城からの報せを受けたカラスナは、王都でもっとも設備の調った、それ故にもっとも多くの患者を受け入れている治癒院へ赴き、呪の猛威に苦悶する患者と向き合っていた。
いや、呪へ直接治癒術を打ち込む彼女の術は、他の癒師ではどうにもできない呪の進行を食い止め、症状を和らげる唯一の術であったのだが。
……見た目はただの拷問で、故に患者は苦悶しながらも彼女からなんとか遠ざかろうととあがき、引っ掴まれては問い質され、結局は絶叫するはめに陥っていて。
他の癒師は心を鬼とし、患者を彼女の元へ引きずり出す役目を担うよりないのだった。
「生きたいですか!? それとも逝きたいですか!? 生きるのですね!? では万が一にも死なないよう、歯を食いしばっていただけますか!?」
新たな絶叫を響かせておいてカラスナはふと顔を上げた。
空気が和らいだ――呪が、弱まっている?
呪の才がなくとも空気を侵す怪しげな圧が減じたことは肌で知れた。同時、風位の患者の容態がいくらか快方へ傾いだことも。
「理由は知れませんが呪が薄まっています! 重症者を王城へ!」
呪が弱まったとなれば、それは実に腹立たしいことながら王者と竜魔の働きによるのだろう。
呪の根源たる呪師が討たれたなら、母たる聖女王が率いる治癒術の手練れたちもまたその力を十全に発揮できる。今のうちに重症者を移しておけば、騒動の収束が一層速やかに行えるはず。
だが、これに対して癒師たちは困り顔を左右に振った。
患者は今も続々と運び込まれている。人手を割く余裕などあろうはずがない。
まったくもって当然のことだ。言われるまで気づけなかった自分にまた腹が立つ。しかし、カラスナもかなり疲弊しており、あと何人を絶叫させられるものか知れぬ有様で。
「――閃牙様!」
藁にもすがる思いで、ついに彼女は犬を呼んだ。
あれだけ嫌そうな顔で手伝いを拒んだくせになぜかついてきた犬は、運び込まれてくる患者の隙間を迷惑そうにうろつくばかりで、これまで一度として役に立ってくれていない。
「お願いですからせめて一度だけでもエルバダのためにお力を!」
両手を捩り合わせて必死に訴えてみたものの。
「ぐう」
ものすごく嫌そうに鼻を鳴らして、横を向いた。
だめだこれは。
伝説の魔獣だからなのか呪に侵されることもないようだし、そもそも普通の犬のように人の心配もしてくれないし、追い出そう今すぐに。
意を決して犬を捕まえるべくカラスナが立ち上がった、まさにそのとき。
「移送の任、我ら北端に任されよ!」
凜とした声音が響き、次いで薄鋼擦り合わせる強い足音が快い拍を刻みつつ彼女へと近づいてきて。
「王女殿下、
なにか言い返そうとしたカラスナだったが、声音の主の後方では癒師の指示を受け、連れられてきた女性兵士たち――彼女にも見覚えがある、北端侯配下の兵だ――が搬送を開始していた。
今、あたくしたちが為すべきは再会を喜び合うことなどではありませんね。
「お願いいたします」
声音の主へうなずいてみせたカラスナはすぐに身を翻し、次の患者へと向かう。
「今、ヨ――王者氏が向かっている。君の治癒術が必要とのこと。よろしく頼む」
声音の主の斜め後ろにいた少年がふと、彼女の背へ言葉を投げてきた。
こちらは隠しても仕方がないので記してしまうが、セルファン王子である。
周囲の癒師は無論のこと、患者たちまでもが痛苦を忘れ果て、その国宝なる美貌に魅入られるが、背中越しに視線を投げるばかりでカラスナは冷めた声音を返した。
「なぜ兄様がここに?」
北端の者たちの内に部外者の兄が混じっている理由は気になるところだが、そんなものは後回しでいい。それよりもだ。
呪は男性へだけ力を及ぼす。そしてセルファンは男子だったはず。効かぬとなればそれはもう。
兄様は男子たるを辞められたと、とどのつまりそういうことなのですね。
彼いや彼女の美貌がエルバダへもたらす益は計り知れぬものとなろう。嫌らしい話、あの姉は信じられないほどの高値で他国へ売れる!
