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57.間隙

「――」

 入ってくるなり豪快にぶっ倒れた義人の様に、癒師たちは皆言葉を失う。

 収容されている患者どころか王城へ移送された患者まで含めて、彼ほど深く呪われている者はなかったからだ。

 皮膚のすぐ下を這い回る呪はその身を青緑に濁らせ、汗すらも黒々と染めあげていて。

 この有様でここまで歩いてきたことを奇蹟と言うよりない。

 されど彼女らが知らぬだけで、彼はすでに相当な奇蹟を演じてきた。これはその絞り粕なわけだが、ともあれ。


「王者殿!」

 嫌悪を忘れて思わず駆け寄り、なんとか転がして仰向かせるカラスナ。

 本当にこの男はなぜこんなことになっている?

 王者は竜の加護を受け、あらゆる武も術も凌ぐ力を備えた存在なのではないのか。

 思いながらも「王者殿、生きたいですか!? それとも逝きたいですか!?」。

「いきる……おれ、しんで、らんねーん、だって」

 絶え絶えに紡がれた生きる意志は、か細くありながら異様に太い。

 これまで数多の患者と向き合ってきた彼女も、それだけは認めざるを得なかった。

 加えて彼の前面にばかり刻みつけられた数多の疵――なにひとつ鎧わぬ身をもって、馬鹿馬鹿しいほどの真っ向勝負を演じてきたのだという証も、信じざるを得なくて。


 遺憾ながら、ゴブリンと死闘を演じ、深い疵を負った王者が戻り来るのを迎えた竜魔の心持ちが少し理解できてしまった。

 だからこそ。

「なぜその生きる気力でご自身を大事にされないのですか!?」

 彼女からすれば当然の疑問である。

 そして彼からすれば言わずもがなの愚問であった。

「ほかのひと、だいじ、っしょ」

 この期に及んで、王者は本当の本気――ガチのガチで言い切る。

 なぜだろう。その超然とした阿呆面に腹が立ってしかたがないのは。

「60拍の間に呪の影響を可能な限り止めてほしい。あと180拍動けるようにできれば最高だ」

 淡々と言う花子の顔はやはり無表情で、王者を案じている様子はまるで見えない。

「あなたは」

 なにを言っているのですか!?

 この瀕死の重症者を、180拍動けるようにですって!?


 いや、わかっている。わかりきっているのだ。

 外部から染ませるのでなく、直接体内から作用させるカラスナの術は、完全には程遠いながら現在唯一の呪術への対抗手段だ。

 すなわち己の他に王者を――自ら窮地へスライディングして見事に嵌まったバカを救い上げられるものはいない。

 どれほどの困難だろうと気乗りがしなかろうと、カラスナはこの国のため力を尽くさなければならないのだ。


 本当に嫌いです、王者も竜魔も!!


