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53.切迫

「6!」

 花子が放った声音、その語尾が言い切られるより迅く義人の右拳がボディブロウの軌道を描き、エルフが左脇に構えた弓をぶち抜いて脾臓を抉り込む。

 弓は矢を射る武器であるばかりでなく、魔術を発現させるための魔具だ。

 矢と術を不規則に切り替え、魔術を視る目を持たぬ王者を仕留めようという魂胆は阻まれ、エルフは上体を“つ”の字に曲げて「ぉごぅえげえっ!」、嘔吐した。

 その下がりきった顎を体ごと跳ね上げた左アッパーで突き上げておいて、義人は右へヘッドスリップ。横合いへ身をずらして後方のもうひとりが射込んだ矢を躱しつつ、左のオーバーハンドブロウでその鳩尾を突き抜く。

「がぶっ」

 呻きながらもエルフは止まらない。3人めと連動し、左右から蹴りを打ち込んで。

 これをブロックするのでなく、王者が左右の腕を伸ばして空手に云う押し受けを為したのは、背負った花子への衝撃を少しでも減らすためだ。

 両腕が伸びたことでがら空きになる腹。当然、蹴りを押し落とされたエルフふたりは矢と魔術とで追撃へ出るが。

「7!!」

 花子の声に反応した義人は後ろに置いた右の爪先を躙って内へ旋回。右斜め後ろから弓を掲げ、術を撃ち込まんとしていた4人めへ左足を踏み込ませる。同時、右ジャブで形造られようとしていた術式を砕いて顎先へ左ストレート、うつむかせて押し出させた額の紋へ右ストレートをぶち込んだ。

「ぁ、あばばばがへっ」

 額の傀儡紋を砕かれた4人めが激しく痙攣しながらその場へ崩れ落ちる。


 完璧なフィニッシュ。

 そう、完璧だったというのに。


「ふひっ」

 義人はずしりとのしかかる異様な重みに舌を打った。ちなみに音の間が抜けているのはハミを噛んでいるせいだが、それは置いておいて。

 舌打ちの理由はもちろん、敬愛する先輩が重いせいではない。エルフが呪師から受信し、身に溜め込んでいた呪を、左手の噛み傷から擦り込まれたせいだ。


 王者へ肉薄し、包囲陣を敷いたエルフは4人。問題は数よりも、全員がすでに己の耳をい千切って呪力を高めていることにある。

 そもそも対象を男性へ限定することで効力を高め、さらに中継させるという、以前には存在しなかった手段をもって為された術。

 対処の方法といえばエルフの傀儡紋を破壊し、アンテナとしての機能を止めるよりないが、呪は紋を打ち壊したそのとき、もっとも強く顕現する。相手に接触する以外の攻撃手段を持たない義人が逃れることは不可能であった。


 せめてあたしがこの呪のことってたら――!!

 跨がった背から伝わる後輩の様子は酷くなる一方だ。

 それこそ舌打ちしたくなる気持ちを抑え込み、花子は手綱を引いて彼の顔の向きを調整し、「3っ!」。

 それだけで義人にはわかる。

 体勢を崩したままのひとりめが放った風刃を左スマッシュで砕き、追撃を打つことなく手綱の導きで右へ旋回。風針を撃った3人めへ向き合ったが、さすがに遅い。

「ぁふぁあああああっ!!」

 左頬をざくりと裂かれる義人。されどこちらもまた左の拳を3人めの額へ突き立てていて。

「ぎぶぶうげげがばば」

 空気の抜けた風船よろしくでたらめな軌道を描いて噴き飛ぶエルフ。

 そして。

 その背後にて弓を引き絞っていたふたりめが矢を放ち、ぞぶり。王者の左前腕へ斜めに、矢頭の手前まで埋め込んだのだ。

「ぃぢっ!!」

 ――いつもの後輩くんだったら喰らわなかった!

 跳ね上がる後輩の背を腿で絞め押さえ、喉元へまで迫り上がってきた焦燥を無理矢理に飲み下して花子は「決めろ!」。

「ぉふっ!!」

 鮮血の雫を舞わせる左腕を引き、右ストレートを打ち込みふたりめを沈めた義人は上体を左右へ振り込み躙り出て、ぎくしゃくと上体を引き起こしたひとりめへ向かう。

 と。

 ひとりめがやじりへ己が喉を押しつけた。

 この死をもって、呪を最大へまで育て上げよう。同胞の栄華のために命を遣う、それこそが己の産まれ出でた意義とい「ぶぅ」。

 王者の右フックでぶっ飛ばされた彼は、もんどりうって1、2、3と石畳を跳ね転がり、ようやく停止したのである。


 薄い疵が刻まれたその喉を横目で見やり、義人はハミを強く噛み締める。

 絶対もう、どなた様も死なせねーんだよ俺ぁよー!!

