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52.呪師(前)

 今見ていた情景がぶつりと途切れ、呪師は奥歯を噛み締めた。

 直後返り来たものは、紋へ凝縮した呪を壊された痛苦、つまりは呪い返しだ。

 破られた呪は術師へ祟る、何処の世界であろうと変わらない、まさに絶対の掟。

 傀儡へ刻んだ紋を浅く留めたのはその対策でもあったのだが、なにより王者が傀儡を殺しておらぬからこそ、偏頭痛程度の痛みで済んでいる。

 感謝しよう。

 すかすかで軽い義理、どろどろに甘ったるい人情、そんなものに拘泥し、己が命を損なうすばらしい王者様の心根に!


 ――気が緩んだ途端、両耳にびぐりと激痛が跳ねた。

 傀儡が耳を千切れば、呪で繋がっている呪師へもほぼ同等の痛苦が伝う。ただでさえ呪い返しに苛まれているというのに、とんだおまけというものだ。

 万が一にも外へ声が漏れてしまわぬよう身を丸め、歯を食いしばって目をつぶる。


 それにしてもエルバダという国は頑強だ。

 完全に対処することのかなわぬ呪を相手取り、奮迅していた。

 もっとも、この呪は殺すためのものではない。とにもかくにも手間を取らせ、王都を撹乱することが主の目的なのだが、しかし。

 本来であれば、これは王者不在の王都へ仕掛けられるはずの鬼手だというのに、早すぎる再臨を遂げた王者がすべてを狂わせて。呪う以外の力を持たぬ己が、竜の加護を受けているのだという男と向き合わされるはめに陥った。

 毛虫さながらな怖気が背筋を這い上り、背骨の隙間へ無数の毒針毛を撃ち込む。

 細かな“ぞくり”が寄り集まって“ぞわり”の塊と化し、呪師の背に冷えた脂汗を噴き出させた。

 転げ回りたい衝動を噛み殺し、噛み殺し、噛み殺して、己をなんとかなだめすかす。


 傀儡の目を通し、見据えてきた王者の様。

 幾度となく殴りつけられる臨場感は恐怖と共に幻痛を呪師の脳へと擦り込んだが、おかげで呪力の根源たる怨恨を十二分に育てられたし、それ以上に、確信が得られた。

 あの男はとんだ阿呆だ。易く刺せる。

 だから恐れる必要などないのだ。


 ――ここでまた強く耳が疼いて、思わず呻き声を漏らしそうになった。

 嗅ぎつけられればすべてが水の泡。なんとしてでも堪えなければ。

 目を固く閉じて奥歯を噛み締め、今日を切り抜けられたその後のことを考えようと努める。

 だというのに、痛苦は呪師の心の浅瀬から過去ばかりを引きずり出してきて……思い出してしまった。いくらかの昔、忌まわしき才を森の神より詰め込まれて生まれ落ちた、そのときを。




 気取った顔へ歪んだ笑みを貼りつけた男は長耳の先を揺らし、眼前の女の胸元へ短剣を突き立てた。

『ひとつひとつあげつらう気はない。おまえの咎、すべてをこの一閃にて清算する』

 用意してきた台詞をようやく言えた満足はしかし、胸を煮やす憤りをわずかにも冷ましてはくれない。

 まったくもって信じ難い。木々の生え際を這いずる家なき卑婦ひふの分際で、森の中心に家を構え、氏族長の地位を受け継ぐことを約束された高貴なる己へ抗い、美しい衣を裂いた上になめらかな身までもを傷つけたのだから。

『まったくもって腹立たしい! 腹立たしい! 腹立たしィイィイイイィッ!!』

 怒りに任せて幾度となく骸へ刃を振り下ろし、ずたずたになるまで斬り裂いて、男はようやくいくらかの正気を取り戻した。

 そうだ。まだ、終わっていないのだ。

 倒れ伏した女の背を踏み、彼女が命掛けで守ろうとしたもの――激しく泣きわめく赤子へと歩み寄った。

『これは』

 思わず言葉を失ってしまったわけは、粗末ながら清潔な産着で包まれた赤子が母を思わせる美しさを映していればこそだ。


 現氏族長である父親に強いられて妻を迎えはしたが、どうにも務めを果たす気になれず、日々鬱々と過ごしていた男。偶然見つけた見目麗しい卑婦ひふは最高の遊び道具であった。