「兄様、いえ姉様。新たな門出、カラスナ・オ・ラケシーザ・エルバタが祝福いたします!」
欲を隠してあたたかな微笑みを向けてきた妹へ対し、当の新姉様の返答はといえば。
「姉――私は生まれてからこれまで、1拍たりとも女子であった事実はないのだが?」
きょとんと言われて、妹は「え?」。
心の底から驚かれて、兄も「え?」。
絶望的な沈黙を破ったのは、件の声音の主であった。
「支度は調っております。参りましょう、セルファン殿下」
促され、あわてて外へ向かうセルファン。だがその途中で思い出したように、左に佩いた剣をなぜか左手でもたもたと引き抜いて、やっとのことで白く輝く刃を掲げ、
「邪なるエルフの呪はこの私、エルバダ聖女王朝継承序列第12位、セルファン・オ・ラケシーザ・エルバダが引き受ける!! 私を信じよとは言わぬ! この剣――初代王者がその左手に握って邪なる怪異を討り、透白の聖女へと預けたと複数の文献にて述べられる『邪祓の白刃』を信じよ! この穢れなき刃は邪気を祓うばかりか殺気や害意、己に向けられる悪なるものをもれなく祓うこと記されているが年月によるものか裏付けが取り切れておらぬか記述通りの力を発揮することはなくしかし私は逆に思うのだ人の希望は呪へ唯一対抗しうる強固なる
「殿下、ご無礼ながらお言葉が長うございます」
最近は披露の機会を失いがちだった早口を手慣れた調子で物理的に塞ぎ、連行していく声音の主。いったいいつの間にあれほど親しんだものか。
カラスナは己が爪で患者が噴き上げた絶叫を聞き流し、ため息を漏らした。
兄様が姉様になられても、あの偏執狂ぶりではとても高値はつけられませんね。
「ぐぅ」
いっしょに出て行くことなく残っていた犬が、相槌を打つように不満を述べた。
患者が減ったおかげで広くなった室内、漆黒の身を伸ばして寝転ぼうとするが。
「閃牙様も居座らないでいただけますか!? 有り体に申し上げまして邪魔です!」
「ぐぅう」
犬はばったりと床へ身を投げ、その姿をもって告げる。
絶対に、ここから、動かない。
「っ!」
これはもしや王者の嫌がらせですか!? それとも閃牙自身の嫌がらせ!? どちらでも構いませんけれど、嫌いです! 王者と竜魔と同じくらいあなたも嫌いです閃牙!!
「……とびきり痛くして差し上げますからね、王者殿」
患者を侵食する呪の先端を爪先で抉り込み、カラスナはまたも噴き上がった絶叫の奥で八つ当たりをしてやることを誓うのだった。
ハミを噛み締め、義人は振り向く勢いに乗せた左拳を敵の肝臓へ打ちつける。
「ぅぼぇっ」
呪の影響により痛苦を感じずとも、抉り込まれた臓腑の“反応”は抑えられない。
だが、彼は嘔吐しながらも素早く身を振り上げ、なにかを斬り上げてくる。
「っ」
常の王者であれば易く見切れた斬撃だが、呪の重さにまとわりつかれた身はバックステップひとつ踏むこともできず、咄嗟に右腕を突き出すのが精いっぱいで。
その腕に刃と繋がる柄の半ばが当たり――大きくしなって腹を裂いた。
「あぢーっ!!」
ざっくり斬り上げられた腹を捻り込み、左ストレートを敵の頬へ突き込んだ義人はその脇を踏み抜け、なんとか姿勢を立て直す。
背で手綱を
「また面倒なものを持ってきたな……!」
エルフが繰った得物は、弓の先端――和弓で言えば
この
王者の上体は裸なので防御力は当然ゼロ。易く斬れる、易く刺せる、だからこそ、易く殺せる。
後輩くんが露出趣味でさえなかったら!
と、今さら嘆いたところでしかたがない。
「56!!」
手綱を術式でもって真下へ引き、義人の上体を倒し込ませた花子が告げれば、彼はそこから頭を振り込んで弾みをつけ、流れるように左フックから右フックを敵の脇腹へ打ち込んだ。
次いで、反応によってがくりと落ちて来た顎先を体ごと跳ね上げる左のアッパーカットで突き抜き、その場へがしゃがしゃと崩れ落ちるエルフの額へ右拳を叩きつける。
「だ、はぁーっ」
昏倒したエルフを花子が術式で拘束する様を見つつ、義人は大きく息を吐き出した。
もう、力を込めなければ呼吸すらままならない。
いや、思いきり力を込めても、すでに満足に呼吸ができていない。
「これで邪魔はいなくなった。王女のところへまっすぐ駆け込める」
背の上から花子が平らかな声音を投げたのは、プラスであれマイナスであれ王者の心に刺激を与えぬためだ。
今、彼が立っていることは奇蹟。
それを演じる義人が流れ星のように燃え尽き、消え失せてしまわぬ内に、なんとかこの現世へ繋ぎ止めなければ。
「ガチ、息、できたら、マジ、うまいこと、しますん、で」
「ガチで頼むからマジでそうしてくれ」
花子は義人へ応えるのでなく願いをかける。
実際、彼は流れ星のような男だ。ふと目を離してしまったら、あっという間に消え失せてしまいそうなほど危うくて。
とまれ地上の流れ星は、ずるりずるり重い足を引きずりながら歩き出す。