 だが、その奥歯からほろりと力が抜け落ち、ハミと口腔の間に生じた隙へ「ぇああ」、力ない息が漏れ出て低い音を鳴らした。

 体が重い。

 息が重い。

 血が重い。

 生が、重い。

 1秒ごとにいや増す重さは心臓へと這い込んで、鼓動をも妨げる。

 やばい。なんか、止まっちまう。


「矢を抜くぞ! 1回切って、塞ぐ! 休憩1分の間に済ませる!」

 鋭い声音で沈み込みかけた彼の意識を釣り上げ、現世の縁へ引っぱりあげた花子は、速やかに後輩の口からハミを消し、少しでも息が通りやすいようにしてやった。

「せんぱい」

 新鮮な息を吸い込めたおかげか一応は醒めたようだが、音の輪郭がぼやけている。このままではすぐにまた落ちてしまう。

「麻酔なんてないし、男の子らしく我慢しろよ」

「うー、いてーのヤなんすけど。だっていてーっしょマジで」

 ついにがくりとへたり込んだ彼の背から跳び下り、花子は竜爪をもって矢をほじり出した。

 神経を傷つけぬよう、その上で気つけとなる痛みを和らげぬよう注意を払い、傷口を塞ぐ。

「ちなみに肉どころか骨まで呪われてたよ。記念に見とくかい?」

「こえーから見ねっす」

 さすがに絶対拒否する義人だが、ぼやけていた目へ光を取り戻し、何度もしばたたいて、

「ありがとございまっす。ちっと楽んなったっす」

 青ざめた顔を無理矢理に笑ませた。

 とはいえ、その冷めた青に混じる奇っ怪な緑は、彼が深々と呪に侵されていることを示している。

 実際、今し方開いてみた彼の肉は酷い有様だった。呪が根を張るように食い込み、神経までもが穢されて……彼が動ける理由がまるでわからない。

 唯一の幸いは勇者戦のときのように血が抜けていないことだが、こうなってしまえばなんの救いにもなりはしない。一刻も早く呪師の元へ辿り着かなければ、タイマンを張る前に王者の敗北が確定してしまう。


