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56.呪師(後)

 二度目の絶叫が森へ響いたときより、またもいかほどか知れぬ時が流れた。

 あのときと同じように引き出され、跪かされた先は、またも長の眼前。ただし、他氏族の長どももそろい踏みした、つまりは氏族長会議の場へである。


 その姿を目の当たりにした長どもは一様に目を逸らし、忌々しげに息を止めたものだ。

 呪師は汚らわしい厄災。その視線が、その声音が、その身じろぎすらもが呪と成り果せる。それがただの迷信と知っているはずなのに、エルフは皆呪師を疎み、蔑んでいるのだ。


 呪師にとって長と女以外のエルフを見る機会は希だ。

 だからこそ、心が渇き、凍りつく。多数の他者の中に在ることを、己がどこかで喜んでいることを悟ってしまえばこそに。

 なれど誰かと目が合えば蹴りを喰らう。さすがに射られはしないだろうが、痛い目を見せられるのは確実だ。下を向いてうずくまっていなければ。


 しばしの沈黙の後、長のひとりがしかたなさげに告げる。

『新たな王者がゴブリンを破った』

 寝耳に水とはこのことだ。

 数百年前にこの大陸を制し、人の国を打ち立てた立役者である王者。

 その座を継承した新たな王者が、この世界に生まれたというのか。


 世話役がついた後、呪師を手なずけるためか彼女は初めのうち物語を読み聞かせたものだ。その中には世界を統べる竜の話があり、竜へ取り入り王者と成り果せた卑劣なる人間の話もあった。

 竜はともかく、王者については眉唾物だ。エルフが綴った物語の通り、エルフが高潔な心根を備えていたはずがあるまいし、だとすれば王者が語られるほど卑劣であったものとも思えない。

 が、平伏したまま弱々しくうなずいて、次の言葉を待つ。

 この場から早く解放されたい。後は長に蹴られる時をさえ凌げば、あとは術を修めることに数中できる。


『して、おまえを決闘の挑戦者とする』


 唐突に言い出した長へ続き、渋々とうなずいた他氏族の長どもを思わず見上げ、呪師は口をぽかりと開けてしまった。

 は?

 は?

 は?

 なにを言っているのだこの爺は。なにをうなずいているのだこの爺どもは。

 この己が森を代表して、竜の加護を得ているという王者と一対一で闘う?


 動揺を押し隠して弱々しくかぶりを振った呪師へ、また別の長が嫌悪を剥き出しつつ言う。

『ゴブリンが死ぬ際、王者はそれを阻もうとした。それだけではない。徒手格闘を指定しておきながらゴブリンに剣を取ることすら許したとのこと。つまり』

 また別の長が言葉を継いで、

『王者はこちらの得意を受け容れるだろう』

 ……だからどうした。

 呪は確かに魔術や治癒術といった現世に存在する術式とはことわりを別にする術であり、術者相手なら対峙したとてやりようはある。

 だが、それも攻めだけを考えたならだ。

 呪に己を守る術はない。故に呪師は相手に気取られぬよう隠れ潜み、術を仕掛ける。得物を遣う強者相手に向き合っては、呪う以前に殺されるだけのことだ。

 そうでなくとも王者の周囲には大勢の人間がいるはず。王者ならずとも呪を阻害することは容易い。そうして返された呪は速やかに呪師自身を殺す。

 呪師の魂は穢れており、死せる森の民が向かう神樹の楽園へは迎えられぬという。今さらそれを恐れはせぬが、だからとて犬死するために向かわされるのは――


 うつむけた顔を引き歪め、呪師は端が欠けるほど強く奥歯を噛み締めた。

 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!

 まだそのときには至っておらぬというのに!

 どうすればこの場を切り抜けられる? なにを隠して騙ればいい?

 床を睨みつけ、必死で考える呪師であったが。

『策はある。まずは人間どもを攪乱し、王者を城から引きずり出す。しかして数をもって彼奴めを陥れるのだ』




 提示された策自体は、これまで長たちが進めてきたエルバダ攻めの策を下敷きにしたものであるという。

 エルバダ王城の下から沸き出す清浄なる水は、エルフのみならず多くの種が求める恵みである。そしてそれを獲るには王者に打ち勝つよりない。

 初代王者に敗れ、覇権を獲られぬまま森へ逃げ込んだエルフは、額を突きあわせてエルバダを獲る策を練った。

 あの水をあきらめられようものか!

