第36話 RE:終わりの日(中)
魔法技術開発局、その中でも、深部と呼ばれる場所。
ほとんどの職員が知らない極秘の研究室へと、クロガネはやって来る。
するとそこでは、すでに1人の女性職員が急いだ様子で作業を行っていた。
「やはり来ましたか」
「ああ。これを、そのままにはしておけないからな」
彼が来ることを、まるで確信していたかのように。女性職員は見向きもせずに、作業を続ける。
クロガネも同様に、隣で別の作業を開始した。
「凍結中の心臓は、全て保管庫へと移送中です。局長は各種実験データの方をお願いします」
「ああ、言われなくても。これは戦争が終わった後にも、役に立つ代物だからな」
他の職員には、急ぎ避難するように言っておきながら。それでもこの2人は、この重要な作業を全うする。
これらの研究だけは、失うわけにはいかなかった。
「正直、来てくれて助かりました。わたしだけでは、終わるかどうか心配だったので」
「気にするな」
サイレンが鳴り止まない。タイムリミットが、刻一刻と迫っている。
それでも2人は黙々と作業を進め。
全ての物資、機材が地下の保管庫へと移送された。
「よし、死ぬ前に逃げるぞ」
「はい」
作業が終わり。クロガネと女性職員は、急いでその場を後にした。
◇
激しい轟音、何かが壊れ、崩れ落ちる音。それらが遠くから聞こえる中、2人は施設の中を駆けていく。
すでに敵は、この施設へ到達しているらしい。
それでも2人は、焦ってはいなかった。
「概ね、想定通りか」
「ええ。避難に必要な時間はありましたし、残っているのは我々だけでしょう」
迅速な避難指示により、すでに職員たちは避難し。彼らを除いて、施設はすでにもぬけの殻になっていた。
敵の魔の手、魔獣の襲撃は避けられないが、それでも守るべきものは守られる。
ならばもう、この場所に用はない。
「前に言っていたよな? 飛行くらいは可能だと」
「ええ、任せてください。日々衰えは感じていますが。局長を抱えて飛ぶくらいなら、まだ出来ます」
その女性職員も、かつては魔法少女と呼ばれる存在だったのだろう。
その体に、鮮やかな光が纏わりつき。魔法の発動準備が整う。
「多少重いだろうが、任せたぞ」
「ええ」
大柄な男性であるクロガネを、背後から抱えるようにして。女性職員の体は、宙へと浮かび。
ゆっくりとだが、飛行を開始する。
少し上空へと上がれば。
彼らの拠点、魔法技術開発局は魔獣たちによる侵略攻撃を受け始めていた。
この場所に思い入れは強いが、命を犠牲にしてまで守るものなど存在しない。
ゆえに加速、急ぎ離脱をはかる2人であったが。
「……今のは」
「どうした?」
施設から離れようという中、女性職員が何かに気づく。
「いえ、魔力のようなものを感じたのですが。施設に他の魔法少女は居ないので、おそらく気のせいでしょう」
彼女は確かに一瞬、施設の方向から魔力のようなものを感じ取った。だがしかし、それはあり得ない話である。
自分の衰えが招いた錯覚である、そう判断するも。
「いや」
クロガネは、嫌な予感がしていた。
「すまないが、戻ってくれ」
「ですが、今はもう感じません」
「それでもだ。たとえ微弱でも、魔力を放つ可能性は、魔法少女以外にもある」
「……了解しました」
クロガネの直感を信じて。
2人は避難を中断し、施設へと戻っていった。
◆
その生き物は、歪であった。
おおよそ、まともな進化の果てに生まれてきた存在ではない。
強靭な四肢や、鋭い爪は肉食獣のようで。それでいて、背中からは植物の蔓のようなものが無数に生えている。
これこそが、魔獣。
人類と真っ向から対立する、天敵と呼べる生き物である。
そんな魔獣と対するのは、怯えて、地面に座り込んでいる1人の少女。
