脳が理解を拒む。だがしかし、現実を直視しなければ。
途切れそうな意識の中で、クロバラは自身の現状を。
腹を突き破った、ナニカを凝視する。
「なに、が」
力を振り絞って、後ろを見てみると。
そこに居たのは、今まで姿形も見えなかった、大型の魔獣。
原型となっているのは、クモであろうか。
鋼鉄のように変異した、8本の足が生えており。
そのうちの1本が、クロバラを背後から貫いていた。
(バカな。俺が、気づかなかった?)
クロバラが疑問に思っていると。
大型魔獣の姿が、一瞬だが透明になり、背景へと溶け込んだ。
(ステルス、とは。そんな進化まで)
驚きも、何もかもが遅く。すでにその一撃で、勝負は決まっていた。
大型魔獣は無造作に足を振り払うと、クロバラは力なく投げ捨てられる。
腹に開いた大穴からは、これでもかと血肉が溢れており。
立ち上がろうにも、指の1つも動かせない。
体が冷たく、あれだけ湧き上がっていた怒りも、消えてしまいそうな。
クロバラという生物の活動が、停止しようとしていた。
(これでは、10年前と、何も)
心がどれだけ引っ張っても、体は動かない。
無力な自分の姿が、俯瞰に見える。
――お父さん。
懐かしい声が、聞こえるような。
――約束だからね。
魂に刻まれた、忘れられない言葉。
それを走馬灯のように、思い出しながら。
「……ツバ、キ」
誰にも届かない、小さな声とともに。
左目に付けられた眼帯が、音もなく外れた。
◇
それは、思い出の断片。
脳ではなく魂に刻まれた、存在しない記憶。
1人の少女が、こちらを見て笑っている。
その姿は、クロバラに瓜二つ。
違いといえば、髪の色が鮮やかな赤色で、しっかりと両目があることか。
その少女と比べたら、クロバラは出来損ないの人形のように見える。
髪の色は真っ白で、左目は眼帯に隠されているのだから。
――行かないで、お父さん。
赤髪の少女が、こちらに手を伸ばす。
自分も手を伸ばそうとするも、それは決して届かずに。
無数の刃が、自分の体を貫いた。
(……こんな、力では)
肉体が再構築されていく。
戦うためでも、生きるためでもない。
ただ、もう一度、今度こそ。
あの手を掴み取るために。
(――まだ、終われん)
心臓の鼓動が、大きく高鳴る。
植物が根を張るように、その影響は全身へと。
その肉体は、新たなる種へと覚醒した。
◆
クロバラを葬った大型魔獣は、その強靭な肉体をもって列車を襲っていた。
すでに殲滅された、小型の魔獣たちとは違い。その行動は効率的とはとても言えず。
誰も居ない先頭車両から、粉々に切り刻みながら進んでいた。
じわりじわりと訪れる、確かな恐怖。
まるで、それを人々に味わわせるのが目的であるかのように。
絶望の化身として。
大型魔獣は、やがて人々の密集する後方車両へと近づいていく。
「あ、アニキ」
「……おふ」
生き残った人々の先頭には、あのチンピラ2人の姿があった。
他の者たちよりも度胸があるのか、それとも弾き出されたのか、それは定かではないが。
ただ1つ確かなのは、死に最も近い場所に立っていることだけ。
「アニキ、俺の銃で、どうにかしやしょうか」
「ばかやろうお前、何をどうするってんだよ」
「そりゃあれっすよ。魔獣には絶対、弱点の花が咲いてるから。それを撃てば倒せるって本に」
「花だって? お前、あれが見えねぇのか!?」
アニキが指摘するのも無理はない。
なぜならその知識の通り、確かに大型魔獣の体、クモで言う腹の部分には、大量の花々が咲いていた。
そう、大量である。
どれか1つでも潰せば死ぬ、そんなバカな話はないだろう。小型の魔獣が体内に隠していたように、この大型個体も生存能力の面において進化を果たしていた。
おそらくは、即死点である花はたった1つで、残りは全てダミーなのだろう。
無論、それを目視で判別することは不可能に近い。
「な、ならどうすりゃ」
チンピラの脳裏に、あの少女の言葉がよぎる。
本当の本当にヤバいって時以外、引き金は引くな。
つまりは、素人が銃を使っても危ないだけ、下手に使おうとするなという忠告である。
けれども、もう一つの捉え方も出来る。
本当の本当にヤバい時には、迷うことなく引き金を引け。
チンピラは彼女の言葉を、そうやって解釈し。
「俺だって。お、俺だってぇ!!」
どのみち死ぬのであれば。意地を見せて、せめてもの抵抗を。
チンピラは銃を構えると、銃口を魔獣の顔面に向ける。
震える手を、もう一方の手で押さえつけて。
狙いを定めて、引き金を引いた。
乾いた銃声、脆弱な弾丸。
けれどもそれは、幸運にも鮮やかな軌道を描き。
無数に存在する魔獣の瞳、特徴的な十字の眼球の1つを、見事に撃ち抜いた。
視界の1つを潰されて、大型魔獣は僅かに動揺する。
クモのように、複数ある目の1つが潰されただけ。大したダメージでは無いものの。
まさか怯える人間から反撃を受けるとは思っていなかったのか、魔獣は動揺していた。
「や、やった。俺やった!」
まさか弾が当たるとは思わず。歓喜の声を上げるチンピラであったが。
残念なことに、人類の反撃はここまで。
魔獣の恐ろしさは、常識外れの身体能力と、適応能力を持つこと。
撃ち抜かれた眼球は、すでに自然治癒が始まっていた。
小さな勇気によって放たれた、一発の銃弾。
それは単に、敵を怒らせただけだったのかも知れない。
魔獣の瞳、特徴的な十字の瞳孔が、真っ赤に染まっていき。
口付近に、眩いほどのエネルギーが集まっていく。
それはもうお遊びではない。
ただ純粋に、敵を殲滅させるための力。
魔獣の口から、強力な破壊光線が放たれた。
「ひ」
もはや抗うことの出来ない、絶対的な死の光。
チンピラだけでなく、後ろにいた多くの人々も、恐怖から目をつむり。
その衝撃を、受ける。
はずだったのだが。
「……お、おぅ?」
目前まで迫っていた、死と痛みの恐怖が、いつになっても襲ってこない。
どういうことかと、チンピラが目を開けてみると。
そこに立っていたのは、見覚えのある少女の後ろ姿。
少女は左手を前に向けて。
そこには、花のような形状をした鮮やかな光の障壁が展開されていた。
紛うことなき、魔法の力である。
「――すまない、遅くなった」
少女、クロバラは魔力障壁を維持したまま、穏やかな声でチンピラに語りかける。
真正面から魔獣と対峙し、人々に背を向けたまま。
あるいは、あえて顔を背けているのかも知れない。
急いで来たせいか、今のクロバラは眼帯をしておらず。
異端を象徴する左目。
魔獣と同じ十字の瞳が、青く輝いていた。