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31.舞踏

「ラオさん。なんで剣、使わねーんすか?」


 問われたシャザラオの肩がびくりと跳ね、両目が剥き出された。

 ラオは生誕時に親から与えられた名だ。

 王子の例からもわかる通り、義人は相手の名を縮めて呼ぶ。ラオもまたそれであることは間違いないが、虚を突かれて心へ隙をこじ開けられるには充分だった。

 しかも、その好きへ正確にぶち込まれたのだ。必死で演じてきた徒手格闘が付け焼き刃に過ぎないことを見抜き、剣についてを問うというフィニッシュブロウを。

 この場に己の剣があればと、確かにそう思った。だが、タイマンの掟へ従うことこそが挑む者の分。重々に弁えているからこそ噛み殺してきたのに。

 心の内は千々乱れ、声は喉の奥で千切れ千切れ千切れて、音になりきらないまま消えていく。


 その沈黙へ、義人の次なる言葉が差し向けられた。

「俺、ガチのガチで勝つんすよ。ラオさんがガチのガチじゃなきゃ意味ねーっしょ」

 王者の顔は真剣で直向きで。

 続けてなにを言うものか、シャザラオには聞かずとも知れる。だからこそ音にされた言葉が、いっそ笑いたくなるほどに心へ染み入ったのだ。

「思いっきりやってやりましょーぜ! ラオさんと俺で!」


 ああ、なんという男なのだ、汝は。

 己がうなずいてしまって、本当にいいのか? 定められた結末を覆してしまうぞ。さすれば己は汝を――

 うるさい。思い上がるもいいかげんにしろ。武辺風情が感傷を語るなど愚かしいにも程があろう。

 シャザラオは強く頭を振り、心に沸き立つ正の色も負の色もまとめて払い退けた。

 自分は王者へ、いや、義人へ応えたい。なにを恥じずともいい、誇りある自分を直向きに貫いて。

 不可思議なほどに凪いだ心をそのまま瞳に映し、シャザラオは王者の名を呼んだ。

「ヨシト殿」

「押忍」

 うなずいた義人がまた口を開こうとしたそのとき。


「180!! どっちも下がれ!!」

 声音だけでなく花子本人がふたりの間へ割り込んできて、ぴしゃり。王者の口を掌で封じたのだ。

「言っただろう!? 考えるなしゃべるな息するなって! 決闘のやりかたを決めるのは王者の権利で、挑戦者はそれに従うのが掟だ! 公正とか公平とかに障るようなことじゃない!」

 口を塞がれた義人が「よくわかんねーんすけど顔」で両目をしばたたく。

 実際、彼は知らなかったからだ。王者の権利とやらも挑戦者の掟とやらも。

 ああ、ああ、そうさ! 知らせなかったのはあたしだ!!


 王者は決闘において使用する得物をひとつ定める権利を持つ。

 それが初代王者の時代に定められた掟だ。

 つまりは敵の得意を封じ、不得意を強いるという理不尽な話なわけだが、真剣勝負となればこれも当然の言い分ではあろう。なにせ王者が敗北すれば人間の覇権はその時点で失われ、種としての先を失い果てるのだから。

 人間側もゴブリン側も、義人以外の全員がそうと弁えているからこそ、花子は密かにこの権利を行使し、徒手格闘をゴブリンへ押しつけることができた。

 義人は単純バカというだけでなくボクサーだ。殴り合いをさせておけば満足して、自分だけが有利なルール設定にも敵の得意にも気づくまい。そう思い込んでいたのだが……よりによって勝利を目前にしたこのとき、気づいてしまった。


 今だけでいいから察してくれよ。君を勝たせるのがあたしの役目なんだ。犬のときとは負けの意味が違う。ここで負けたら終わりなんだよ! ほんとに全部全部全部!


 敬愛する先輩の切羽詰まった表情がなにを意味するものか。当然ながら義人にはよくわからなかった。

 ただ、息をするなと言われても守れるはずがないし、しゃべるなと言われても守りたくないことだけはわかっていたから、口を塞ぐ彼女の手を引き剥がして。

「先輩ジャマっす」

 言い終わってからあまりに酷いセリフだと気づいてうろたえて、それでもうまい言い換えが思いつけずにあきらめたあげくに。

「俺、実は空気読むとか苦手なんでよくわかんねーんすけど、俺のせいで俺らのジャマしてんすよね。マジすいません。あとガチすいません」

 なぜ2回あやまったのか、その理由はすぐに知れた。


「ラオさん、剣使ってください」


 よくわかんねーんすけど王者がいいっつってんすからいいっすよ。

 添えられた言の葉を、花子はもう聞いてなどいなかった。聞きたいはずがないだろう。もっとも恐れていた事態がファンファーレを鳴り響かせて幕を開けようとしているのだから。

