急停止した列車。
その中で、2人のチンピラはもみくちゃになり、やっとのことで姿勢を立て直す。
「ったく、何だってんだよ」
「ほんと最悪っすね。アニキの体重のせいで、俺も死ぬかと思いましたよ」
なにはともあれ。巨漢の男も、赤ら顔の男も。大した怪我はしていないようで。一体何が起きたのかを、冷静に考え始める。
「おい、バカス。ちょっと見てこい」
「えっ、俺だけっすか?」
「ばかやろう。俺の体格じゃ、つっかえてろくに進めねぇだろ。なんで止まったのか、運転手を締め上げてこい!」
「へ、へい」
アニキにそう命令され。渋々といった様子で、チンピラは車両の様子を見に行くことに。
とりあえず通路に出てみると。案の定、混乱する人々でごった返していた。
「こりゃたしかに、アニキじゃ無理かぁ」
チンピラは人々の間をかき分けて、先頭車両へと向かう。
すると、次第に人々の様子が変わっていくのを感じた。
聞こえてくるのは、悲鳴。
「うん?」
一瞬、チンピラは立ち止まる。
何か異常が起きている。人々が、何かに巻き込まれている。ゆえに悲鳴が聞こえてくる。
気がつけば、先頭車両の方から何人かの人々が血相を変えて走ってくる。
何が、それほど恐ろしいのか。何から逃げているのか。
人間の多くは、他者からの影響を強く受けるもの。パニックに巻き込まれれば、それにつられてしまうもの。
けれども残念なことに、このチンピラはそういう感覚が人よりも鈍いようで。
恐怖の感情ではなく、疑問が湧き出てしまう。
それゆえに、死の気配が漂う場所。
先頭車両まで、無謀にも足を進めてしまった。
◇
「何だぁ、おい」
先頭車両までたどり着き、チンピラは思わずつぶやいた。
そこにあったのは、静寂。
乗客は1人として残っておらず、異様な雰囲気を醸し出していた。
急ブレーキの影響なのか。窓ガラスが無数に割れて、地面にその破片が散らばっている。
その破片の中に、微かに赤く染まった物があることに、チンピラは気づかなかった。
「んん?」
チンピラは鈍い頭を働かせ、何が起きているのかを考えて。
その瞬間、目の前を何かが通り過ぎ。
微かな悲鳴が、聞こえたような気がした。
けれども彼が顔を上げても、そこには何も無い。
呆けたような表情で、チンピラが頭をかいていると。
ポタリ、と。肩に何かが落ちてくる。
ポタポタと、それは液体のようで。
「う?」
チンピラがそれを拭うと、それは粘り気のある赤。それが何なのか、鈍い彼の頭は一瞬では判断できず。
反射的に、上を見上げて。
「……あ」
ようやく、事態の深刻さに気づく。
車両の天井にあったのは、無惨に引き裂かれた人間の亡骸であった。
何が起きているのか。なぜ、人々は逃げていたのか。
どんな馬鹿な人間でも理解できてしまう。
これは、虐殺と呼ばれるもの。
何もかもが、手遅れになった頃。
窓ガラスを割って、何かが車両の中に入ってくる。
それを見て。
チンピラは、言葉を失った。
「あ、あ、あ」
何と表現すればいいのか。
それはとにかく、異形としか言いようがなかった。
図鑑に載っている、人類の知識にある生物ではない。けれどもそれは手足を持ち、獰猛な獣のように動いている。
人間や猿、それに近い形態をしているのか。体毛こそ存在しないものの、それは二足歩行で立っており。
何よりも恐ろしいのが、口以外、顔に何も存在しないこと。
体毛がなく、顔には口しかなく。
それに加えて、その肉体は非常に筋肉質で、爪や牙は刃物のように尖っている。
何なんだ、この生物は。
チンピラの脳には、答えが出なかった。
10年前に絶滅したという、魔獣の一種であろうか。けれども魔獣は、最終戦争によって根絶されたはず。
魔獣に対するそれくらいの知識は、このチンピラにもあった。おそらく多くの人たちも、その程度の認識なのだろう。
ゆえにパニックを起こし、ある者は逃げ出し、ある者は餌食になった。
それで言うならば、チンピラは犠牲者になる側であろう。恐怖と混乱から足がすくみ、その場から動くことが出来なかった。
すると異形の怪物が、彼を獲物としてロックオンする。
目に相当する器官が存在しなくとも、どうやら周囲の状況は認識できるらしい。
人型をした、異形の怪物。
それは異常なまでの初速で踏み出すと、チンピラの喉元へと爪を向けて。
彼の背後から現れた小さな影に、顔面を。
少女、クロバラのドロップキックをもろに食らい、怪物は蹴り飛ばされた。
その小さな体から、どれだけの力が発揮されたのか。
怪物は完全に押し負けて、車両の奥の壁へと激突する。
「ふぅ」
空中で一回転して、クロバラは華麗に着地。
余裕な表情で、チンピラの方へ顔を向けた。
「よう。生きてたか、こそ泥」
「あ、あんた。あんたぁ、俺の命の恩人だぁ!!」
緊張の糸がほぐれたのか。チンピラは感情を爆発させて、クロバラの体へと抱きついた。
クロバラは特に何も言わないものの、絵面だけを見ると完全にアウトである。
「泣きつくな、鬱陶しい」
そう言いながら。
クロバラが手にするのは、見覚えのある黄金の拳銃。
「そいつは、アニキの」
「ああ。ここに来る途中、人混みの中で詰まってたからな。少々拝借してきた」
この拳銃の威力ならば、魔獣を葬ることも不可能ではない。
「なら、俺の銃も使ってくれ!」
「……いや。流石に、お前のはいい」
チンピラの銃を、クロバラは突っぱねる。
デブから借りてきたデザートイーグルとは違い、チンピラの持つ銃は本当に質の悪い安物である。
仮に手元で暴発したら、もはや目も当てられない。
「あの化け物はわたしが対処する。お前は早く、後方の車両へ戻れ」
「わ、わかった」
「それと! 本当の本当にヤバいって時以外、その銃の引き金は引くなよ」
「お、おう。あんたも頑張ってくれ。魔法少女なら、あんな化け物楽勝だろう?」
「……あぁ、もちろん」
クロバラは振り返らずに。
チンピラは急いで、元の車両へと走っていった。
「……魔法少女、か」
クロバラは皮肉げに微笑む。
なぜならそれは、真っ赤な嘘なのだから。
そもそも彼女は、人間なのかも定かではない、異端児なのだから。
「まぁ。魔獣を殺せるなら、何の問題もないか」
慣れた手つきで、銃を構える。
まだ幼い少女だと言うのに。その姿はまるで、歴戦の兵士のようにも見えた。