「死ぬほど痛くしますから!!」

 高く告げて、聖具たるつけ爪の先を左肩の付け根へと打ち込んだ。

「ぅぎゃー、しぬ、しぬって、アタクシぃー」

 悲鳴にまで力がない。

 眉根が縦になるほど引き下げて、カラスナは得体の知れぬ憤怒を滾らせ、されど筋肉を掻き分ける爪先を繊細にって呪の進行を阻むが。

 義人の身は、これまで処置してきた患者とは比べようがないほど深々と呪に侵されていた。

 進行を止めようにも呪は肉を浸して骨へまで染み通っている。今にも機能を停止しそうな臓腑のほとんどを見限り、とにもかくにも肺から呪を掻き出していった。

 とはいえそれは池の水を匙で掻き出すようなものだ。

「いき、らく、なった、っす。まじ、かんしゃ、っすわ」

 だというのに、この男は嘘をつく。元気を少し取り戻せた振りを必死で演じ、それこそ死ぬ気で欺こうと心を尽くして。

 それはきっと、この男が常々口にしている義理やら人情やらというものなのだろうが。

「あたくしは――」

 いらない。聖女の血統でありながら慈愛の欠片も持たず、ただ「生かす」という義務を遂行しているだけの己に、そんな心尽くしを受け取る資格などありはしないのだから。

「――お黙りなさい!」

 逆巻く激情をまとめて飲み下し、ぴしゃりと叱りつけて黙らせた。

 これ以上体力を無駄遣いさせては、呪の進行を止められたとしても立てなくなる。


「あなたは人の国を守るために呪師と闘うのでしょう? 60拍、力の回復に尽くしていただかなければ」

 自分でも信じ難いほどやわらかな声音が紡がれた。

 今の義人は王者ではない。惨めで哀れな異相の患者だから。

 しかも生きると言ったのですから。あたくしはただ己を尽くせばいい、そういうことです。

 当然の心掛けであるはずが、なぜか言い訳をしているように思えてしまうのは実に不可解で不快なれど、今は集中――

「ひとじゃ、ねーよ。みんな、だぜ」

 そこんとこよろしく。とでも言いたげな顔を見せつけられて、せっかく鎮まったはずのカラスナの心が赤髪諸共ぶわりと逆立った。

 ああ、この男は本当にまったくもう!!

「お黙りなさい!!」


 どこを抉ってやれば最悪の痛みを与えられるだろうかと、そればかりを考えながらぐりぐりぐりぐり。

「マジいってー。マジくるしー。ガチ死ぬ」

 それで呪のいくらかを肺から追い出したことで、王者の息が落ち着き、うそぶきにわずかながら嘘ならぬ力が戻った。

「あと25拍」

 花子のカウントが忌々しい。

 あと20拍余りで王者を立たせる? 可能だと思うのか? 不可能に決まっている!

 それでも。

 生きると示したあなたを、あたくしは絶対に生かして差し上げます! ですから絶対に「このまま死ぬなど赦しません!!」。




 ゆるさない?

 毛布で作った暗がりの内、口を大きく開けて笑声が音となる前に吐き出し、散らす呪師。

 死んだらゆるさないだって。そんなこと言うやつ、ほんとにいるんだ。バカみたい。バカなんだね。バカなバカ、

 歌うように胸中で唱えつつ、服の内へ忍ばせていた呪具を抜き出し、握り込んだ。

 聞かされた掟はどうにも難しく、ほとんど憶えていないが、60拍の休憩が終わったら決闘だ。そうなればもう数える必要もない。始まった途端に決闘は終わるのだから。


「あ! 無理に立たせては」

「――俺、カウント8、って、感じっすか?」

「休憩時間だからカウントなしだ。息を整えろ」

 先ほど聞こえた恐い若い女の声がして、今にも死にそうな若い男の声がして、感情の薄い若い女の声がした。

 男が王者であることは間違いない。なぜなら己の呪が内に満ち満ちているのだから。放っておいても死ぬだろうが、それでは己の勝利が認められぬ可能性がある。

「心配かけて、マジ、すんませんっす」

「っ! あたくしはなにも」

「あの母にしてこの娘ありだなぁ」

「っ!! あたくしはなにも!!」


 言い合っていた3つの声が“あたくし”を残し、王者ともうひとりの女が数歩離れた。

 すばらしい。

 あと3歩離れたら、行く。


「呪師、どこっすかね」

「近くにいるはずだよ――くそ、君の呪が濃すぎてうまく探せない。ほんとに君は面倒ばっかりかけてくれるよ」

 と、ここで“あたくし”が半歩を踏み出して、

「あたくしも同行いたします! 王者殿を野放しにはできかねますので!」

「野放しって。まあ、あたしの言うことぜんぜん聞かないし野放しか」

「危ねーんで、待ってて、くださいって。俺、うまいこと、やってきます、んで」

「信じません!! うまくできない人がうまくできると言い張る、筋が通りませんよ!?」

「それこそ遺憾ながら同意だねぇ」


 3人の距離が再び縮まろうとしていた。

 まずい、このままでは機を失ってしまう。

 いや焦るな。己へ言い聞かせつつ、呪師は音をたてぬよう横向いていた身を捩り、うつ伏せた。

 他者の感情を読み、場の空気を読むこと。それは呪師の数少ない得意だ。

 全神経を集中させて聴き、計り、感じて、


「いやもう時間過ぎちゃいそうだし、そしたらまた60拍待たなくちゃいけなくなる。その間に後輩くんがどうなるかわからない。バカは風邪引かないらしいけど、呪はそうもいかないみたいだし」

