「では、お名前を」
「はい、クロバラと言います。上海北西に位置する、小さな村の出身です」
厳重なセキュリティ、鋼鉄の壁に囲まれた施設。
そこにある部屋の一室で、クロバラは軍人と思われる女性と面談を行っていた。
部屋の出入口には、武装をした警備担当者も立っており。ここがれっきとした、軍の一部であることを意識させる。
テーブル越しに向かい合う女性が、クロバラの提出した書類に目を通す。
メガネを着用した、真面目そうな女性である。
「教会育ちと書いてありますが、肉親は居ないということでしょうか」
「ええ、そうですね。赤ん坊の頃に捨てられたようで、親の顔は見たこともありません」
「なるほど」
「ですが、シスターや神父さんが育ててくれたので、何も不自由は感じていません」
「それは、とても素晴らしい心持ちですね」
すらすらと、クロバラは身も蓋もない嘘を吐いていく。
表情1つ変えず、見事なまでに。
「では、あなたの口から、どうして軍に入隊する気になったのかを教えてください。他の誰かではなく、あなた自身の言葉で」
面接官の鋭い視線にも、クロバラは動じない。
見た目は10歳そこらの少女でも、そのメンタルは鋼のように強靭だった。
「全て、恩返しのためです。わたしの育った教会は、とても優しい人達によって支えられた素晴らしい場所ですが。あまり、お金に余裕があるわけではありません。なので、軍の魔法少女になって、できるだけ多くの仕送りをしたいんです」
「……なるほど。まだ12歳になったばかりだというのに、素晴らしい考えです」
面接官の女性は、手元の紙に何かを書き記していく。
「正直、第一印象はあまりにも幼く見えて。本当に12歳なのか、怪しくすら感じました」
「よく言われます。あまり、背も伸びないので」
「そうですね。ですがこうして面談をして、あなたはとても利口な少女だということが分かります。年齢はまだ幼いですが、それだけ物事を考えられるのであれば、きっと問題ないでしょう」
「ありがとうございます」
どうやら、面接官からの印象は良かったようで。
とりあえず、クロバラは一安心。
だがしかし、最大の問題が残っている。
「提出した書類によれば、左目は生まれつき見えないとのことですが。それは、間違いありませんね」
「はい、もちろんです」
クロバラは微笑みながら、当然のように嘘を吐く。
「申し訳ないのですが、こちらにもいくつか確認事項がありまして。その眼帯を外して、左目を見せてはもらえませんか?」
「……どうしても、ですか」
「はい。なるべく正確に審査するよう、こちらも上から言われているので」
「……分かりました」
あまり、気は進まないといった様子で。
クロバラはゆっくりと、左目の眼帯を外した。
「まぶたを、開けますか?」
「……はい」
どこか、緊張したような雰囲気が、部屋の中に走る。
何かを警戒しているのか。
面接官の女性だけでなく、出入り口の警備員もその動向を見つめていた。
そして、クロバラが左目を開くと。
「……なる、ほど」
少々、歯切れの悪い様子ながら。
面接官の女性はクロバラの左目を見て、また書類に何かを記載する。
心配していた何かは、どうやら無かったらしく。
クロバラの左目も、多少濁ってはいるものの。
普通の人間と、さほど変わらない色をしていた。
「もう、いいですか? 左目を見せるのは、ちょっと恥ずかしいので」
「ええ、もちろん。眼帯を付けてもらって構いません」
視力のない、濁った左目。それを隠すために、このクロバラという少女は眼帯をしている。
それが、紛れもない事実として記録に刻まれる。
(ふっ)
目の前の面接官や、背後の警備員からの警戒心も、もう感じられない。
どうやら完全に、左目の見えないの少女として、認識されたらしい。
それを悟ってか、クロバラは静かに微笑んだ。
◆
「似合うかしら」
「似合うわよ」
「ええ、絶対に似合うはず」
「……はぁ」
クロバラが入隊試験を受ける前日。
彼女の事情を知っている唯一の協力者、オクタビアの手によって、クロバラは着せ替え人形にされていた。
オクタビアは1人だというのに。あまりのスピードによって、複数人いるように見える。
そんな音速に囲まれながら、クロバラは辟易とした様子だった。
「魔法の無駄遣いはよせ」
「あら、無駄なんかじゃないわ。せっかくだから、とびっきりにおめかししないと」
「……わたしの設定を忘れたのか? 田舎の教会育ちだぞ? そんなヒラヒラした洋服を着ていたら、違和感しかないだろう。元の服で十分だ」
「も、元の服って、あなた一着しか持ってないじゃない」
「それで十分だ」
「……不衛生だし、臭いとかも」
「わたしの設定は、身寄りのない小娘だ。むしろ、もっとボロボロで、穴だらけの服でもいい。何なら風呂にも入らずに、相手の同情を誘うような感じでも」
「よくない! せっかくの美少女なのに、わざと汚すなんてナンセンスだわ!」
明日の入隊試験を前にして、クロバラとオクタビアは無駄な部分で争っていた。
「どうせ入隊すれば、軍から制服を支給されるだろう」
「……はぁ。そうね、あなたはそういう人よね」
クロバラの断固とした態度に、オクタビアは折れる。