 どんなに彼女が拒もうと、もう止められない。義人が望む以上、止まらない。

 どうすればいいかを決めかねて立ち尽くす彼女へ、思わぬ先からとどめが突き込まれる。


「王者が掟を途中で覆すことは認められていませんが、それは挑戦者に不利益となる恐れがあればこそ。挑戦者に利することなら問題ありますまい」

 ステージへ上がったセルファンが義人の前まで進み出て、視線を一周させた。

「いえ、我らが問題とせねばよろしい。それだけのこと」

 彼が匂い立たせる優美が、視線をもって周囲の人間を、そればかりか異種であるはずのゴブリンをすら惹き込み、釣り上げる。


 セルファンにはなにひとつ才能がない。

 そう、文武の才も政治の才も魔術の才も、王族として役立てられるものにはなにひとつ、才能がなかったのだ。

 並外れた美貌こそ持ち合わせていれど、所詮は備えの種馬。それを生かせる場は与えられなかったし、そもそも生かす才能がないのだからどうにもならなくて。

 結局のところ、無敵の英雄である王者を綴った物語や文献へ没頭したのは欺瞞か韜晦か、つまるところ逃避というものだったのだろう。

 そんな日々の果て、彼は王者を迎えて、愕然とした。

 なぜならその異界の男はまったくもって無敵でもなければ英雄らしさすらなく、ただただまっすぐな“いい奴”だったのだから。


 誰に言っても多分、わかってもらえないと思う。

 なんの他意も含めずに「セルさん」、そう呼んで笑ってくれたことに、僕がどれだけ救われたのか。

 無才な王子じゃない、綺麗なだけの種馬でもない、ただのセルファンを「なかよし」だって受け容れてくれることに、僕がどれほど救われているのか。


「掟を遵守することに如何ほどの意義があるものか? 王者の義心と勇者の意気、尊重されるべきはそのふたつではありますまいか」

 穏やかに、されど強く語ったセルファン。

 ……誰にも気づかれていないはず。このように目立つ真似を自ら演じてしまった結果、今にも膝から力が抜けてがっくり崩れ落ちそうな有様なのだとは。


 なにもできない飾り物だなんてことは僕自身が誰より思い知っていることだけれど――今だけはやりきってみせる。誰よりそれらしく騙りあげてみせる。

 本当は勇者に剣なんて持たせたくない。ヨシト氏を窮地に蹴り落とすような真似、したいはずがない。

 でも、僕の思いなんてどうだっていいんだ。

 今度は僕の番だ。ただのヨシト氏を僕は受け容れて、なかよしの望みを叶えるために尽くす。

 そのために。

 踊れ、僕。


「エルバダ聖女王朝継承序列第12位、セルファン・オ・ラケシーザ・エルバタが王者の意を支持いたす! 勇者シャザラオ、貴殿の剣を取られよ!」

 なんの権限も持っていない、備えの種馬である王子の宣言になんの価値があるものか。

 しかし、その場にある人間もゴブリンも彼の意気に飲まれ、気がつくことすらないまま受け入れさせられていた。

 場の内でそのことに気づいた者はふたりと一匹。ひとりは花子であり、一匹はもちろん犬だ。女王はすっかりと自分の世界に引きこもっているので除外して、最後のひとりは――今しばらく正体を伏せておこう。


「応」

 それだけを返した勇者の元へ、彼の愛剣が届けられる。

「シャザラオ、これを」

 捧げ持たれた鞘から剣身を引き抜けば、さらり。降り注ぐ朝の日を白々と照り返し、その姿を現した。

 刃渡り50センチにも満たない短い剣身はしかし分厚く、鍔元から切先に行くほど幅を拡げていく。重さでもって敵を叩き斬る、あるいは叩き潰すためのものだとひと目で知れた。


 義人に知る由はない。

 その剣こそシャザラオならぬラオの父によって打ち鍛えられ、母によって研ぎ澄まされた、彼という男を象徴するひと振りであることは。

 しかし今、義人は感じていた。怖れでも恐れでもない、畏れを。

 敵に武器を持たれることの恐さはそれこそ「ハンパねー」もの。

 ましてやゴブリンの勇者は、それを掲げたばかりでこの場を圧倒するまでの意気を発しているのだ。

 故に義人は畏れ、震え、そして。

 奮えた。

 間違いねー。こいつがラオさんのガチのガチだ。


 一方のゴブリン陣は、象徴にして最高の得物たる剣を取った勇者の背に太い歓声を送る。

 種の悲願を果たす機会を、他ならぬ王者がもたらしてくれようとは。とまどいはあれど、これで勇者が宿命を覆せるならばと、奮わずにいられなくて。


「よもやこうと言えるものとは思わなんだが……頼む。勝ってくれ」

 鞘を強く抱え込み、声音を絞り出した同胞へうなずきかけたシャザラオは、ふと王者へと視線を投げた。

 これまで以上の闘志を燃え立たせ、奮う義人の様に、シャザラオもまた心を奮わせる。


 己はまだ汝を見くびっていたらしい。真におそろしい男だ。

 だが、そうでなければ挑む価値がない。


「ヨシト殿、今こそ己のガチのガチを汝に見てもらうぞ」

「押忍。俺のガチのガぢぃっ!?」

 いいところで義人が両手を跳ね上げ、ばたばた地団駄を踏み始めた。

 花子は見た。これまで眠りこけていた力が両手の内で唐突に目覚め、大騒ぎを始めたことを。

 なんで今さら!? 思いながらも急いで編んだ術式の網をもって義人を捕獲する。

「とにかく戻れ! 手が暴走してる!」

「いでででででやばいこれガチいてーっす!!」

 暴れる後輩を絡め取って引っこ抜いて放り投げて、花子は舌を打った。


 理由はわからないけど、王者の力は後輩くんのガチってやつに反応してる。

 彼が万一真の王者になれるとしたらつまり、このレベルの死闘を繰り返さなきゃならないってことか。

 ……辛すぎないか? ガチになれるかどうかが自分次第じゃなくて相手次第なんて。

 って、今はそんなこと考えてる場合じゃない。とにかく暴走止めないと!


 こうしてなし崩しに60拍の休憩へ入ったタイマンだったが、誰ひとり文句を言い出すものはなかった。

 あといくらか、それこそ1000を数えることなくすべてが終わる。それを全員が察していればこそに。

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