父親を心配するあまり、残るという選択をしてしまった、愚かな1人の少女である。
相手がどのような者であろうと、魔獣の行動は変わらない。
ただ、殺す。踏み潰す。
それを実行するために、強靭な爪を振るおうとして。
一発の銃声が鳴り響く。
たった、それだけで。
強大な魔獣は、事切れたかのように崩れ落ちる。
「え」
魔獣の後頭部には、弾丸が命中した痕と。それによって貫かれた、一輪の花があった。
その花こそが、魔獣の生命線だったのだろう。
「ツバキ、どうしてここにいる?」
銃を片手に、クロガネが側へと降り立つ。
どうやら弾丸は、彼が撃ったものらしい。
父親が助けに来てくれた。その事実に、ツバキは涙を滲ませ。
親子が無事に再会できたことに、女性職員は安堵の表情を浮かべた。
「……だって、バスに来なかったから」
「言っただろう、俺は大丈夫だと」
なにはともあれ。こうして最悪を回避できたことに、クロガネは心の底から安堵する。
もしも、ここで娘を失っていたら、そんなことは考えたくもない。
二度と離すものかと、ツバキを大切に抱きしめる。
だがしかし、悠長にしている時間はない。
偶然、一体倒すことが出来ただけで、魔獣は大勢やって来ているのだから。
「プリシラ、一人増えても平気か?」
「ええ、まぁ。子どもならなんとか」
元々、立派な成人男性を抱えていたのである。女性職員、プリシラにとって、子ども一人など誤差に過ぎなかった。
これでようやく、完全に避難が出来る。
そう思った矢先、
空気が圧縮されるような、微かな音。
それに気づけたのは、クロガネだけであり。
「――避けろ!」
考えるより前に、彼はプリシラとツバキを突き飛ばし。
それとほぼ同時に、何かが発射されるような音が鳴った。
潰れるような、鈍い感触。
クロガネの左腕が、軽々と宙を舞う。
「ぐっ」
その光景に、突き飛ばされた2人はただ呆然と。
流石のクロガネも、片腕の喪失は痛手であった。
目を向けてみれば、こちらへ近づいてくる一匹の魔獣の姿が。
それは先ほどの個体とは違い、ゆっくりと四足歩行をする亀のような姿をしており。背中にあたる部分には、無数の砲台のような器官が備わっていた。
そこから射出された弾丸が、クロガネの左腕を吹き飛ばしたのだろう。
(射撃特化の個体。現役の魔法少女ならまだしも、今のプリシラでは)
ここに残っていたのが、兵士として数えられる、現役の魔法少女であったなら。きっと、別の方法があったのだろう。
だがしかし、今は選べる選択肢が限られていた。
そしてクロガネは迷うこと無く、たった一つの選択肢を選ぶ。
「……プリシラ、ツバキを抱えてここから離脱しろ。なるべく低空飛行でな。それまで、俺が奴の注意を引く」
たとえ左腕を失っても、戦う力が無くなったわけではない。
慣れ親しんだハンドガンを右手に、クロガネは魔獣へ弾丸を放った。
「ですが、局長は」
「冷静に考えろ。射撃タイプに狙われながら、お前はここを離脱できるのか?」
「それは」
「娘を、ツバキのことを頼んだ。俺のようにならないよう、できれば面倒を見てやってくれ」
彼の心は、すでに決まっていた。
自分にできること。助けられる命があること。
大切な存在のためならば、人は自分の命すら懸けられる。
「お父さん?」
「……」
娘の声に、クロガネは振り向かない。
きっと、もう二度と。
「行け! プリシラ」
「……どうか、ご武運を」
彼の意図を汲んで、プリシラも覚悟を決めたのか。
ツバキを抱きしめると、飛行の準備をする。
その小さな少女だけが、未だに状況を理解できていなかった。
「――お父さん!」
プリシラに抱えられながら、ツバキが叫ぶ。
何度も、何度も。
空を飛んで、離れていっても。
聞こえてくる声に、クロガネは振り向かない。
――全てが、銃声に掻き消される。