 なんとしてでも我ら森の民のものとするのだ!

 されど出される案はその場の熱が冷めればただの机上論で、いつしか彼らは身内の序列に拘泥する鬱屈した日々を送るばかりと成り果てて。


 しかし、エルフは呪師の誕生を受け、机上論であったはずの策を現実化させんと動き出した。

 呪を軸に据え、王者という脅威が不在のエルバダをとす。

 あの水で豊かな森を育て、エルフに尽きぬ食糧と、なによりも確かな寄る辺を得るのだ。

 無論、竜への畏れは根深いものであり、その約束に背くことを多くのエルフは拒んだが、これも長たちの言で丸め込まれることとなる。

『王者が現世に存在せぬ以上、約を守る義務はあるまい』

 勝ち取るのでなく、かすめ取る。卑劣ではあれ、異様な力を備えた王者と対するよりも確実な手ではあった。

 農耕を軽んじるエルフはすべてを森へ依存しているが、故にこそ日々は過酷である。なにに怯えることのない豊かな森とそれがもたらしてくれる恵みが欲しい。

 渇望が彼らの目を畏れから逸らさせた。


 果たして工作員を王都へ送り込み、密かに小規模共同体を形成、ついには王城の内へまで潜り込ませることを成した。

 比較的短みじかな期間でここまで調えられたのは、それこそエルバダが王者の威光を信じ込み、油断してくれていたおかげである。

 そして、あと数年の内に策は実行に移されるはずだったというのに。


 あろうことか新たな王者が誕生した。


 されど、策は今度こそ実行されなければならない。

 ここで止まれば氏族を焚きつけてきた長どもはそろって威信を損ない、地位を失おう。森に閉じ籠もるエルフにとって敵とは他氏族であると同時、同じ氏族の者どもだ。高い位置にあればあるほど、引きずり落とされた後に待つものは過酷で悲惨なものとなる。

 焦る長どもだが、ひとすじの光を見出してもいた。

 工作員から伝えられた新王者の馬鹿さ加減、それが真であるなら付け入る隙はかならずある。

 果たしてじりじりと待ち受け、待ちわびて、ついに。


 竜魔を通じ、新たな掟が報された。


 新王者らしい実に馬鹿げた内容に長どもは喜悦し、告げる。

『時は来た。ただちに挑戦の意を示せ』

 これならば竜の約束に背くことなく王者の称号を、さらにはエルバダをも獲られる。

 他種に邪魔をさせるな。

 迅速に行動し、敵が備えを固める前に為すのだ。


 ある処置をされた上で王都へ送り込まれていた呪師は、長たちの命のまま呪を発現させた。

 様々に思うことはある。

 なにせ今、この都には物語上の存在であるものと思い込んでいた“玲瓏なる竜魔”と“ぬばたまの閃牙”がいるという。それどころか5年前にゴブリンと争った際、エルフに与した北端侯までもが。

 長たちの思う通りに事が運ぼうはずはない。

 ああ、ああ、これ以上の好機があるものか!

 己が待ち望んだそのときが、ついに来るのだ!




 苦しい息を吐きだして身を丸め、呪師は隠した呪具を服の上から握り締める。

 王者。自分を殺そうとした敵に手加減できるとは、きっと皆から愛されて育ったいい人間なのだろう。虫唾がはしる。

 今、最後の傀儡が退治られた。耳が痛い。腹が苦しくて気持ちが悪い。辛い辛い辛い。

 この耐え難い苦楚くそはしかし、歓びでもあった。なぜなら傀儡どもが確かに使命を果たした証なのだから。

 あとたった一手を己が加えるだけで、愛されていて幸せな王者は最悪の死に様を晒す。

 なれど、それを見下ろしてわらってやる暇はない。

 なぜなら空を塗り潰さなければならないから。

 そのときにこそ、己に押し詰まり、口の外へまで溢れ出かけているそれを奥歯で噛み潰せよう。

 どんな味がするだろうか。

 どんな心地を味わえるだろう。

 噛んで味わって終わらせたい。

 だから。


 ここまで来い、王者。

 早く速く迅く。


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