として生きていた頃。
そんな風変わりな1人を、自分は愛していた。
――ツバキっていうのはどう?
――一体、何の話だ。
――馬鹿ねぇ。わたし達の子供の名前よ。
――待て。自分の名前がそうだからと、子供にまで継がせるのはどうかと思うぞ。
記憶が、鮮明に蘇る。
――それに。あれは綺麗な花かも知れんが、俺の故郷だと縁起の悪いとされる花だ。
――知ってるわ。花が一気に落ちるから、でしょ? 首が落ちるみたいな。
涙と共に、懐かしさが溢れてくる。
――わたし達の子供なのよ? 神様からの授かりもの。天より生まれ落ちる、愛しき我が子。
――生まれ落ちるから、ツバキ?
――そうよ。あとほら、男でも女でも、ギリギリ両方いけそうな名前じゃない?
自分の名前が、そんなノリで考えられた。
口が避けても、本人には言えないだろう。
それは、2人だけの思い出。
なぜ花なのか。
その理由がようやく分かった。
誰が、自分を生かしているのかも。
「君の心臓、だったのか」
『えぇ、相変わらず鈍感なのね』
人と魔獣が共存する、異端の体。
しかし今なら、それを受け入れることが出来る。
愛することが出来る。
ローズ。
それは、かつて愛した女性の名前。