「それに、せっかく偽造情報を用意したのに、服装なんかで疑われたら意味ないもの」
冷静になって。
音速の速さで、オクタビアは大量の洋服をどこかへ持っていった。
そして何事もなかったかのように、クロバラの前へと戻って来る。
「で、残る問題は、その左目だけね」
「そうだな」
オクタビアが指摘するのは、眼帯に隠されたクロバラの左目。
それがやはり、最も懸念すべき点であった。
クロバラが眼帯を外すと、そこに有るのは青い瞳。
人ならざる十字、魔獣の瞳である。
「鏡と睨み合って、何とか消せないか試したが。こいつはどうにも無理らしい」
左目の輝きは、揺るがない。
「眼帯で隠したまま入隊できるほど、軍も馬鹿ではないからな」
「それにあなた。シャルロッテのところに辿り着くまで、かなり暴れたんでしょ?」
「う」
「こっちに向かう列車でも、魔獣相手に大暴れしたとか」
「列車に関しては、不可抗力だった」
「……ま、そうね」
列車の話になり、オクタビアの表情が僅かに曇る。
「新種の魔獣。正直、あなたの話じゃなかったら、信じてなかったかも」
「当たり前だ。誰だって、信じたくはないだろう」
「……そうよ。だってあいつらは、わたし達がこの手で、殲滅したんだから」
怒りで、拳に力が入る。
ラグナロクを生き残った、数少ない魔法少女として。
オクタビアは複雑な心境であった。
「で、これは何だ?」
「知らないの? コンタクトレンズっていうのよ」
最大の問題点である、クロバラの左目。
それを誤魔化すために、オクタビアは秘密兵器、コンタクトレンズを用意していた。
「昔、噂には聞いたことがある。確か目の中に入れて、眼鏡の代わりになるとか」
「……まぁ、その認識でいいわ。とにかく、今は技術も進歩して、こういうのが一般で流通するようになったの」
「なるほど。それで、これでどうするんだ? 見たところ、透明だが」
瞳に装着するコンタクトレンズ。
しかしそれは透明で、獣の瞳を隠すことは出来ない。
「そこで、わたしの名案。このコンタクトレンズに、色を塗るのよ!」
「……なに?」
クロバラが疑問を抱き、どういうことかと質問するより。
オクタビアは音速のスピードで動き。
気づけば、コンタクトレンズは真っ赤に染まっていた。
「とりあえず、絵の具で赤く塗ったわ。これを左目に装着すれば、軍の検査も誤魔化せるんじゃないかしら」
「……おい、待て」
絵の具によって、赤く塗られたコンタクトレンズ。
ひたひたと、赤い塗料が漏れている。
「色の付いたコンタクトって、天才的な発明じゃない? もしかしたらこれ、商品化できるかも」
「いや、おい」
クロバラの動揺など、目に入らぬようで。
オクタビアは自分の生み出した発明に興奮していた。
「落ち着け、オクタビア。コンタクトレンズを目に入れるのは、最悪よしとするが。絵の具で塗ったものを目の中に入れて平気なのか?」
もっともな疑問である。
オクタビアも、まるでロボットのように停止する。
「……大丈夫よ、きっと。ちょっと目に染みるくらいじゃない?」
「使った絵の具を見せてみろ、材料は自然由来か?」
「気にしないで!」
オクタビアは目に見えない速度で移動し、絵の具をどこかへ隠してしまった。
この場に残されたのは、真っ赤に塗られたコンタクトレンズのみ。
「ほら、今のあなたって、半分魔獣なんでしょ? 普通の人間がこれを目に入れたら、たぶん十中八九失明するけど、あなたなら治るわ」
「いや、だからといって、いきなり目に入れるのは」
「――はい!」
問答無用。
オクタビアは自身の持つ最大の速度をもって、コンタクトをつかみ取り。
クロバラが抵抗する暇もなく、それを彼女の左目に突っ込んだ。
「ぐぁ、目がっ」
たまらずに、クロバラは崩れ落ちる。
オクタビアの動きが速すぎたのか、それとも絵の具コンタクトレンズが悪いのか。
左目の激痛に、苦悶の声を抑えきれない。
「品質さえしっかりすれば、商品化は十分可能ね!」
クロバラは、目を誤魔化す手段を。
オクタビアは、新しい商品のアイデアを手に入れ。
「……目が、目がっ」
そんな前日を経て、クロバラは軍の入隊試験に挑むことになった。
◇
(早く取りたい、早く取りたい、早く取りたい)
眼帯の下の違和感。それとずっと格闘しながら、クロバラは面接官とのやり取りを耐え抜いていく。
文字通り、血の滲むような苦行であった。
しかし、それを悟られないように、表面上は無表情を貫いていく。
その苦労の甲斐もあってか。
「さて。とりあえず、メンタル面での問題はなさそうね。あとは適性検査だけだから、奥の部屋で待機してください」
「……了解しました」
ようやく、この地獄も終わる。
ホッとした気持ちの中、クロバラは面接官の指示に従って、扉の先へと向かう。
そこで、待ち受けていたのは。
「……ふむ」
まだ幼い、無数の少女たち。
12歳以上という条件で集められた、魔法少女の卵たちである。
その中の1人として、クロバラは混ざり。
自分がこれから何を目指すのかを、再び考える。
(ここが、始まりか)
魔獣の復活と、戦いの兆し。
それよりも、クロバラには果たさなければならない目的があった。
大切なものを、取り戻すための戦いが。