 ずいぶんとかわいがってやったものだ。昂ぶる余り暴力を振るいもしたが、卑賤にはそれもまた過分な褒美であったはず。

 だというのに、女は己の足下より逃げ失せた。己が高貴の血を卑賤の血に混ぜ込むがためにだ。


 こうして思い返してみれば、己が一方的被害者であることが明らかとなる。

 だというのに、なぜ卑夫ひふさながら己の手を汚さねばならぬのか。

 この後も後継者でいたいなら、己の不始末は己で清算せよ。父親はもっともらしく言ったものだが、こうした仕事にふさわしい者などいくらでもいるだろうに。

 ……父へ意趣を返すのは長の地位を継いだ後でよかろう。

 胸底より噴き上げて喉を焦がす憤りを無理矢理に飲み込んで、男は泣き止まぬ赤子へ切先を向けた。

『うるさい! 泣きたいのは誰よりこの私となぜわからん!? ……いや、卑婦の子の卑賤な頭では察せられんだろうな』

 芝居がかった仕草で両手を拡げ、大仰な節回しで吠える。

『ああ、確信したぞ! その身に私の高貴な血は一滴たりとも流れてはおらんのだぁ!! 滅せ滅せ滅せっ!! 汚らしい肉も汚らしい血も汚らしい魂もなにひとつ遺さず消え失せろぉおおおぉおおっ!!』

 絶叫に乗せ、母の血にそぼった剣を赤子の心臓へ突き込もうとした、そのとき。


『あぇ?』

 男の顔が斜めに傾ぎ、腕が、脚が、上体が、みぢみぢと歪み撓み波打ったあげく、べぎぼぎとへし折れていく、へし折れていく、へし折れていく。

『ぁれえれれれ――ゎあたひぃはっ、こぉおおぉおききいヒィイイィイイィ』


 帰らぬ息子を連れ帰れ。長に命じられた下男たちは、気乗りのしない顔で赴いたものだ。

 長の息子は趣味の悪い放蕩者だ。おそらくは殺す前のお愉しみに励んでいるのだろう。胸が悪くなるような酷い光景が待っている、そう覚悟を決めて行かなければ。

 結果として、覚悟したことは正解だった。

 胸が悪くなることすら忘れ果てる、酷い有様だった。

 ずたずたに肉を斬り裂かれた女の骸はいい。放蕩息子の仕業とすぐに知れるのだから。

 問題は、当の放蕩息子だ。

 丸まっていた。四肢どころかすべての骨肉と臓腑までもが身の中心、おそらくは心臓へと押し込まれ、球と成り果てていて。

 彼らは顔を見合わせた後、一様にかぶりを振った。

 正直なところ、なにが起きたものかまるでわからない。だからこそ長への言い訳も思いつけなかった。

 その奥では泣き疲れて眠る赤子を連れ帰ったのは、結局のところ困り果てた末のことなのだが、これもまた結果として正解であったのだ。


『呪か』

 下男の報告を受け、息子の骸を検めに赴いた長は、その有様と古き知識とを照らし合わせて息をつく。

 呪の才を持つ者は希だ。しかも初代王者が君臨していた時代、とある理由から“玲瓏なる竜魔”に呪師が根こそぎ狩られたことで、その後才ある者が生まれ落ちたとてまず見出されることがなくなった。

 それにしても、あの赤子の呪才は凄まじい。思考ならぬ本能で母を殺された怨恨を繰り、父を殺したのだから。


『最期にひとつ役立ったな』

 球と成り下がった息子へ酷薄な声音を吐きつけて、長は踵を返す。

 呪才を持つ者は速やかに仕末する。それが通例というものだが、この呪われた子の誕生はエルフを豊かな先へと運ぶきざはしとなるやもしれぬ。

 息子が死んだ今、あと数十年は長の座が保てよう。

 実は不本意だったのだ。様々な術数を尽くして勝ち取った地位をただで譲り渡さなければならぬなど。

 私は他の氏族長どもを凌ぐ地位を獲る! すべての栄誉を手にするは、私だ!


 表情ばかりは沈鬱に作り込み、長は氏族長会議へ臨んだ。

 そして切り出すのだ。

『遣える得物を得た。これならばあれ《・・》をやれようぞ』

 初代王者に敗北したエルフ17氏族が、エルバダ王都近隣の森へ隠れ潜む中で練り上げてきた、されど成せる確証が得られず頓挫した策――王都攻めを。

 彼の言葉を受けた他の長たちはそれぞれに皮算を始めたが、水を差すようなことはしない。心ゆくまで夢を見よ。その手になにも握られておらぬことを思い知るのは目が醒めた後でいい。




 ここまでは当然、呪師自身の記憶ではない。

 物心ついたときには何処とも知れぬ地下の檻へと閉じ込められ、衣食を限界まで減らされたあげく、長に蹴りつけられながら聞かされた話を己の内で組み立てた、言わば伝承。

 そして続くは、呪師の記憶をそのままに映す物語である。


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