 それでも、呪師と対する前に、黄金よりも貴重な時を費やしてでも言っておかなければならないことがある。

「わかっただろう。君が大好きなタイマンなんてものは幻想だ。なんでもありってのはそういうことなんだよ」

 ほんとに今度こそ理解しろ。それで今から掟を変えろ。言外にたっぷりと含めたはずの意は、しかしというべきかやはりというべきか、丸々と無視される。

「やばいっすね」

 ぽつりと答えた義人はしかし、懸命に考え込んで探り当てた言葉を継いだ。

「だってこれ、エルフのガチっしょ。マジ半端ねっすわ」

「いやいや、さっきあんなにズルだって怒ってたじゃないか」

「俺に持ってくんならオッケーす。でも他のみなさまにひでーことしてんのぁ叱ってやんねーと」

 君はこんなものまで「ガチ」で済ませるのか。

 怒るよりも慄くよりもあきれ果てて、花子は今日何度めかのため息をついた。


 傀儡の役を担っているエルフは、彼らという種族全体を表す“森”の内でも地位の低い者たちだ。つまるところ死のうが王者を殺そうがけして贖われぬ、正真正銘の捨て駒。

 エルフの性など元より綺麗なものでないが、自分がこの世界を離れていた数百年の間に差別主義へと傾倒したらしい。

 まあ、閉鎖的な環境じゃありがちな流れだけどね。


 と。胸中へ苦々しく吐き捨てたところで、義人がのんきに割り込んできた。

「でも先輩も半端ねっす。マジでセコンダー花子って感じっす」

 震えながらサムズアップを決める王者の右手。

 無理をしていることは瞭然で、そこまでしてなぜ意味のないことを言いたがるのやら。

 まさか初代王者の力が作用しているのかと思ってみたが、義人の手の内に在るはずの力は不気味なまでに鎮まっており、もしや消え失せたのかとさえ思わせるほどで。


 手は作用も機能もしていない。

 義人の意に従い、ただ動いているだけだ。


 いったい“君”はなにを企んでるんだ? 思いはすれど投げかけることはせず、「セコンダーってなんだい」、ため息交じりに言葉を継いだ。

「前にも訊いたけどね。君のガチは君だけのものか?」

「ちげーっす」

 神妙な顔で答える彼へさらに、

「だったら君のタイマンだって君だけのものじゃない。君がみんなをほっとかないのといっしょだ。あたしは君をほっとかないよ、絶対にね」

 言い終えて、そうかと得心する。

 見守るとかなんとか言っといて、あたしはそれだけじゃ嫌なんだ。

「だって君はあたしが見つけた王者だ」


 王者? 彼の言葉を借りて言うなら「ちげーっす」。

 義人は本当に身勝手な花子の都合を果たしてくれる、贄だ。捧げられるまでは生きていてもらわないと困るし、ちゃんとおいしく育ってもらわなければ。

 ――どこまでいっても、あたしは義理にも人情にも目覚めないし、理解できもしない。

 君がほんとに君なのといっしょで、あたしはほんとに、あたしなんだ。


 思考の隅から皮肉な諦念を押し出し、花子はあえて偉ぶった表情を作って言った。

「さあ、あたしの都合のために馬車馬みたいに働け」

「押忍!」

 先輩の芝居にまったく気づいておらぬものか、応えた義人はすぐさま駆け出そうとして、びん! 手綱に引き止められる。

「ぁんふは!?」

 再出現したハミに邪魔されながらも理由を問えば、花子は平らかに答えたものだ。

「先に赤髪の王女のところへ行く」

 カラスナの居場所は探知済みで、その際に彼女の術が呪の進行を食い止め、いくらかは押し返していることも盗み聞いていた。


 染み込ませるのでなく、直接患部へ突き込み、作用させる術式。

 過去の遺物であったはずの呪、それをいくらかなりとも止められるものが新たな方法論で生み出された治癒術だった。花子としてはおもしろみを感じずにいられないわけだが、さておいて。

「少しだけどあの子の術は呪に効くらしい。不幸中の幸いだね。これでなんとかタイマンまで保つだろうし」

「……ぉふ」

 義人の了解に力がないのはカラスナの術が激烈に痛いと知っているからだ。

「よく効く薬が苦いのといっしょさ。よく効く術は痛い。ほらほら急げ急げ。民草に迷惑かけてる呪師は放っておかないんだろ、義理と人情、義人くんは?」

 適当になだめておいて、花子は意識を引き締めた。


 カラスナはすぐ近くにいる。

 それに、おそらくは人間に擬装した呪師もそこへ潜んでいるはず。

 アンテナどもと義人が闘う中、花子は意識の一部を斬り離し、傀儡に繋げられた呪の糸を手繰って大元の在処を探してきたのだ。

 とはいえ確定できたわけでなく、推定止まりではある。理由は呪われ過ぎた義人がここにいるせいなのだが、それでも。


 絶対に逃がさない。そこで勝負を決められなきゃ後輩くんが死ぬからね。


 だが、無視することのできぬ大きな懸念もあった。

 もし呪師が居所を見抜かれることさえ織り込んでいるなら……対したそのときこそが最大の窮地となる。

 ただ、その窮地がなんなのか、呪師が仕掛けてくるだろう一手がなんなのか、情報がなさすぎてどうしても割り出せない。


 情報がないのは何百年もこっちの世界から目を逸らしてきたあたしの傲慢と怠慢のせいだ。

 おかげで長生きして貯めてきた経験値もまるで役に立たなくて、この有様だよ。

 ――だったら必死になるしかないだろう。

 到着するまでに目から血が出るくらい考えろ! 呪師がやりそうなこと全部、対処の方法も全部!


「……先輩、俺大丈夫っすから」

「んあ? ああ、それはまあ、いいことだね」

「先輩がうんこ終わるまで俺気づいてねーフリして待ってまずぎぎぎぎぎゃがががががあぁあぁあああぁあっ!! めくれるっす! 俺めくれちゃうっすぅー!!」

 玲瓏なる竜魔は閑所かんじょに行かない。

 1センチあるかないかの髪ごと頭の皮をめくられかけて義人が新たに得た、学びという名の嘘であった。


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