「幸いですね! そうすればまたわずかでも王者殿の呪を掻き出して差し上げられます!」


 余計なことを言う“あたくし”に苛立ちを覚えつつ、呪師はなおも待った。

 こうなれば休みとやらに達したとてかまわない。どうせ真っ当な決闘などではありえないのだ。掟をいくらか破ったところで竜も口出しはしてこまい。なにせここまで勝手を通してなお沈黙を保っているのだから。

 呪師に知る術はなかったが、180秒がカウントされるまで、あと10秒となったそのとき。

「とにかく!! 王者殿を野放しにはいたしません!!」

“あたくし”の強い言の葉に王者ともうひとりが気圧され、後じさった。

 場の空気が重さを増しつつ弛緩する。

 今が、今こそが。


 間隙かいまく


 毛布を撥ね除け、呪師は倒れ込むように駆け出した。

 その先にあるものは“あたくし”の背中。その下側、腎へと握り込んだ呪具を突き込む。

 しんじてるよ、王者さま!!

「ア」

 タクシ! 言い切るよりも迅く王者が踏み出し、“あたくし”を引き倒しながら掌を突き出した。


 王者はぜったい“あたくし”のこと助けるって信じてたよ。王者は嘘なんかつかないいい人だから。うん、王者は信じてもいいなって思ったよ。


 そう、傀儡の目を通してずっと見てきたのだ。絶対に殺さない。絶対に死なせない。そのためばかりに己を傷つかせ、呪の苦痛に耐え抜いてここまで来た王者の高潔なる心を。

 だからこそ。

 そのなにより貴いものを卑賤なる己が躙り潰せることが、愉しくてたまらない。


 かくて王者の右掌へ、短剣の切先が潜り込む。

 あの日、己からあれを切り離した刃――あれを柄頭へ吊ることで、限りない怨恨を封じ込めた最高に最悪な呪具が、王者の内に。

「ちっ!」

 王者は咄嗟に拳を握り込み、刃を止めようとしたが、無駄だ。もう事は済んでいる。


「森の“名なし”が王者にちょうせんする」


 倒れ込んだカラスナと巻き込まれて押し倒された花子は見た。

 王者の右手を刺し貫いたのは、枯れ木のように痩せ細った体を分厚い装束でごまかした少年。輪郭のぼやけた高い声音からして相当に若い。

 そして、耳だ。

 エルフであるはずが、剥き出された耳は尖っておらず、人さながらに丸くて。

 故に気づかなかったのだ。患者としてここへ運び込まれてきた呪師の得体に。

「っ!」

 そして気づいた。短剣の柄頭からぶら下がっているものが干からびた肉――かつては呪師の長耳であったものの成れの果てであることを。


 だから耳か!


 傀儡が己の耳を裂いた理由は呪師の怨恨と自らの怨恨を重ね、呪を通しやすくするがためだ。ならばあの刃こそが呪師の耳を断ち斬ったもの。

 怨恨を怨恨で縛れば強力な呪具が生み出される。それで傷つければ当然、強い呪が対象者へ流れ込む。

 だとしても義人は耐え抜くだろう。

 薄まっているとはいえ10ではきかない数の呪を擦り込まれ、それでも動き続ける精神力を備えた男だ。倒れ伏すまでに呪師をノックアウトし、呪の根幹たる呪具を破壊してのけよう。

 だがしかし。

 すでに呪の染み渡った身へ突き込まれたなら、いったいどうなる?

 わかりきった話だ。

 燃料にして口火でもある呪が、彼の身へすでに押し詰まっていた呪を起爆させる!


「お――れ――」

 義人の震える左手が己の胸を掴んだ。

「おぉぅうじあゃあぉどぉのおぉぉおおぉおお」

「ぉこおぅあはあぃいぅくぅうんぅうぅんんん」

 カラスナと花子の声音がやけに間延びして聞こえ、紡がれる端から霞んで霧散して。

 すべての音が消え失せた後、心臓へ雪崩込んだ呪が彼へと告げた。


 死ね。


 ぐぢり、鼓動が握り潰されて……膝から崩れ落ちる義人の耳に、もうふたりの女の声音は届かない。

 なにも聞こえず、見えず、感じられぬまま背を床へ落とし、ようやく理解した。

 俺、マジで死ぬわー。


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